沖之島で「唐三彩」出土
1969年10月福岡県宗像郡沖之島で行なわれた宗像祭祀遺跡総合調査の結果、「唐三彩」の陶片が見出された。「唐三彩」が中国以外の地で発掘されたのは、エジプトのカイロ、奈良大安寺遺跡についでこれが3番目であり、貴重な発見である(15日)。
福岡県宗像郡沖之島で行なわれた宗像祭祀遺跡総合調査の結果、「唐三彩」の陶片が見出された。「唐三彩」が中国以外の地で発掘されたのは、エジプトのカイロ、奈良大安寺遺跡についでこれが3番目であり、貴重な発見である(15日)。
総合商社である丸紅飯田が英国のラブラン社(本社ロンドン)と提携し、年間最低18億円相当の絵画、古美術、骨董品を輸入することになり、このため1日から常設展示場を東京・有楽町、新有楽町ビルに丸紅アート・ギャラリーとして設け新業務を開始した。同社が第1回契約分として輸入(1部委託)したのは泰西名画など71点、総額10余億円にのぼるといわれた。特にそのなかのボッティチェルリ作「シモネッタ・ベネプッチの肖像」(時価1億5千万円)は、美術界の一部から真贋の疑点についての噂がおこり、6日関係者異例の記者会見で真作であると説明するなど、大きな話題となった。
「英国フェア」の一環として、世界最大のロンドンの競売会社サザビーが1日から3日まで、東京・日本橋、三越本店の三越劇場で「サザビー・オークション」を行なった。近代絵画、印象派絵画を中心に3日間にわたって東西の美術骨董品、総額7億1千万円を売上げた。
昭和40年から隔年に開かれてきた現代日本彫刻展=山口県宇部市、日本美術館企画協議会、毎日新聞社主催=は、その第3回展を1日から11月10日まで宇部市の常盤公園内野外彫刻美術館で開いた。今年の同展は、わが国現代彫刻の先駆者である荻原守衛から現在までの代表作を集めて特別陳列した“日本現代彫刻の史的展望”と、アルミニウム、ステンレス、プラスチック(ポリエステル、塩化ビニール)など現代彫刻の新しい素材をとりあげ、作家と素材による新しい可能性を求めた“三つの素材による現代彫刻展”の二つ。後者では42年後半期から現在までの間に各美術団体展、グループ展、個展その他ですぐれた業績を示した作家を4素材部門19作家19点の中から9月29日夜、8名の審査員で次のように授賞作品を決定した。なお、宇部興産の協賛は従前通りだが、素材提供のスポンサーとして、積水化学工業、日本硝子繊維、日本軽金属、日本触媒化学工業、日本ステンレス各社に協力を仰いだ。 大賞<宇部市賞>(70万円)村岡三郎「自重」(ポリエステル) 宇部興産株式会社賞(50万円)栄利秋「思考空間9-69…くう…おのれのみしは…」(同上) 毎日新聞社賞(40万円)小田襄「計画」(ステンレス) 宇部市野外彫刻美術館賞(30万円)広井力「標的と人」(アルミニウム) 神奈川県立近代美術館賞(30万円)伊原通夫「風風風風」(ステンレス) 長崎県立美術博物館賞(30万円)田中信太郎「リレーション」(塩化ビニール)
日本鉄鋼連盟、毎日新聞社主催により、外国作家9名(ジョージ・ベーカー、ハインリッヒ・ブルマック、フィリップ・キング、ベルンハルト・ルジンブール、エドゥアルド・パオロッツィ、カール・ブラントル、ジョージ・リッキー、ケネス・スネルソン、ジャン・ティンゲリー)、日本作家4名(伊原通夫、飯田善国、若林奮、湯原和夫)の参加で行なわれ、大阪西淀川区野里西の大アトリエに9月中に集り、3ケ月の共同生活をしながら制作することになった。作品はすべて万国博の会場に展示される。
文化庁は8月5日、すべての分野の歴史資料と生活に関する民俗資料を収集した国立歴史民俗博物館と、奈良・平安宮跡をそっくり遺跡博物館とする構想を発表した。
8月30日~10月12日 西ドイツ・ケルン市のラウテンシュトラウホ・ヨースト民族学博物館所蔵品によるもので、東京新聞社主催、東京国立博物館において開催された。
日本政府が主催するもので、8月30日~10月スイス・チューリッヒ市立美術館、11月西ドイツ・ケルン市立美術館で開かれることになり、文化庁によって組織され、出品総数は149点にのぼった。
8月28日~10月1日 京都国立近代美術館、読売新聞社、報知新聞社の主催により、東京渋谷の西武デパートで開催され、世界各地から集められた130点が展観された(京都展10月5日~11月7日)。
(8月27日~10月12日)ブリティッシュ・カウンシル、東京国立近代美術館、毎日新聞社の主催により、東京国立近代美術館で開催され、彫刻・素描97点が展示された。
8月22日万国博協会は、万国博美術館に展示する国内関係作品の第2次リスト152件(絵画109件、彫刻18件、工芸25件)を内定し、第1次と合せ285件の出品リストがかたまった。なお、入館料金も決定し発表した。
日本宣伝美術会第19回公募展は、日宣美展廃止、日宣美解体を主張する美術学生を中心にした日宣美粉砕共闘会議の造反運動によって中止せざるをえなくなった。中央委員会は8月19日、極秘に審査会を強行し、展覧会を抜きにして入選作品目録を関係に配布する方法をとることに決定した。
神奈川県足柄下郡箱根町二ノ平に建設中であった財団法人彫刻の森美術館(会長植村甲午郎)がこのほど完成し、8月1日午後2時半、開館式が行なわれた。山の斜面を切り開いた3万3千平方メートルの敷地を造成、彫刻家井上武吉、設計家古島一雄両氏の協力設計による屋外展示場と室内展示館を中心とした彫刻公園で、開館記念展として国内外の作家の招待・コンクールによる「第1回現代国際彫刻展」と、「日本にあるヨーロッパ近代彫刻展」が開催され、国際展部門の最高大賞に堀内正和作<立方体の二等分>、準大賞にアメリカ在住の女流作家エスコバー・マリソール作<三つの大像>が選ばれた。
ソ連文化省と日本経済新聞社の文化協定に基づく「日本彫刻展」が、7月15日から8月24日までモスクワのプーシキン美術館で開催された。出陳されたのは、古墳時代の土偶、埴輪から江戸時代の円空仏にいたるまでの作品。
洋画界の最長老で、文化勲章受章者坂本繁二郎は、7月14日、福岡県八女市の自宅で逝去した。政府は生前の功績に対して従三位勲三等、銀盃一組を贈ることを決定した。
文化財保護審議会は、4日44年度重要文化財のうち建造物関係として、北大農学部第二農場9棟と熊本の旧第五高等中学校3棟の2件を指定することを決め文部大臣に答申した。
7月1日~27日、神奈川県立近代美術館、日本美術館企画協議会、東京新聞社、中日新聞社の共同主催により、神奈川県立近代美術館で開催され、フェリックス・クレー所蔵の油彩・水彩・素描・版画の計191点が展示された。
日中戦争、大東亜戦争等の際、記録画として描かれた多くの作品は、戦時中内地の主要都市に巡回展示され、その後東京都美術館に保管されていた。これらの戦争画は、戦後連合軍司令部に接収され、昭和26年アメリカに運ばれ、ペンタゴンその他に分散されていた。昭和36年日米修好100年にあたり、これらの絵画の返還が話題となり、朝日新聞社や国立近代美術館が返還の折衝に当った。その後、近代美術史上における重要資料として、文化的見地から外務省が返還促進をすすめていたが、昭和43年正式交渉の結果、当該作品は、米国政府から日本政府に「無期限に貸与」することとし、貸与後の取扱いは事実上日本側に自由を与えることで諒解に達した。45年2月東京国立近代美術館の青木技官がワシントンに出張し、155点の絵画を検収し、3月31日ワシントンにおいて両国交換文書が調印された。作品はニューヨーク経由で東京に空輸され、5月1日東京国立近代美術館において関係官庁その他参集のもとに荷がほどかれ、同所に収蔵された。尚、これらの経緯については6月29日発表があった。
会津若松市の南南西の山あいの大内地区は、江戸時代の宿場町の姿を殆んど完全にのこしているが、地元では、現状を変更しようとする動きがつよいため、文化庁でも重要民俗資料として指定を検討することとなった(25日)。
明治の上流階級の邸宅建築として代表的な湯島の旧岩崎邸が、洋館(重文)と和風建築の一部を残し、解体されることになった。明治の上流生活の二重性を象徴するこの建築物は完全保存が望まれていたが、結局、和風の一部のみを残すこととなった。(23日)。