大内青圃

没年月日:1981/02/21
分野:, (彫)

日本芸術院会員の彫刻家大内青圃(本名正)は、2月21日午前10時28分、肺炎のため東京・本郷の東大医学部付属病院で死去した。享年82。1898(明治31)年12月12日東京市麻布区に仏教運動家大内青巒の五男として生まれる。幼時から父に仏教及び篆刻を学び、兄青坡から絵画・素描を学んだ。1922(大正11)年東京美術学校彫刻科木彫部を卒業したが、高村光雲に師事して木彫を学び、水谷鉄也に塑造を学んでいる。24年第11回院展(再興)に「羅刹婆」が初入選、27(昭和2)年第14回院展出品作「魔王女染欲」により同人となる。戦後58年に、日本美術院の財団法人化に伴い評議員となり、60年の第45回院展出品作「龍女献珠」が文部大臣賞を受賞する。一方、院展を活動の中心としながら新文展・日展にも出品しており、36年の改組第1回帝展に「牧神クリシュナの扉・夕」が初入選、同年の第1回新文展から無監査となる。43、47年に招待出品し、48年第4回日展では審査員をつとめ、翌年から委嘱出品となったが、58年に日展が社団法人となって以降は出品していない。また、院展も61年2月に彫刻部が解散したため、以後は個展を作品発表の場とした。父青巒からの影響もあり、一貫して信仰を背景とした仏教彫刻を彫り続けたが、63年には、前年の個展出品作「多羅菩薩」と一連の仏教彫刻により、日本芸術院賞を受賞、69年に日本芸術院会員となった。71年勲三等瑞宝章を受賞、77年には10年をかけて制作した永平寺東京別院長谷寺の本尊「十一面観音像」が完成した。同像はクスノキの一木彫としては世界一のものであったが、これが最後の大作となった。代表作品は、上記の「魔王女染欲」「龍女献珠」「多羅菩薩」「十一面観音」のほか、「金剛力士二尊」(51年、北海道旭川市真久寺)「薬師瑠璃光如来及十二神将」(54年、長野県野沢村薬師堂)など。
略年譜
1898 東京市麻布区に生まれる。
1922 東京美術学校彫刻科木彫部を卒業。高村光雲に木彫、水谷鉄也に塑造を学ぶ。
1924 第11回再興院展「羅刹婆」
1925 第12回再興院展「龍女」
1926 第13回再興院展「習作(頭部)」
1927 第14回再興院展「魔王女染欲」「瞿曇沙彌」、美術院同人となる。
1928 第15回院展「夢の花採む」「眠れる蛾」「青巒先生像」「地より湧出せるもの」
1929 第16回院展「女」「山口氏像」「持水像」
1930 第17回院展「持国天」「生」「老」「来迎佛」「病」「死」「誕生佛」「観音像」
1931 第18回院展「香炉」「婦人団体」「無量寿佛印顆」「大慈観世音菩薩」「舎利瓶」
1932 第19回院展「菊」「牧女献糜」「白鳥」
1933 第20回院展「クリシュナの扉、朝・夕」「濕婆」
1934 第21回院展「大弁才天女」「大吉祥天女」
1935 第22回院展「婦人裸像」「月神」「日神」。新宿中村屋印度間「釈尊傳」浮彫制作
1936 第23回院展「佛母摩耶婦人」「アモ」「富士選手像習作」。改組第1回帝展「牧神クリシュナの扉、夕」
1937 第24回院展「施無畏者」「クリシュナの扉部分、朝の一・二、夕の一・二」「阿修羅鬼王面」「クロド」第1回文展「トリムルチー東方阿★佛」(無鑑査)
1938 第25回院展「狗頭」「無量寿佛」「少女像」。第2回文展「施無畏者」(無鑑査)
1939 第26回院展「舞踏王涅濕婆」。第3回文展「食堂二天(大弁才天女、大吉祥天女)」(無鑑査)
1940 第27回院展「飛行天女」
1941 第28回院展「大自在天」「木花開耶姫」。第4回文展「日月(神器・禊祓)」(無鑑査)
1942 第29回院展「聖観自在尊」「観音菩薩」「不生居士像」
1943 第30回院展「勝鬘夫人」「十三佛塔」。第6回文展「大気津比賣神」(招待)
1944 戦時特別文展「東方ノ扉ノ内神遊」
1946 第31回院展「聖観自在菩薩」「大地神女」「開蓮」。第1回日展「摩尼宝珠」。第2回日展「不死鳥フェニックス」
1947 第32回院展「天皇像」「信貴英蔵氏像」「即現婦女身像」「観自在菩薩像」。第3回日展「佛母摩耶」(招待)
1948 第33回院展「安達潮花師壽像」「大吉祥天女像」「春妖」。第4回日展「吉祥天女面」(文部省買上げ)、審査員をつとめる。
1949 第34回院展「阿彌陀佛三尊」「観自在菩薩」。第5回日展「花の観音(テラコッタ)」(依嘱)
1950 第35回院展「月神」「村昌院開山頂相」「毘蘆遮那佛試作」。第6回日展「餓鬼と観音」(依嘱)
1951 第36回院展「那羅延金剛力士像」「密迹金剛力士像」。第7回日展「婦人」(依嘱)。北海道旭川市真久寺仁王門の「金剛力士」二尊像制作。
1952 第37回院展「摩利支天」「不動明王」。第8回日展「詞梨帝母」(依嘱)
1953 第38回院展「大弁財天女像」「紫紅園主人像」。第9回日展「孔雀」(依嘱)
1954 第39回院展「薬師瑠璃光如来像」「月光菩薩像」「日光菩薩像」。第10回日展「光明女像」(依嘱)。長野県野沢温泉村薬師堂本尊「薬師瑠璃光如来像」及び「十二神将像」完成。
1955 第40回院展「佛母子像」「薬叉神薬叉女」。第11回日展「花鬘菩提像」(依嘱)
1956 第41回院展「釈尊成道」「持戒二尊」。第12回日展「牧女献糜」(依嘱)
1957 第42回院展「勝鬘夫人幻想」。第13回日展「大地神女像」(依嘱)
1958 第43回院展「法音輪菩薩像」評議員となる。
1959 第44回院展「摩耶夫人像」
1960 第45回院展「龍女献珠」文部大臣賞受賞。
1961 日本美術院彫刻部解散、院展を離れる。
1963 前年度個展出品作品「多羅菩薩」により、日本芸術院賞を受賞。
1965 埼玉県熊谷市報恩禅寺「釈迦牟尼仏、摩阿迦葉、阿難」三尊及び「鬼王焔摩天」を制作する。
1967 東京・駒沢学園「釈迦牟尼仏三尊」を制作する。
1968 永平寺東京別院長谷寺「十一面観音像」制作に着手。
1969 日本芸術院会員となる。
1971 勲三等瑞宝章を受ける。
1977 永平寺東京別院長谷寺「十一面観音像」完成。

出 典:『日本美術年鑑』昭和57年版(270-272頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「大内青圃」『日本美術年鑑』昭和57年版(270-272頁)
例)「大内青圃 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9948.html(閲覧日 2024-04-20)

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