鍋井克之

没年月日:1969/01/11
分野:, (洋)

 二紀会会員の洋画家、鍋井克之は、1月11日午後2時30分、壊死性胆のう炎、セン孔性腹膜炎、腸閉そくのため大阪市北区の大阪中央病院で死去した。享年80才。鍋井克之は、大阪に生まれ、大正4年東京美術学校卒業、その年二科展に出品して直に二科賞をうけ、大正7年にも再度二科賞を受賞、ヨーロッパ留学後、二科会会員となったが、敗戦までの大正・昭和と毎年二科展に出品した。大正13年には小出楢重らと大阪市に信濃橋洋画研究所を設立し、関西洋画界の発展に尽力した。戦後は、同志と二紀会を創立し、委員をつとめ、関西洋画壇の指導的地位にあって、昭和25年には日本芸術院賞を受賞、昭和37年には大阪天王寺の民衆駅に壁画「熊野詣絵巻」を制作した。昭和39年には浪速芸術大学芸術学部長に就任。その間にも国内各地を旅行して制作し、重厚な作風でしられたが、演劇を好み、歌舞伎を愛し、また随筆をよくし、著書も多い。
年譜
明治21年(1888) 8月18日、大阪市に生まれる。父は土佐藩士、田丸良也(当時勇六郎)、母、房。父は、明治元年2月、堺港に上陸したフランス兵と警備にあたっていた土佐藩士と間に起った衝突事件堺事件に連座し、くじにより切腹をまぬがれた9名のうちのひとりであった。
明治28年 大阪市西区堀江小学校に入学する。
明治29年 本家の鍋井家を相続する。
明治36年 大阪府立天王寺中学校に入学する。上級に伊庭孝、折口信夫らがおり、下級に宇野浩二、寺内万治郎耳野卯三郎青木大乗小出卓二らがいた。松波長年につき日本画を学ぶ。
明治41年 天王寺中学校を卒業 東京美術学校の受験に失敗し、白馬会洋画研究所に入り長原孝太郎に学ぶ。
明治42年 東京美術学校西洋画科に入学、同期に小出楢重、大久保作次郎らがいる。
大正2年 巽画会展に「虎の門赤煉瓦風景」出品。
大正3年 宇野浩二を通じて広津和郎、葛西善蔵ら早稲田系の文学者、倉橋仙太郎、沢田正二郎ら演劇人と交友する。倉橋、沢田、秋田雨雀らと美術劇場をおこし、有楽座で第1回公演を行なう。そのため卒業は延期されたが、第1回二科展に出品入選する。
大正4年 東京美術学校西洋画科を卒業。2回二科展に「秋の連山」を出品して二科賞をうける。宇野浩二の勧めで雑誌『改造』『中央公論』などに小説を発表する。
大正6年 平井澄江と結婚する。
大正7年 第5回二科展において再度二科賞をうける。
大正11年 2月、大久保作次郎足立源一郎らと同船してヨーロッパに留学。
大正12年 5月帰国する。関東大震災のため大阪にとどまる。
大正13年 小出楢重、黒田重太郎国枝金三らと大阪に信濃橋洋画研究所(のちに中之島洋画研究所)を創設する。第11回二科展に滞欧作を出品する。
大正15年 中央美術社より『西洋画の理解』出版。
昭和3年 東京文啓社書房より、黒田重太郎との共著『洋画メチェー・技法全科の研究』を出版。
昭和5年 大阪府豊能郡北轟木村(現、池田市住吉1-12-4)に転居する。
昭和8年 東京紀伊国屋で最初の個展を開催する。
昭和9年 随筆書『和服の人』(書物展望社)を出版。
昭和14年 満州、中国へ4ヶ月間写生旅行、崇文堂より『風景画の描き方』を出版。
昭和15年 『富貴の人』(小出書店)を出版。
昭和18年 奈良に疎開する。『絵心』(小川書店)を出版。
昭和21年 二科会再建に参加せず、中川紀元黒田重太郎宮本三郎らと第二紀会を結成する。
昭和22年 『寧楽雅帖』(宝書房)を出版。
昭和25年 第3回二紀展の出品作「朝の勝浦港」をはじめとする風景作品によって昭和24年度日本芸術院賞をうける。
昭和26年 京阪神在住の画家文人、小磯良平、竹中郁らと風流座を結成し、市川寿海の指導によって大阪三越で第1回公演を行なう。以後昭和33年までに6回公演。
昭和28年 朝日新聞社より随筆集『閑中忙人』を出版。
昭和33年 大阪市民文化賞、なにわ賞をうける。
昭和34年 浪速短期大学教授、デザイン美術科長に就任する。『大阪繁盛記』(布井書房)出版。
昭和35年 池田市名誉市民となる。
昭和37年 国鉄天王寺駅コンコース壁画「熊野詣絵巻」を完成。『大阪ぎらい物語』(布井書房)出版。
昭和38年 浪速短期大学壁画「輝やける学園」完成。白浜三段壁に鍋井克之記念碑建てられる。
昭和39年 浪速芸術大学教授、芸術学部長に就任する。
昭和44年 1月11日死去。
1月25日、市立池田小講堂において池田市葬。
 作品年譜
二科展:大正3年「赤い校舎」、同4年「秋の連山」、同5年「海近き山」「入江の木かげ」、同6年「河岸の家と木」「蓮池」、同7年「せばまりたる海水」「海に沿う丘」「秋」「雪の山」「池畔早春」、同8年「雪の路」「秋の小流」「海辺の断崖」「六月の田園」、同9年「春」「初冬暖日」「曇りの入江」「雪の風景」「夏の池」、同10年「草の中の路」「熱海の早春」「初夏の虎の門女学校」「海岸風景」「晩春の虎の門女学校」、同11年「晩秋の淡路島にて」「池畔の梅林」「静物」「能登の海」「五月の築地河岸」「北国の海岸」、同14年「滝」「山ふところの早春」「庭より見たる春の海」「牛滝山の滝」「伊豆風景」「静物」、同15年「海辺の村」「山麓の村」「海岸の丘より」「入海の風景」「静物」、昭和2年「水車のあるほとり」「春の中之島公園」「隠れた水車」「冬近き風景」「蜜柑山と海」「雪の小停車場」「静物」、同3年「浄山の水車」「谷川の秋」「梅園」「水ぬるむ湖畔」「チューリップ」、同4年「北国の海岸」「湖畔の朝」「伊豆の街道」「春雪」「豹」「夏の山路」「桃」、同5年「弓削島海岸」「汽車の走る風景」「夢殿(法隆寺)」「籠の桃」「海辺夏景」、同6年「北陸勝景」「水際の静物」「春の浜辺」「奈良の月」「湖畔の梅」、同7年「鴨飛ぶ湖畔」「風の日の湖畔」「海水浴場の燈」「滝」「静物」、同8年「春」「虎」「刈田の雨」「水車小屋の富士」、同9年「田鶴の海岸」「田圃の梅」「涼夏山水」、同10年「雪月花(天の橋立の雪、吉野山の花、三笠山の月)」「溪間の流」「芦の湖」「桃」、同11年「榛名湖」「温泉の流れ」「行水」「鮎壺滝の富士」「静物」、同12年「二筋の川のある村」「梅雨時の東郷湖」「牡丹」、同13年「梅薫る」「戦況ニュース」「露の奥日光」、同14年「吟爾浜埠頭公園」「時計屋のある街角(新京三笠町)」「吉林松花江畔」、同15年「時雨るる琵琶湖」「箱根冬の富士」「朝の海」「夏の夜の中之島公園」、同16年「梅雨晴れの野尻湖」「太陽の昇る海岸」「夏季静物」、同17年「湖国のみのり」「風強き日の湖畔」「苺」、同18年「雨来る海岸(志摩安乗)」。
 二紀展:昭和22年「風の日の岩角」、同23年「湖上時雪」「花散る湖畔」「白良浜風景」「港の夕映」、同24年「朝の勝浦港」「三段壁」「海近き梅林」、同25年「黒潮」「春の春日野」「海岸の丘より」「白根浜夜景」「静物」、同26年「臨海植物園」「赤目溪谷」「湖岬灯台」「紫陽花と桃」「勝浦千畳敷」、同27年「ヨットのある海岸」「港の夜の雨」「食器と西瓜」「初秋の窓」「燈火静物」、同28年「秋の静物」「夜の窓」「紀伊・勝浦港」「梅林の丘」「南紀東白浜」、同29年「溶樹の庭」「琵琶湖のヨット」「台風のそれる海岸」「名瀬の夕立(奄美大島)」、同30年「雨の海」「秋果静物」「薬師寺」、同31年「月光と海水」「大浦天主堂(内部)」、同32年「梅林の山」「赤い山」、同33年「十二番館の家」「長崎の家(元英国大使館庭内)」「十二番館庭内」「南山手風景(青)」「南山手風景(赤)」「天草灘」「厨房静物」「熊野灘」、同34年「長崎の家(三菱炭鉱クラブ)」、同35年「ツキサップの林檎園」「函館の古き街B」「函館の古き街A」、同36年「南紀の梅林」「北海道行」、同37年「サポッロ北大校庭」「サッポロのリンゴ園」「南紀漁村風景」、同38年「熊野灘」「大内山清雪」「皇居噴水」、同39年「檻野時燈台」「晴れゆく梅林」、同40年「串本」「兜島の熊野灘」、同41年「伊豆熱川海岸」「東本願寺噴水」。

出 典:『日本美術年鑑』昭和45年版(82-83頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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