趙之謙没後七〇年記念特別陳列

1954年09月

清朝末期に、書、画、篆刻の第一人者であつた趙之謙の没後七〇年を記念して、四日から三〇日まで、東京国立博物館ではその遺作を特別陳列した。

文化財保護協定に調印

1954年09月

「武力紛争時に於ける文化財保護条約」案は一九五二年夏、パリで各国専門家により起草され、同年末、ユネスコ総会で成案を決定した。次で本年四月二一日から、オランダのヘーグで開かれた総会で審議の上採択され、協定案の署名式が行われた。我国からは岡本オランダ大使、神田京都国立博物館長、岡田文化財保護委員会事務局次長等が出席した。日本側提案の、名勝及天然記念物を保護の対象とする事、奈良、京都を文化財中心地として全面的な特別保護の対象に入れる事、の二項目は否決されたが、九月六日パリのユネスコ本部で、岡本オランダ大使によつて調印した。

京都小御所全焼

1954年08月

一六日夜京都御所内の小御所が、花火大会の火のために焼失した。小御所は紫宸殿の東北にあって檜皮葺、寝殿造、安政二年に再建されたものである。戦時中長廊下を疎開したのが幸して、他の御殿への類焼は免れた。

加賀百万石名宝美術工芸展

1954年08月

加賀の藩主前田家に伝わる名品希宝が、前田育徳会と毎日新聞社の主催により、一七日から二二日まで日本橋三越に於て公開された。古代錦繍類数百種、工芸の標本である「百工比照」、名物の刀剣と装剣具、越中瀬戸の陶芸、古九谷焼等、前田家歴代の芸術に対する理解によつて保護育成された名工の作品や、振興された領内の工芸の全貌を物語るみごとな展観であつた。

ユネスコ主催、美術工芸教育国際研究会議東京で開催

1954年08月

今回は東南アジアを中心とした会議で、三〇日から四週間に亘り東京で開かれた。中国、印度、タイ、英、米、仏等一五ケ国代表が集り、美術教育方法、美術工芸の理解、工芸の発達等の諸問題について、各国の現状を報告、研究討議が行われた。会議での結論は、ユネスコを通じて、各国政府に勧告される。

鳳凰堂壁画の模写

1954年08月

鳳凰堂壁画の模写が一五日から平等院境内の私設模写室で開始され、二年間継続して行われる。監督指導には菊池契月があたり、担当の画家九人のうち半数は法隆寺壁画の模写に従つたベテランである。尚これと併行して建築装飾文様の模写が小場恒吉の指導で行われる。

中国絵画展

1954年08月

故阿部房次郎の収集になる中国絵画一六〇点は、戦争中大阪市立美術館に寄贈されたが、今回朝日新聞社の主催により、一〇日から一五日まで日本橋三越に於て東京に於ける初公開を行い七八点を陳列した。

奈良朝国宝展

1954年07月

毎日新聞社の主催により、平城宮跡発掘調査記念として、二一日から八月八日まで日本橋三越で開催された。初めて寺門を出た薬師寺聖観音以下東大寺の誕生仏、法隆寺夢違観音、興福寺十大弟子、八部衆等諸仏像や工芸品、古文書類、平城宮跡発掘遺物など、奈良の十二古社寺出陳の国宝、重文其他、一三〇点余が出陳された。

花巻市に蔵脩館設立

1954年08月

元東大講師多田等観が、チベット滞在一〇年間に蒐集した仏画、経典類を保存する蔵脩館が花巻市光徳寺境内に完成、五日から公開された。

黒田清輝遺作展開催

1954年07月

今年は黒田清輝の没後満三〇年に当るので、国立近代美術館では、東京国立文化財研究所と共催で、八日から記念の遺作展を開いた。同研究所蔵の作品を中心に、各地から集めた一五〇点に及ぶ作品並びに資料は、故人の全貌を伝える稀にみる展観であつた。

谷口吉郎設計の鴎外記念碑完成

1954年07月

文壇一部有志の間で計画されていた、森鴎外の記念碑は、このほど、東京工業大学教授谷口吉郎の設計指導によつて落成し、九日の三三回忌に除幕式を行うことになつた。建立地は文京区千駄木町の観潮楼跡で、碑文は鴎外の詩「沙羅の木」の詩、筆は永井荷風。

欧米商業美術展開催

1954年07月

商業デザインの国際的水準を示す欧米商業美術展が東京都、共同通信社共催で二一日から日本橋三越で開かれた。本年はその三回目で、欧米の一流作家の作品が集められ、最も新しい傾向を伝えて、我国の作家、或は印刷技術者には特に意義のある貴重な展覧会であつた。

国宝などの移動制限

1954年07月

文化財保護委員会では第一九国会で成立した文化財保護法の改正を機に、国宝重要文化財の公開制限を行うことになり、指定品目を正式決定して五日関係方面に通達した。それによると第一類、現在地よりの移動を制限するもの、国宝三六件、重文三三件、第二類、第一類に准ずるもの、国宝二一件、重文九件、第三類やむをえない場合に限り条件付で出品を許可するもの、国宝一二三件、重文二四件が指定されている。

黒門、博物館に移建

1954年07月

旧因州池田屋敷表門(黒門)が、高松宮邸内から東京国立博物館正門西方に移建を完了した。重要文化財で江戸末期の作、東大の赤門と共に現存の大名屋敷の門として双璧である。その完成を祝つて八日開門式が行われた。

国立国会図書館設計図入選者決定

1954年06月

国立国会図書館では千代田区永田町議事堂側に建設する新図書館の設計図を募集していたが、応募作品一二〇余点の中から、内田祥三等の審査によつて左記の者が入選受賞と決つた。 一等(賞金百万円) 前川国男設計事務所の田中誠、大高正人他 二等(〃六〇万円) 都市建築事務所 吉川清作他四名合作

重要文化財建造物指定

1954年06月

文化財保護委員会では二六日、重要文化財建造物醍醐寺清滝宮本殿など三二件の新指定を発表した。

日本山林美術協会結成

1954年06月

山林の自然美を究め、山林愛護の思想を涵養しようという目的で、鶴田吾郎富田温一郎、安達真太郎等一一名の画家と小原工芸会の有志によつて結成された。展覧会は毎年「緑の週間」を期して開催の予定。

第一〇回日展審査員、出品依嘱者等決定

1954年06月

日展運営会では、第一〇回日展審査員、日本画一五名、洋画二六名、彫塑一五名、工芸二一名、書一五名、計九二名の他、出品依嘱者、無鑑査者四一九名を決定、一九日発表した。

「グロピウスとバウハウス」展開催

1954年06月

グロピウスの来日を機として、その業績を紹介する展覧会が国立近代美術館で六月一二日から開かれた。建築写真、模型、バウハウスの試作、習作品等が資料的に陳列された。

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