藤田吉香

没年月日:1999/05/25
分野:, (洋)
読み:ふじたよしか

 京都造形芸術大学名誉教授、国画会会員の画家藤田吉香は5月25日午後7時54分、拡張型心筋症のため横浜市金沢区の病院で死去した。享年70。1929(昭和4)年2月16日、福岡県久留米市櫛原町37に生まれる。49年、久留米在住の画家松田実の主宰する松田画塾で洋画を学ぶ。松田は古賀春江の師でもあり、油彩画の写実性を重んじ、再現描写の指導に重点を置いていた。55年、東京芸術大学美術学部芸術学科を卒業。59年第33回国画会展にデフォルメした人物を描いた「すわる」、および「ほおむる」で初入選し、国画賞受賞。翌年、第34回同展に抽象的な表現を含む「はたじるし」を出品して同会会友となり、以後、同展に出品を続ける。62年スペインに渡りサン・フェルナンド美術学校に学ぶ。滞欧中、プラド美術館に所蔵されているヒエロニムス・ボッシュの「七つの大罪」「快楽の園J等の模写に専念し、西洋絵画の古典技法を研究する。66年に帰国。滞欧中の古画の模写を西洋古典画との絶縁のための作業と位置づけた藤田は、帰国後、習得した技術を生かし、身近な題材をモティーフとして、克明に描写された人物や静物と平板な色面による背景を組み合わせた独自の画風を確立。67年、国画会展に「空」を出品してサントリー賞を受賞し、同会会員となる。また、この作品を第11回安井賞展に出品する。68年昭和会に「連雲」を出品して優秀賞受賞。同年の第12回安井賞展に「村」「連雲」を出品し、70年同展に「春木萬華」を出品して第13回安井賞受賞。72年再度渡欧。74年東南アジアへ旅行。76年、3度目の渡欧。70年代後半から、背景に金銀箔を用い、背景の奥行き空間を否定した画面を多く制作するようになる。79年ソヴィエト旅行。80年、「藤田吉香―今日と明日」展を東京松屋銀座、京都高島屋で開催。81年宮本三郎賞を受賞し、翌年「第1回宮本三郎賞受賞記念展」を東京・大阪の三越で開催する。85年、中国を訪問。87年には高島屋美術部80周年記念展として東京・大阪・京都・横浜の同店で個展を開催。67年より70年まで女子美術短期大学で講師、69年から73年まで東京芸術大学で非常勤講師を務めたほか、91(平成3)年より98年まで京都造形芸術大学教授、98年退職して同大学名誉教授となり、後進の指導にあたった。克明に描写された花や静物を空間性を排除した背景に配する画風で知られたが、その試みは、西洋画法を駆使して、坂本繁二郎の追及した「物感」に連なる、ものの存在の不思議さや神秘性を表出することにあったと解釈される。

出 典:『日本美術年鑑』平成12年版(258-259頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「藤田吉香」『日本美術年鑑』平成12年版(258-259頁)
例)「藤田吉香 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28154.html(閲覧日 2024-04-25)

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