芸術院受賞者に御陪食賜る
1950年05月天皇陛下は恩賜賞、芸術院賞の受賞者八氏をお招きになり三一日午餐を共にされた。
天皇陛下は恩賜賞、芸術院賞の受賞者八氏をお招きになり三一日午餐を共にされた。
初の恩賜賞授賞者小場恒吉他七名に対する二四年度芸術院授賞式は二九日天皇陛下の臨幸の下に国立博物館において挙行された。
三〇日の日本芸術院総会第二日は文部省機構改革以来空白となつていた芸術院会則草案を審議内定した。
毎日主催の第四回美術団体連合展が一四日より開かれた。両陛下が一五日にはおそろいで御覧になつた。
芸術院会員、日本美人院同人中村岳陵は同院に対し二九日辞表を提出した。
駐日ベルギー代表シユヴアレリ夫人を中心に連合国夫人達により発足した美術展サロン・ド・プランタン第二回展が六日開かれた。
法隆寺再建に一時期を劃する壁画抜取作業は東大浜田、桜井両博士立会いの下に一二日四号小壁から着手された。
美術史学会機関誌として「美術史」が便利堂から創刊された。
日系米人前衛彫刻家として有名なイサム・ノグチは二日空路訪日、一九年ぶりに日本の土を踏んだ。二ケ月の滞在中講演や我国美術家との交歓などをする。
アメリカの子供が描いた絵四〇〇点が日赤を通じて日本の子供たちに送られて来たので日赤と都教育庁では全国から子供の作品千点を募集、日米交換子供美術展を二八日より都美術館で開催した。
二四年二月法隆寺火災に関する参議院文部委員会の議に発した文化財保護法は大小六〇数回の会議を経、第七国会において可決成立し、八月二九日から実施されることになつた。
二四年度アトリエ新人賞は一水会小野末と決定した。
装幀相談所主催による一九四九年度出版物の装幀美術展が一二日より三越本店で開催され受賞が決定した。
朝日新聞社主催で大観、紫紅、鉄斎等の名作を十五日より銀座松坂屋で展観した。
二四年度に各種展覧会に発表された優秀作一四点を買上る事に四日決定した。
朝日新聞社提供、国立博物館主催の下にイタリヤ政府から送られたルネツサンス期名作複製の数々が六日より三〇日まで国立博物館表慶館に展観された。
毎日新聞社主催で一日より大阪松坂屋で藤田嗣治回顧展が開かれた。
我国城郭建築の代表的遺構であり、また代表的な桃山障壁画の遺品をもつことで美術史上にも知られている名古屋城は戦災で焼失したが、取りはずしの出来る襖絵の類はほゞ災厄をまぬがれたので、それらの遺品を一日より一ケ月間国立博物館で公開した。
昭和六年東美卒の洋、日、彫・工・建の作家一四名が六窓会を結成、団体意識を離れて友情で結ぶ第一回展を四月日本橋高島屋に開く。