柳澤孝彦

没年月日:2017/08/14
分野:, (建)
読み:やなぎさわたかひこ

 建築家の柳澤孝彦は8月14日、前立腺がんのため死去した。享年82。
 1935(昭和10)年1月1日、長野県松本市に生まれる。県立松本深志高等学校を経て、54年東京藝術大学美術学部建築科に進学し、吉田五十八、吉村順三、山本学治ら錚々たる教授陣の指導を受けた。卒業後、竹中工務店に入社、28年間一貫して設計部に籍を置き、同社を代表する建築家の一人として活躍した。86年第二国立劇場(仮称、現、新国立劇場)国際設計競技の最優秀賞を機に独立、TAK建築・都市計画研究所を設立し、大型の文化施設を中心に数多くの建築設計を手がけ、1995(平成7)年「『郡山市立美術館』及び一連の美術館・記念館の建築設計」に対して日本芸術院賞が贈られた。
 柳澤の仕事はなんといっても新国立劇場(1997年)に象徴される。通商産業省東京工業試験所跡を中心とした工業地に計画された新国立劇場は、大中小の異なるタイプの劇場を総合する難解な設計条件に加え、劇場としての敷地や立地の適性の問題があり、また複雑に絡みあった法規制や多種多様な舞台関係者の存在など、設計競技の段階から建設時の困難が予想されるものであった。完成するまで12年間の紆余曲折を経ながらも、隣接する民間街区の東京オペラシティ(1999年)を含めて「劇場都市」という壮大なコンセプトでプロジェクトをまとめ上げたその手腕は、竹中工務店時代に培われた柳澤の卓越したマネージメント能力の賜物といえよう。
 柳澤が手がけた建築はゼネコン出身の建築家らしく、総じて作家性を前面にださない堅実な作風を示すいっぽう、有機的かつ明快な平面計画と重層的かつ濃密な空間構成にきわめて独創的な特徴をもつ。たとえば新国立劇場では、外観は飾り気のないオーソドックスなデザインでまとめながらも、各劇場をつなぐ共通ロビーはリニアな吹抜け空間に大階段やバルコニー、トップライトなどを巧みに配置することで欧州都市の広場的な空間をつくり出し、劇場建築に求められる祝祭性を十二分に獲得している。真鶴町立中川一政美術館(1988年)、郡山市立美術館(1992年)、窪田空穂記念館(1993年)、東京都現代美術館(1994年)、上田市文化交流芸術センター・上田市立美術館(2014年)など、日本芸術院賞を受賞した美術館・記念館建築をもっとも得意としたが、竹中工務店時代の身延山久遠寺本堂(1982年)や有楽町マリオン(1984年)、独立後のひかり味噌本社屋(1997年)や軽井沢プリンスショッピングプラザ・レストラン(2004年)など民間建築の佳作も多い。
 吉田五十八賞(真鶴町立中川一政美術館、1990年)、日本建築学会賞(新国立劇場、1998年)ほか建築関係の受賞多数。松本市景観審議会長を務めるなど故郷の振興にも貢献した。
 著書に『柳澤孝彦の建築:平面は機能に従い、形態は平面に従い、ディテールは形態に従う』(鹿島出版会、2014年)、共著に『新国立劇場=New National Theatre Tokyo:Heart of the city』(公共建築協会、1999年)がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(452頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「柳澤孝彦」『日本美術年鑑』平成30年版(452頁)
例)「柳澤孝彦 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824316.html(閲覧日 2024-12-14)

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