中川一政

没年月日:1991/02/05
分野:, (洋)

 日本洋画界の最長老で文化勲章受章者中川一政は、2月5日午前8時3分心肺不全のため神奈川県足柄下郡の湯河原厚生年金病院で死去した。享年97。70余年に及ぶながい画業をとおし、ひたすら独自の作風を追求し現代の文人画家とも称された中川一政は、明治26(1893)年2月14日東京市本郷区に警視庁巡査中川政朝の長男として生まれた。同45年錦城中学校を卒業、翌大正2年から1年半兵庫県芦屋市に滞在、この間、雑誌『白樺』を愛読し聖書に親しんだ。また、芦屋滞在中の同3年8月頃から独学で油絵を描き始め、同年10月に帰京後、巽画会第14回展に「酒倉」を出品し入選した。これは、審査員であった岸田劉生の推賞によったという。翌4年早々に代々木時代の劉生を初めて訪ね、3月の巽画会第15回展には「監獄の横」他2点を出品し椿貞雄とともに最高賞にあたる二等銀牌を受賞、10月の第2回二科展には「幼児」他を出品、また、草土社の第1回展となった現代の美術社主催第1回美術展覧会に「自画像」他を出品し、同じく出品した劉生や木村荘八らと草土社を組織し同人となった。草土社展へは、同11年第9回展で終了するまで出品を続けた。草土社結成前後から劉生との交渉が深まり、劉生を通し武者小路実篤、志賀直哉、長与善郎らを知った。ただし、画風は当初から劉生の影響の強いいわゆる草土社風ではなく、独自の抒情性をたたえたものであった。同10年、第8回二科展に「静物(薬瓶の静物)」などで二科賞を受賞、同年有島武郎の推薦で詩集『見なれざる人』を叢文閣から出版した。翌11年、小杉放庵梅原龍三郎らによる春陽会結成に際し、劉生、木村荘八らとともに同会客員として招かれ、翌年の第1回展から出品を続けた。この間、一時ゴッホに傾倒し同14年訳書『ゴオホ』を出した。昭和2年、小杉放庵の肝入りによる老荘会に加わり、以後中国の古典に親しむ。同6年には麹町倉橋邸で最初の水墨画展を開いた。また、同3年に片岡鉄兵『生ける人形』(朝日新聞連載)の挿絵を担当したのをはじめ、同8年には尾崎士郎『人生劇場青春篇』(都新聞連載)の挿絵を執筆、一方、『武蔵野日記』(同9年)『庭の眺め』(同11年)などの随筆集を刊行しすぐれた文才も示した。戦前は、同13年から18年の間、第5回展をのぞき新文展の審査員を依嘱される。戦後は春陽会展の他、美術団体連合展、秀作美術展などで新作発表を行う。同23年には武者小路らとともに生成会同人に加わり、雑誌『心』を創刊した。同28年ニューヨークを経てブラジルへ赴き、翌年ヨーロッパを巡遊して帰国した。また、同33年、39年には中国を訪れる。同33年、ピッツバーグ現代絵画彫刻展に「イチゴと赤絵の鉢」を出品、同42年には『中川一政画集』(朝日新聞記)を刊行した。同50年文化勲章を受章する。初期の日本的フォーヴィスムの画風から、次第に時流を超えた自己の絵画世界を展開し、簡潔明快で清朗な独自の作風をうちたてた。油彩具のほか岩彩もしばしば試み、また、書や陶芸も手がけた。戦後の作品に「マリアの国」(昭和34年)、「尾道展望」(同37年)などがあり、歌集に『向う山』、随筆集に『香炉峰の雪』他がある。

年譜
明治26年
2月14日 東京市本郷区中川政朝の長男に生れる。父母とも金沢の人で、政朝は上京後、警視庁巡査となる。
明治36年
東京府下巣鴨村字向原に転居。巣鴨監獄の近くであった。
明治40年
3月 本郷区誠之高等小学校を卒業。
明治45年
3月 錦城中学校を卒業。
大正2年
この年兵庫県芦屋市斎田家の客となり、滞在一年半に及ぶ。『白樺』を愛読し、また熱心なキリスト教信者であった斎田家の人々の影響で聖書に親しむ。
大正3年
8月 この頃から油絵をかき始める。
10月 東京に帰り、巽画会第14回展に「酒倉」を出品、入選する。「酒倉」は審査員岸田劉生が推して入選したことを後に知った。
大正4年
1月 「霜の融ける道」を描く。この頃画家への志望を強め、はじめて代々木時代の岸田劉生を訪ねる。
3月 巽画会第15回展に「監獄の横」「霜の融ける道」「少女肖像」を出品、このときの最高賞である二等賞銀牌を受賞した。
10月 第2回二科美術展覧会(三越呉服店旧館3階)に「幼児」「弟に与ふる自画像」「春光」を出品、現代の美術社主催第1回美術展覧会(銀座、読売新聞社楼上)に「秋の丘の道」「自画像」「デッサン(鉛筆)」「監獄の横」を出品。このとき出品した岸田劉生、木村荘八らと草土社を組織して同人に加わり、この展覧会を草土社の第一回展とした。劉生との交渉次第に深くなり、また劉生を介して武者小路実篤、志賀直哉、長与善郎らを知る。
大正5年
4月 草土社第2回美術展覧会(銀座、玉木美術店楼上)に「監獄の横(1)」「監獄の横(2)」を出品。
11月 草土社第3回美術展覧会(赤坂溜池、三会堂)に「酒倉」(1914年作)「監獄の横(1)」(同)「霜の融ける道」(1915年作)「習作」(同)「春光」(同)「監獄の横(2)」(同)「山の麦畑(未成品)」(1916年作)「自画像」(同)「うすく曇った日の風景」(同)「素描風景」(同)を出品。
大正6年
2月 岸田劉生鵠沼に転地する。劉生の鵠沼時代は大正12年9月の大震災まで続き、この間しばしば劉生を訪ね、時には1カ月ぐらい泊りがけで遊びに行った。
4月 第4回草土社展覧会(京橋橋際、玉木商会楼上)に「風景」(1916年作)「素画-けぶれる冬」「けぶれる冬」「監獄之横(1)」「静物(1)」「静物(2)」「監獄之横(2)」「静物(3)」「横堀肖像」「素画-久保君の顔」「素画-原野の道」「素画」を出品。
9月 第4回二科美術展覧会に「風景」を出品。
12月 第5回草土社展覧会(赤坂溜池、三会堂)に「うすく曇った日の風景」(1916年作)「風景」(同)「監獄之横(1)」(1917年作)「監獄之横(2)」(同)「夕日落つる踏切」(同)「風景(鵠沼)」(同)「野娘(エチュード)」(同)「少女」(同水彩)を出品。
大正7年
9月 第5回二科美術展覧会に「冬」「夏」を出品。
12月 草土社第6回美術展覧会(赤坂溜池、三会堂)に「冬」(旧作)「静物」「暮春の景色」「練兵場となりし城跡」「スケッチ(1)」「スケッチ(2)」を出品。
大正8年
3月 同人雑誌『貧しき者』を創刊する。発行所は中川方「貧しき者社」である。武者小路実篤や千家元麿らも寄稿し、月刊で10号ぐらい続いた。
9月 第6回二科美術展覧会に「暮春の景色」「下板橋の川辺(冬)」「監獄裏の日没」を出品。
12月 第7回草土社美術展覧会には出品を中止した。
大正9年
4月1日-15日 神田裏神保町6、兜屋画堂において個人展覧会を開催、このとき会場を訪れた石井鶴三を知る。
9月 第7回二科美術展覧会に「静物(1)」「静物(2)」「自画像」「草枯れし監獄の横」を出品。
12月 草土社第8回美術展覧会(赤坂溜池、三会堂)に「肖像断片」「冬の路傍」「自画像」「監獄の横(1)」「監獄の横(2)」「静物(1)」「静物(2)」「静物(3)」「初冬の道」「池袋の麦畑」「男の肖像」を出品。
大正10年
2月 詩集『見なれざる人』を叢文閣から出版する。有島武郎の推薦と叢文閣主人の好意で実現した。
9月 第8回二科美術展覧会に「静物」「静物」「静物小品」を出品し、二科賞を受賞する。
この年画室を新築する。
大正11年
1月14日をもって春陽会成立し、木村荘八、岸田劉生、椿貞雄、万鉄五郎、斎藤与里らと招かれて客員となる。大正13年第2回展のとき客員制を廃した。
11月 草土社第9回美術展覧会(赤坂溜池、三会堂)に「静物」「初夏川畔」「初夏川畔」「厨房静物」「厨房静物」(以上油絵5点)、「白描居留地図(画箋)」「白描居留地図(画箋)」「赭墨小品」(画箋)」(以上日本画三点)を出品。
草土社は第9回展で終る。
大正12年
4月 『白樺』第14年4月号に詩八篇を発表。
5月 春陽会第1回美術展覧会(上野公園、竹の台陳列館)に「椿花」「静物小品(其1)」「静物小品(其2)」「静物(其1)」「春暖」「居留地図」「厨房静物」「村の景色」「隅田川」「静物(其2)」を出品。
10月28日 伊藤暢子と結婚する。暢子の兄に舞踊家ミチオ・イトウ、舞台装置の伊藤熹朔があり、俳優千田是也は弟である。仲人は野上豊一郎、弥生子夫妻であった。
大正13年
第2回春陽会展(三越呉服店)「村娘」「村娘(クロッキー)」「中禅寺湖」「二月」「風景」「修善寺温泉」「薄日さす景色」「素描(中禅寺湖)」「素描(行人坂)」「素描(湖畔)」
大正14年
4月 中川一政訳『ゴオホ』〈アルス美術叢書第2編〉アルスから出版される。ひところゴッホに傾倒しその影響をうけた。
9月 巣鴨の画室を引払い東京市外和田堀之内村永福寺隣に移る。
第3回春陽会展「静物(其4)」「静物小品(其1)」「野娘」「肖像(其2)」「肖像(其1)」「中禅寺」「静物(其1)」「静物(其2)」「静物(其3)」「静物小品(其2)」「湯ケ原」
大正15年
4月 『中川一政画集』をアトリヱ社から出版。
5月 第1回聖徳太子奉讃美術展覧会に「上水べり」「春の川辺」を出品。
上野公園に新築された東京府美術館の落成を記念して開催された。
第4回春陽会展「静物小品」「晩春新緑」「初夏水流」「静物」「うすれ日」「野川」「夏景」
昭和2年
9月 小杉放庵の肝入りで「老荘会」という集りができ、週1回田端の放庵邸で漢学者公田連太郎翁に中国古典の講議を聞く。荘子からはじめて、詩経、文選、易経の大半を、昭和20年爆撃をうけるまで続けた。石井鶴三木村荘八岡本一平、かの子夫妻、岸浪百草居、美術記者の外狩素心庵田沢田軒金井紫雲などが常連であった。翁の漢字に対する深い学殖とすぐれた労作に第32回(昭和36年度)朝日文化賞が贈られた。
第5回春陽会展(東京府美術館)「花(3)」「同上(4)」「うすれ日」「チューリップ」「浅春」「花(1)」「花(2)」
昭和3年
6月 7月にかけて片岡鉄兵原作『生ける人形』(朝日新聞連載)の挿絵を執筆する。
第6回春陽会展「信濃川岸」「冬山」「上水べりA」「同B」「山村早春」「山間早春」「山」
昭和4年
9月 春陽会洋画研究所麹町区内幸町幸ビルディング4階に開設される。
第7回春陽会展 「山村春」「生ける人形挿絵」(6点)「歳晩帖(忙中閑人、旅の宿、川国境を為す、仲秋初月、修善寺桂川、山間春浅、独異郷に在り、漁村雨後、山村春宵、窓前他国山、山田猟人来る、黒部渓谷鐘釣)」「郊外」「静物小品」
昭和5年
6月 『美術の眺め』をアトリヱ社から出版。
第8回春陽会展 「朝の道」「冬山の眺め」「枯山」「煙霞帖(煙霞如是好、山中春望、時春雨寒、偶海村月、我愛日本国、海村春望、春自遠方来、能解閑行有幾人、山間日永、漁樵同時)」
昭和6年
5月 麹町、倉橋藤治郎邸において最初の水墨画個展を開催。
9月 佐藤春夫とともに文芸雑誌『古東多方』の編集に携わる。
第9回春陽会展「煙霞帖追補 前山薇也肥」「煙霞帖追補 二月入斧之時」「煙霞帖追補 波浮港」「山家花」「城山」「山裏春(鉛筆淡彩)」「葉桜(岸田国士さしゑ)」「屋上庭園(同)」「頼母しき求緑(同)」
昭和7年
8月 『原色版セザンヌ大画集第3巻静物』(中川一政編輯解説)アトリヱ社から出版される。
第10回春陽会展 「閑行帖(夜半春雨過、誰知山中春、扇面漁樵、身賎知農事、山従人面起、秋風何処至、円窓秋山、能解閑行有幾人)」「夜久野」「日坂」「川奈」「山の刈田」
昭和8年
2月 『美術方寸』を第一書房から出版。
3月 7月にかけて尾崎士郎原作『人生劇場春青篇』(都新聞連載)の挿絵を執筆。
9月 二科会第20回展を記念する回顧作品陳列室に「静物」(1921年作)を出品。
第11回春陽会展 「冬田之畔(遠州菊川)」「信濃之道」「白い壁」「山家秋(水墨)」「人生劇場挿画」(10点)
昭和9年
10月 『武蔵野日記』を竹村書房から出版。
第12回春陽会展 「春浅」「霜の山」「山川呼応」
昭和10年
2月 六潮会第4回展(日本橋、三越)に招かれて「春眺秋望冊」を特別出品。
六潮会は日本画家中村岳陵山口蓬春福田平八郎と、洋画家中川紀元牧野虎雄木村荘八に批評家外狩素心庵、横川毅一郎を同人とする研究団体であった。
3月 東京府美術館10周年記念現代綜合美術展覧会に「冬田之畔(遠州菊川)」(1933年作)を出品。
第13回春陽会展 「芭蕉屏風」
昭和11年
5月 『庭の眺め』を竹村書房から出版。
第14回春陽会展 「白百合花」「富士川」「富士川べり」「山川冬晴」「冬川」「早梅」「覉魂」「身辺屏風」「人生劇場挿画」(11枚)
昭和12年
2月 小川芋銭小杉放庵菅楯彦矢野橋村津田青楓らと墨人会倶楽部を結成。
4月 大阪朝日新聞社主催明治大正昭和三聖代名作美術展覧会(大阪市立美術館)に「山川呼応」(1934年作)を出品。
6月 墨人会第1回展(大阪、朝日会館)に「金魚」「水辺蛙」などを出品。
8月 春陽会講習会のため1カ月間台湾へ行く。
11月 春陽会洋画研究所閉鎖される。
12月 尚美堂主催第1回春陽会日本画展(銀座、三越)に「一茶屏風(二曲一双)」「雪中梅」「我が家に鯉のゐるぞ嬉しき」その他を出品。
第15回春陽会展 「鷲津山」「一茶小屏風」
昭和13年
4月 9月にかけて尾崎士郎原作『石田三成』(都新聞連載)の挿絵を執筆。
6月 墨人会第2回展(上野、日本美術協会)に「俳諧屏風」を出品。
9月 『顔を洗ふ』を中央公論社から出版、第2回文部省美術展覧会(新文展)第2部審査員を依嘱される。
第16回春陽会展 「三月海」「入江(2)」「入江(1)」
昭和14年
3月 満州、北支に旅行する。
5月 12月にかけて尾崎士郎原作『人生劇場風雲篇』(都新聞連載)の挿絵を執筆。
9月 第3回新文展第2部審査員を依嘱される。
10月 第3回新文展に「樹の下の子供」を出品。
11月 石原求龍堂主催中川一政扇面画展(銀座、三昧堂)に、扇面画20点を出品。
第17回春陽会展 「春曇」「牧の郷」「窓外山川」「石田三成挿画(1-6)」
昭和15年
8月 紀元二千六百年奉祝美術展覧会委員を依嘱される。
10月 紀元二千六百年奉祝美術展覧会に「樹の上の少年」を出品。
12月 藤田嗣治石井柏亭小杉放庵石井鶴三木村荘八鍋井克之津田青楓らと「邦画一如会」を結成。
第18回春陽会展 「安良里(1)」「安良里(2)」
昭和16年
3月 邦画一如会第1回展(日本橋、三越)に「万葉屏風(二曲半双)」を出品。
8月 第4回新文展審査員を依嘱される。
10月 大札記念京都美術館秋季特別陳列に「風景」を出品、第4回新文展に「新劇女優」を出品。
第19回春陽会展 「安良里」「椅子の女」「九州の春」
昭和17年
2月 銀座、資生堂において第2回水墨展を開催。
9月 11月にかけて中山義秀原作『征婦の詩』(中部日本新聞連載)の挿絵を執筆。
10月 『美しい季節』を桜井書店から出版。
12月 『一月桜』を大阪、錦城出版社から出版。
第20回春陽会展 「徒然の女」「うらの山」、特別室「静物」
昭和18年
6月 第6回新文展審査員を依嘱される。
6月 詩集『野の娘』を昭南書房から出版。
9月 銀座、資生堂において第3回水墨展を開催。
10月 第6回新文展に「田園五月」を出品、歌集『向ふ山』を昭南書房から出版。
11月 京都、南禅寺無隣庵において石井鶴三中川一政水墨展開催される。
11月 春陽会教場設立され、委員長となる。
第21回春陽会展 「晩春風景」、水墨 「雪晩」「沢」「川蟹」「山桜頬白」「菜畑」「万葉屏風」
昭和19年
7月 本郷、大勝画廊において新作展を開催。
11月 銀座、資生堂において水墨展を開催。
第22回春陽会展(東京都美術館) 「雪(1)」「雪(2)」「寒椿」「雪景」
昭和20年
8月 疎開先の宮城県宮床村で終戦を迎える。
昭和21年
11月 大阪、高島屋において新作発表会を開催。
第23回春陽会展(三越) 「花」
昭和22年
4月 日本橋、三越において中川一政展を開催し、「梨と柿」ほかを出品。
5月 倉敷、大原美術館において講演を行う。
7月 『我思古人』を靖文社から出版。
11月 大阪、高島屋において新作発表会を開催。
12月 『篋中デッサン』を建設社から出版。
第24回春陽会展 「椿桃」「蛙」「柿柘榴」「椿」「林檎」
昭和23年
6月 日本橋、高島屋において石井鶴三小杉放庵木村荘八と第1回春陽四人展を開催。
7月 武者小路実篤、長与善郎らとともに「生成会」同人に加わり、雑誌『心』を創刊。
10月 たくみ工芸店において中川一政浜田庄司新作展開催される。
春陽会25周年記念展 「三島手扁壷」「少年夏帽子」「壷の花」「椿静物(1)」「椿静物(3)」「風和日暖」「鰯」「椿静物(2)」
昭和24年
4月 大阪、高島屋において近作発表会を開催。
5月 神奈川県足柄下郡真鶴町1575に画室を持つ。
5月 第3回美術団体連合展(毎日新聞社主催)に「静物椿の花」を出品、日本橋、三越において第2回中川一政新作展を開催。
第26回春陽会展 「少年像」
昭和25年
3月 第1回秀作美術展(朝日新聞社主催)に「花」を出品。
5月 第4回美術団体連合展に「晩春新緑」を出品。
7月 『香炉峰の雪』を創元社から出版。
第27回春陽会展 「静物水墨」「夏草の花」「マジョリカ壷」「夏花図」
昭和26年
10月 壷中居において中川一政新作展を開催し、「福浦」ほかを出品、大阪、高島屋において中川一政新作展を開催。
第28回春陽会展 「かながしら、かさご」「椿 林檎」「かながしら、貝」「沖のかさご、土瓶」「金目鯛 鯵」「万暦螺細文庫」「煎茶」「柿、みかん」「少年像」「村の夕」「村の眺め」
昭和27年
1月 第3回秀作美術展に「少年像」を出品。
10月 大阪、高島屋、岡山、金剛荘において中川一政新作展を開催。
第29回春陽会展 「漁舟帰る時」「漁村図」「風炉先屏風(春)金目鯛」「風炉先屏風(冬)雪中児童」
昭和28年
1月 第4回秀作美術展に「漁舟帰る時」を出品。
5月 大阪、高島屋において中川一政紙本小品展を開催。
7月 一政花十題展(兼素洞)に「椿静物」、水墨画9点(うち扇面6点)を出品。
10月 龍三郎、一政新作展(兼素洞)に「百合と枇杷」「三島手扁壷」「ダリヤと果物(水墨画)」「福浦」を出品。
11月25日 羽田発、アラスカ、ニューヨークを経てブラジルに渡り、第2回サンパウロ・ビエンナーレを見る。
12月22日 フランス船ラボアジール号でリオデジャネーロを出港、ルアーブルへ向う。
第30回春陽会展 「入江」「福浦港」
昭和29年
1月 第5回秀作美術展に「福浦港」を出品、『見えない世界』を筑摩書房から出版。
1月 ルアーブル着、パリ、ローマほかイタリアの諸都市、ロンドンを見学。
4月16日 帰国。
5月 『大正期の画家』展(国立近代美術館)に「春光」(1915年作)を出品。
8月 『水彩と素描』展(国立近代美術館)に「信濃川岸村(鉛筆)」を出品。
昭和30年
1月 『モンマルトルの空の月』を筑摩書房から出版。
4月 サエグサ画廊において中川一政滞欧スケッチ展を開催、日本橋、高島屋において中川一政新作展を開催。
9月10日 国立近代美術館主催『晩期の鉄斎』展に際し、同館講堂において「鉄斎の芸術」と題し講演を行う。
昭和31年
1月 第7回秀作美術展に「ダリヤの静物」を出品。
5月 名古屋、松坂屋において中川一政新作展を開催。
7月 『日本の風景』展(国立近代美術館)に「福浦港(突堤)」「福浦港(波打際)」を出品、雨晴会第1回展(兼素洞)に「波打際」「ダリヤと枇杷(岩彩)」を出品。
昭和32年
2月 画集『鉄斎』筑摩書房から出版される。武者小路実篤梅原龍三郎小林秀雄と監修に当り、『鉄斎の仕事』を執筆。
3月 雨晴会第2回展に「マリア園の眺め」「大浦天主堂の眺め」を出品。
7月 毎日新聞社主催現代美術十年の傑作展(渋谷、東横)に「福浦港(突堤)」(1956年作)を出品。
10月 漁樵会(小杉放庵中川一政二人展)(ギャラリー創苑)に「魚」ほか扇面8点を出品。
昭和33年
1月 第9回秀作美術展に「マリア園の眺め」選抜される。
3月 日本橋、高島屋において中川一政新作展を開催し、油彩19点、墨彩20点を出品、雨晴会第3回展に「長崎風景(1)」「長崎風景(2)」を出品。
6月 『正午牡丹』を筑摩書房から出版。
10月 光琳生誕三百年記念展覧会が北京で開催されるのを機会に中国を訪問し、北京、大同、西安等を巡遊する。行を共にしたのは団長中川一政、副団長千田是也、石井鶴三谷信一、水沢澄夫であった。
12月 ピッツバーグ現代絵画彫刻国際展に「イチゴと赤絵の鉢」(1957年作)を出品。
第35回春陽会展 「パンジー(1)」「静物」「チューリップ」「椿」「パンジー(2)」
昭和34年
1月 第10回秀作美術展に「マリア園」を出品、『戦後の秀作』展(国立近代美術館)に「マリア園」を出品。
3月 『近代日本の静物画』展(国立近代美術館)に「万暦螺細文庫」「李朝三島手扁壷」「春花図」を出品、雨晴会第4回展に「天主堂」「港の雪(1)」「港の雪(2)」を出品。
7月 中川一政熊谷守一二人展(ギャレリー・ポワン)に「信州の新緑」「長崎小品」、ほかに「ダリア(金地墨彩)」など墨彩3点を出品。
10月 朝日新聞社、東京国立博物館主催明治大正昭和三代名画展(第2会場銀座、松坂屋)に「薬瓶のある静物」を出品。
12月 『道芝の記』を実業之日本社から出版。
第36回春陽展 「バラ、リンゴ(水墨)」「椿、ネルソン壷(水墨)」「アマリリス、マジョリカ壷(水墨)」「長崎の夕暮」
昭和35年
1月 第11回秀作美術展に「長崎の夕暮」を出品。
1月 長与善郎、中川一政武者小路実篤梅原龍三郎四人展(日本橋、三越)に出品、『近代日本の素描』展(国立近代美術館)に「アイリスと金盞花」「芙蓉静物」を出品。
3月 雨晴会第5回展に「佐世保」「平戸」を出品。
5月 「漁村凱風」全国知事会から東宮御所に献納される。
12月 歌会始めの召人に選ばれる。
第37回春陽展 「チューリップ(水墨)」「磯浜」「椿(水墨)」
昭和36年
1月 第12回秀作美術展に「磯浜」を出品。
1月12日 歌会始めの儀皇居内仮宮殿の西の間でとり行われ、下記の召歌を詠進した。御題「若」。
若き日は馬上に過きぬ残る世を楽しまむと言ひし伊達の政宗あはれ
3月 雨晴会第6回展に「薔薇」「椿」を出品。
11月 弥生画廊主催中川一政近作展(文藝春秋画廊)に墨彩14点、油彩22点を出品。
第38回春陽展 「チューリップ」「椿」「長崎風景」「椿、林檎」
昭和37年
1月 第13回秀作美術展に「尾道展望」を出品。
2月 国立近代美術館主催『現代絵画の展望』展(日本橋、三越)に「マリア園」を出品。
5月 雨晴会第7回展に「椿」を出品。
6月 『近代日本の造形 油絵と彫刻』展(国立近代美術館)に「尾道展望」を出品。
6月30日 ミュンヘンのバイエルン独日協会の招待をうけ渡欧の途に就く。途中印度、イラン、イラク、エルサレム、エジプト、ギリシャを経て南仏、スペインを見学する。
10月24日 ミュンヘン市立博物館において現代日本美術に関する講演を行う。
11月2日 帰国する。
第39回春陽展 「舟着き場」「マジョリカ壷の百合の花」
昭和38年
1月 第14回秀作美術展に「舟着き場」を出品。
3月 雨晴会第8回展に「ペルシャ壷の薔薇」を出品。
6月 朝日新聞社主催中川一政スケッチ展(銀座、松屋)に『人生劇場』挿絵7点、『厭世立志伝』挿絵29点のほか、「アシジの町(淡彩)」など風景スケッチ4点、「男子裸体」、芭蕉句扇面屏風2点を出品。
6月26日 朝日新聞社と日中文化交流協会主催の日本現代油絵展が中国で開催されるに当って、画家代表団が中国人民対外文化協会の招待で訪問することとなり、その団長として北京に向う。展覧会は7月に北京と上海で開催され、「福浦港」を出品。
7月23日 羽田着帰国。
9月 『近代日本美術における1914年』展(国立近代美術館)に「春光」(1915年作)を出品、会期中10月5日同館講堂において「草土社の人々」と題し講演を行う。
11月 日本橋、高島屋において中川一政近作展を開催し、「トレド風景」「カーニュ」など油彩、墨彩あわせて22点を出品。
12月 昭和初期洋画展(鎌倉近代美術館)に「樹の下の子供」(1939年作)を出品、『うちには猛犬がゐる』を筑摩書房から出版。
第40回春陽展 「椿」「福浦港」
昭和39年
1月 第15回秀作美術展に「マリア園」を出品。
3月 雨晴会第9回展に「ピカソ壷の薔薇」を出品。
7月 山形県酒田市、本間美術館主催中川一政作品展観に自選の油彩11点、水墨4点、厭世立志伝挿画(着彩)28点、人生劇場挿画(墨)6点を出品。
9月28日 中国人民対外文化協会の招きをうけ、日中文化交流協会代表団の1人として空路北京に到着、10月1日北京で挙行された中華人民共和国建国15周年を祝う国慶節式典に参列。
10月19日 帰国。
第41回春陽展 「湯ケ原の山と海」
昭和40年
3月 雨晴会第10回展に「薔薇」を出品。
4月 『近代における文人画とその影響』展(国立近代美術館)に「アイリスと金盞花」「鉄線花静物」を出品。
4月26日 ソ連定期客船バイカル号で横浜を出帆、ソ連文化省の招待で同国の美術演劇事情を視察した後、イギリス、フランス、イタリアなど9ケ国をまわる。
7月9日 羽田着帰国。
6月 二科会50周年記念回顧展(新宿ステーションビルディング)に「静物」(1921年作)を出品。
8月 忘れえ得ぬ作品展(吉井画廊)に「静物」(1922年作)を出品。
第42回春陽展 「椿とピカソの絵」「海と村落」
昭和41年
1月 中川一政近作展を開催し、吉井画廊の会場に「湯ケ原の山と福浦」など14点、弥生画廊の会場に「薔薇」など9点を出品。
3月 雨晴会第11回展に「ばら」を出品。
6月 近代日本洋画の150年展(鎌倉近代美術館15周年記念)に「下板橋の川辺」(1919年作)「静物」(1921年作)を出品、大阪、梅田画廊において中川一政小林和作作品展開催。
7月 京王梅田画廊、東京梅田画廊において中川一政小林和作作品展開催。
9月 資生堂ギャラリーにおいて『中川一政のアトリエ』展開催。
12月 中川一政小林秀雄監修『鉄斎扇面』筑摩書房から出版。
第43回春陽展 「福浦港」「薔薇ペルシャ壷」
昭和42年
1月 「朝日新聞」に連載の大佛次郎『天皇の世紀』の装画を同46年12月にわたり、34回、204点執筆。
2月 中川一政回顧展(朝日新聞社主催)が銀座松屋で開催。
『遠くの顔』を中央公論美術出版から出版。
中川一政画集』を朝日新聞社から出版。
3月 第12回雨晴会展に「瀬戸内海」「薔薇」を出品。
『近くの顔』を中央公論美術出版から出版。
10月 中川一政展を銀座吉井画廊で開催。
12月 中川一政書展を銀座松屋で開催し、屏風、条幅、額、約170点を出品。会期中ブリヂストン美術館ホールで「書について」と題し講演を行う。
中川一政書蹟』を中央公論美術出版から出版。
第44回春陽展 「春曇(福浦)」
昭和43年
10月 中川一政展を吉井画廊にて開催。
第45回春陽展 「福浦」
昭和44年
6月 「守一・実篤・一政三人展」が吉井画廊で開催される。
昭和45年
1月 紅梅白梅会(瀧井孝作、中川一政武者小路実篤梅原龍三郎熊谷守一)が吉井画廊で開催される。
5月13日 羽田発、フランスへ出発、パリに滞在後、月末からコンカルノへ移り制作に励む。
7月 妻暢子、肝硬変のため入院、帰国する。
10月18日 暢子死去する。
昭和46年
5月 「朝日新聞」連載の大佛次郎「天皇の世紀」挿画展を吉井画廊で開催。
中川一政挿画』(「天皇の世紀」)を中央公論美術出版から出版。
9月 『さしゑ人生劇場』を求龍堂から出版。
10月 さしゑ人生劇場展を吉井画廊新館で開催。
昭和47年
2月 私家版『中川印譜』を寒山会から上梓する。
3月 『中川一政画集1972』を筑摩書房から出版。
昭和48年
10月 水墨岩彩画集『門前小僧』を求龍堂から出版。
第50回春陽展 「箱根駒ケ岳」
昭和49年
1月 『書の本』を求龍堂から出版。
2月 中川一政書展を吉井画廊にて開催。
『一政印譜』を求龍堂から出版。
4月 中川一政展をパリ吉井画廊にて開催し、油彩、水墨岩彩15点を出品。
4月から5月までフランスに滞在する。
昭和50年
中川一政文集』(全5巻)第1巻が筑摩書房から刊行。
昭和51年1月、完結。
日本経済新聞に「私の履歴書」が掲載される。
6月10日 中国文化交流使節日本美術家代表団名誉団長として中国に赴き、北京、西安、上海、無錫などを巡遊。一行は宮川寅雄(団長)、脇田和、中根寛、高山辰雄、吉田善彦加山又造平山郁夫。同月27日帰国。
10月 『腹の虫』を日本経済新聞社から出版。
11月 文化功労者となる。文化勲章を受章する。
第52回春陽展 「箱根駒ケ岳」
昭和51年
2月 中川一政書展を吉井画廊で開催。
中川一政装釘』を中央公論美術出版から出版。
10月 『中川一政画集1976』を筑摩書房から出版。
昭和52年
3月 壮心会書展(平櫛田中奥村土牛中川一政)が京都高島屋で開催される。
昭和53年
10月 中川一政近作展(高島屋美術部創設70年)を東京高島屋、大阪高島屋にて開催。
『私は木偶である』を車木工房から出版。
昭和54年
2月 中川一政近作展を彌生画廊で開催。
歌集『雨過天晴』を求龍堂から出版。
10月 水墨岩彩画集『花下忘帰』を求龍堂から出版。
昭和55年
2月 随筆『88』を講談社から出版。
詩集『野の娘』を創樹社から出版。
3月 NHK教育テレビ日曜美術館「アトリエ訪問・中川一政」が防映される。
6月3日 成田発スペイン、イタリア、フランスを旅行、17日成田着帰国。
『書と印譜』を出版(発行・求龍堂、制作・車木工房)。
昭和56年
2月 米寿記念『中川一政画集88』を講談社から出版。
9月 朝日新聞社主催「中川一政展-私の遍歴」が東京高島屋にて開催される。
昭和57年
2月 中川一政近作展を彌生画廊で開催。
5月 アメリカへ旅行し、ニューヨーク、ワシントン、ボストン、フィラデルフィア等の美術館を見学。
6月 真鶴に新アトリエが完成。
9月 中川一政展(秋田)を秋田市美術館で開催。
10月 中国文学芸術界連合会の招聘により中国を訪問、北京、南京、杭州、紹興、上海を巡遊する。一行は、中川一政(顧問)、宮川寅雄(団長)滝沢修、朝吹登水子、林屋晴三。
金沢市の菩堤寺「久昌禅寺」の寺標を揮毫、建立される。
昭和58年
3月 中川一政展(沖縄)を沖縄三越で開催。
5月 中川一政展(酒田)を本間美術館で開催。
昭和59年
2月 随筆集『画にもかけない』を講談社から出版。
3月 大阪なんば高島屋で中川一政新作展(4月、東京・日本橋高島屋)を開催。
4月 『中川一政ブックワーク』が形象社から出版される。
10月 東京都名誉都民の称号を受ける。
昭和60年
1月 日華美術展(春陽会、中華民国台陽美術協会合同)が台湾国立歴史博物館(台北市)にて開催される。
10月 随筆集『つりおとした魚の寸法』を講談社から出版。
11月 NHKテレビ(1)にて「中川一政・描く日々『92歳、多彩な創作活動』」が放映される。
第62回春陽展 「向日葵」
昭和61年
1月 梅原龍三郎追悼(1月16日死去)「梅原の世界」を「朝日新聞」に執筆。
6月 『墨蹟一休宗純』を編纂、中央公論社から出版。
7月 NHK教育テレビ(3)「ビッグ対談」に「独創をめざし独走す・一休禅師の魅力を通し日本的、東洋的発想の可能性を探る」と題され、柳田聖山と対談。
8月 『陶芸中川一政作品集』が万葉洞から出版。
10月10日 松任市立中川一政記念美術館が開館。同日、松任市名誉市民の称号を受ける。
神奈川県真鶴市においても、真鶴町立中川一政美術館が建設されることになり着工される。
11月 『中川一政全文集』(全10巻)を中央公論社から出版、第1回配本第8巻が発行される。以下各巻は毎月20日に刊行、昭和62年8月完結。
昭和62年
10月 松任市立中川一政記念美術館一周年に当り、新館が開設され、中川一政の周辺特別展が行われる。エッチングと装釘原画を、野上弥生子、岸田劉生、梅原龍三郎石井鶴三、長与善郎、志賀直哉、武者小路実篤高村光太郎富本憲吉バーナード・リーチ小杉放庵らの作品、書簡、原稿などともに展示する。
金沢市石川近代文学館で同館新装開館一周年記念中川一政特別展が開催(10月25日から昭和63年1月31日まで)され、著書、印譜、挿画、装釘原画、装釘書・誌、原稿など文業に関する作品を展示。
昭和63年
1月 第1回春寿会展(日動画廊)に「薔薇」2点を出品。
東京・彌生画廊新館で中川一政墨彩展を開催。
北国新聞に「独行道」(「卒寿をこえて」)を連載。
3月 『裸の字』特別限定版、限定版、普及版を中央公論社から出版。
5月 東京・日本橋高島屋で中川一政新作展を開催。
第65回春陽展 「薔薇」
昭和64 平成元年
2月 東京・彌生画廊新館で中川一政新作展を開催。
平成3年
2月5日午前8時3分、心肺不全のため神奈川県足柄下郡の湯河原厚生年金病院で死去。97歳。同7日東京都杉並区の自宅で密葬が、同23日東京都港区の青山葬儀所で葬儀が執り行われた。
〔本年譜は、『中川一政画集』(昭和42年、朝日新聞社)所収の「中川一政年譜」、並びに「中川一政1988新作展」図録(同63年、高島屋)所収の「略年譜」を基に作成したものである。〕

出 典:『日本美術年鑑』平成4年版(284-291頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2016年08月09日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「中川一政」が含まれます。
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