恩賜賞、芸術院賞決定

1954年03月

昭和二八年度(第一〇回)恩賜賞、並びに日本芸術院賞が決定し一五日、日本芸術院から発表された。 恩賜賞 沼田一雅 陶彫界に尽した功績による。 日本芸術院賞 第一部、美術 日本画 金島桂華 第九回日展出品作「冬田」に対し。 洋画 小糸源太郎 第二回国際美術展出品作「春雪」その他諸作に対し。 彫塑 清水多嘉示 第九回日展出品作「青年像」に対し。 工芸 山崎覚太郎 第九回日展出品作「三曲衝立」に対し。 楠部弥一 第九回日展出品作花瓶「慶華」に対し。 他部門略 授賞式は五月二〇日日本学士院で天皇陛下御出席の下に行われた。

渡米古美術品帰る

1954年03月

前年米国五都市で展観され、幾多の反響を呼んだ古美術品が、四日朝横浜入港のG・マックレー号で無事帰着した。国立博物館ではこれを各所蔵家に返還する前に、一二日から二一日まで、全作品九一点の特別展観を行つた。

芸能選奨美術文部大臣賞決定

1954年03月

映画、文学、美術など、昨年度に於てすぐれた業績をあげたものを文部大臣が顕彰する、芸能選奨の昭和二八年度授賞者が決定、五日発表された。 日本画 岩橋英遠 (第三八回日本美術院展出品作「庭石」に対し) 洋画 中村琢二 (第一五回一水会展出品作「扇をもつ女」に対し) 工芸 各務鉱三 (第九回日展出品作「クリスタル花器」に対し) 建築 山田守  (昨年完成の「厚生年金病院」の建築に対し) 他部門略 授賞式は二五日文部大臣室で行われた。

東洋文庫に敦煌千仏洞の資料揃う

1954年02月

敦煌千仏洞の膨大な資料の大半は欧州各国の秘蔵するところとなって容易に展閲の機のないことは極めて遺憾とされていたが、東洋文庫ではその写しを集める計画を進め、まず英国大英博物館の蔵品をマイクロフィルムに収める交渉がこの程纏った。引続きパリ国立図書館蔵品の写しをとる交渉をしている。

速水御舟展開く

1954年03月

産業経済新聞社主催の速水御舟遺作展は三月五日から東京銀座松坂屋で開かれた。出品作品は会期中二回の掛替を行い総数二〇〇余点に及び会期も延長、二一日迄展観され、多大の感銘を与えた。

日仏考古学資料の交流

1954年02月

日本と仏国間に考古学資料の交流が計画されていたが、全仏国美術館総長ジヨルジュ・サールが来日して最後的打合せを終え、発送の運びとなった。日本から埴輪、銅鉾鏡、釧、玉、土器等三五点が、仏国から中央アジアの仏頭一〇個、敦煌の仏画等二二点が送られる。

大原美術館泰西名画展開く

1954年02月

世界的コレクシヨンとして知られている、大原美術館の傑作七二点が初めて東京銀座の松屋で、大原美術館、読売新聞社主催、文部省後援の下に一九日から三月一四日迄展観された。戦後蒐集の作品をも加えた充実した展覧会であった。

国吉康雄遺作展開催

1954年02月

昭和二八年五月ニューヨークの自宅で急逝した国吉康雄の最初の遺作展が国立近代美術館で開かれた。毎日新聞社との共催で、会期は二月二〇日から三月二五日迄、油絵、デッサン、リトグラフ七八点を陳列した。

ザッキン新作展開催

1954年02月

嘗つては二科会の在外特別会員として同展に作品を出品したこともあるオシップ・ザッキンの絵画、彫刻展が二月一六日から京橋ブリジストン美術館で開かれた。出品はパリから送られた素描グワッシュ三〇点、彫刻二〇点で、海外彫刻家の作品で、これだけ纏つた個展は始めてであった。

清水良雄の遺産を東京芸術大学に寄附

1954年02月

一月二九日逝去した洋画家清水良雄の遺言状により、大田区田園調布の自宅は東京芸術大学美術部に寄附することになった。又文・帝展特選の大作を初め、主な遺作、画稿等も同大学に保存されることになった。

月光菩薩修理成る

1954年02月

奈良薬師寺の月光菩薩の首の修理が一六日無事終つた。一年六ケ月ぶりの復原を祝つて四月二日開眼供養が行われた。

辻永古稀記念展開催

1954年02月

この二月で古稀を迎えた辻永の画業五〇年記念展が一六日から日本橋高島屋で開かれた。美校時代の旧作から最近作迄、一五〇余点が陳列された。

清凉寺釈迦胎内遺物発見

1954年02月

京都嵯峨清凉寺の本尊釈迦如来の胎内から雍熈二年八月一八日の年記のある造像寄進者名簿と共に延暦二三年の写経、承平八年の仮名書紙片、宋版仏画、染織断片、五臓六腑の摸型などが発見され、同寺住職塚本善隆を中心に、京博、京大の専門家が調査を進めている。

朝日文化賞授賞

1954年01月

昭和二八年度朝日賞贈呈式が一六日朝日新聞社で行われた。朝日賞は京都大学文学部教授田村実造及同講師小林行雄共著「慶陵」に対し、同文化賞は辻善之助著「日本仏教史」その他に対し贈られた。

三井寺秘宝展

1954年02月

二日から一四日まで、朝日新聞社の主催により、日本橋高島屋で開催、秘仏黄不動の初公開をはじめ、同じく秘仏智証大師座像、五部心観等の国宝その他約一〇〇点が出品された。

浅草寺二天門修復

1954年02月

前年春以来改修工事を行つていた浅草寺東側の二天門の修理が終つた。もと随身門として作られ、両脇に神像があつたが明治初年神仏混淆を禁じられてから多聞天持国天が安置されていた。戦前修理の予定で二天を他に移し罹災したが、この門は災害を免れたもので、重要文化財に指定されている。

毎日美術賞決定

1954年01月

第五回毎日美術賞は左の如く坂本繁二郎山本豊市と決定一一日発表された。毎日美術賞の選考は特定の審査委員会を設けず、日本画、油絵、彫刻三部門別に、作家、評論家文化人からのアンケートによる優秀作品を基に、更に作家、評論家の専門的意見を聴取した結果、本社の東京、大阪合同委員会で討議決定する方法をとつている。 油絵 坂本繁二郎 「水より上る馬」(第二回日本国際美術展出品) 彫刻 山本豊市 「頭像」(第三八回日本美術院展出品)及び「エチュード」(第七回新樹会展出品) (以上賞金各一〇万円) 特別賞 荻須高徳 欧洲画壇に於ける活躍と日本美術界への貢献 (賞金五万円)

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