文化財保護委員会発足
1950年08月文化財保護委員会は五委員を正式任命、高橋誠一郎を委員長として文部省内に事務局をおき二九日正式に発足した。
文化財保護委員会は五委員を正式任命、高橋誠一郎を委員長として文部省内に事務局をおき二九日正式に発足した。
東京日々新聞社主催でネオン美術展が二二日より銀座三越で開かれた。
戦後初の仏国政府給附留学生一六名が二三日渡仏した。
日本戦没学生記念会の委嘱で本郷新制作の同像原型が一六日出来上つた。
三ヶ月にわたるイサム・ノグチの滞日中の作品彫刻・新フレーム・新作家具などを一八日より日本橋三越に展観した。
毎日新聞社主催の商業美術展が一八日より三越本店で開かれた。
自由美術家協会会員荒井竜男、朝妻治郎、小松義雄、村井正誠、矢橋六郎、山口薫、植木茂、中村眞は新団体を結成するため六日同会を脱退した。
しばらく欠員だつた東京都美術館長は一四日杉山司七に決つた。
読売新聞社主催により米・仏の近作をはじめ欧州各国の現代美術約一〇〇点を集めて一日より高島屋に展観された。
静岡県登呂遺跡最後の発掘が一日より一ヶ月の予定で始められた。
鈴木翠軒を会長に結成された日本書作院では一日より日本橋三越で結成展を催した。
日本美術家連盟は文部省、建設庁、大蔵省などを訪れ首都建設法の実施に当つて、近代美術館と常設展覧会場を都心に建設することを要望建議した。
青森県下尻屋吹切浜の新石器時代の遺跡発掘調査が一日着手された。
明治の作曲家滝廉太郎の記念像が郷里大分市に建てられることになり朝倉文夫制作の原型が二七日出来上つた。
一水会々員硲伊之助はこの月空路フランスへ渡つた。
岩井弥一郎ら二三名は旺玄会を脱退、一線美術を結成した。
行動美術協会では今秋の第五回展から彫刻部を新設することとなつた。
五名の文化財保護委員については選衡委員会で人選をすゝめていたが二六日の閣議で高橋誠一郎、細川護立、矢代幸雄、一万田尚登、有光次郎と決定した。
埼玉県天洲寺で二八日国宝聖徳太子像が盗まれ三〇日近くの草むらで発見された。
金閣寺放火犯林養賢の第一回公判が二四日京都地裁で行われた。