昭和60年度芸術選奨決定
1986年02月芸術の各分野で優れた業績をあげた人々に贈られる60年度(第36回)の芸術選奨文部大臣賞13人と同新人賞10人が26日、文化庁より発表された。美術関係では、日本画の荘司福(60年院展「刻」)が文部大臣賞、建築家安藤忠雄が新人賞をそれぞれ受賞した。授賞式は、3月25日東京虎ノ門の国立教育会館で行なわれた。
芸術の各分野で優れた業績をあげた人々に贈られる60年度(第36回)の芸術選奨文部大臣賞13人と同新人賞10人が26日、文化庁より発表された。美術関係では、日本画の荘司福(60年院展「刻」)が文部大臣賞、建築家安藤忠雄が新人賞をそれぞれ受賞した。授賞式は、3月25日東京虎ノ門の国立教育会館で行なわれた。
日本芸術院(有光次郎院長)は25日、60年度(第42回)の日本芸術院賞9名を内定。第一部美術では、恩賜賞に彫塑の高橋剛(60年日展出品作「稽古場の踊り子」に対し)、芸術院賞に日本画の関主税(60年日展出品作「野」に対し)、洋画の広瀬功(60年日展出品作「高原の秋」に対し)、工芸の折原久左ヱ門(60年日展出品作「祀跡(しせき)」に対し)が選ばれた。3月4日までに正式決定された。
フランスの国立視聴覚研究所が、6日モンテカルロで行なった“ニューイメージ”に関する国際フォーラムのコンピューター・グラフィックス(CG)のコマーシャル部門で、日本のCGプロダクションJCGLの出品したデモ用作品が、グランプリを受賞した。
尾形光琳が晩年を過ごした京都二条新町の屋敷が、このほどMOA美術館に復元され、新春より公開されることになった。小西家に伝わる光琳自筆の平面図2図や茶室の起こし絵図、大工の仕様書や見積書などから復元設計されたもので、光琳のデザイン構想が濃厚に反映されていることが明らかとなった。
昭和生まれの作家を対象に、具象絵画・彫刻の新人登竜門として知られる昭和会賞の第21回受賞者が、31日決定した。出品者の生年の上限を昭和16年以降とし、297作家の応募の中から、昭和会賞に、絵画の石垣定哉(「黄麦のフェンテトドウス」ほか2点)、林武賞に彫刻の野崎窮、優秀賞に彫刻の前田忠一、絵画の茅野吉孝が、それぞれ選ばれた。
具象洋画の新人登竜門安井賞(昭和32年創設)の第29回受賞者選考会が23日行なわれ、25日発表された。入選作70点の中から、安井賞に遠藤彰子「遠い日」、佳作賞に福島瑞穂「タナトス」が選ばれ、女性が独占。同賞は2月28日の会議で正式決定され、安井賞展は、3月の東京展(池袋西武)を皮切りに各地を巡回した。
1985年度の毎日デザイン賞が決定、発表された。今回は5名のデザイナーによる集団受賞となった。受賞のタイトルは「“交感スルデザイン”に集まった五人のデザイナーの活動と小池一子」で、その五名は次の通り。安藤忠雄(建築家)、川久保玲(ファッション)、杉本貴志(空間デザイン)、黒川雅之(建築・プロダクトデザイン)、喜多俊之(工業デザイン)。
創造美術やパンリアル美術協会など、戦後の日本画壇に重要な役割を担った運動をふりかえる展覧会が、7日から2月9日まで山口県立美術館で開催された。21作家約70点による展観は、戦後日本画の革新運動の先鋭的な一断面を浮き彫りにした好企画となった。
毎日芸術賞の第27回(1985年度)の受賞者が1日発表された。美術関係者では、日本画家秋野不矩(’85年秋野不矩自選展)、建築家内井昭蔵(世田谷区立世田谷美術館、修養団捧誠会御霊所の設計)、グラフィックデザイナー福田繁雄(「科学万博-つくば’85の『こども広場』の環境デザイン」などのすぐれたデザイン活動)が選ばれた。
昭和61年度の政府予算案復活折衝で、文化庁が要求していた奈良・平城宮の正門朱雀門復元に関し、その第一歩となる調査費が認められ、古代都市の象徴的建造物復元へ動き出すこととなった。文化庁の計画では、同門のデザイン、構造、施工法等の調査の後、63年度より基本設計に入り、65年度着工の予定。
40回目を迎えた昭和60年度芸術祭賞22件が13日文化庁芸術祭執行委員会総会で決定。同賞演劇部門で、舞台美術家の朝倉摂(公演「にごり江」の舞台装置)が受賞した。
奈良県生駒郡斑鳩町の藤ノ木古墳から、先に見つかった朱塗りの家形石棺に加え、金細工やガラスをちりばめた金銅製金具で装飾された鞍が出土、同町教育委員会、橿原考古学研究所により2日公開された。後の調査でこの装飾金具には、四神のほかにライオン、ウサギ等も透彫されていることがわかり、国宝級美術品の出土と共に、被葬者についても諸説が出され、論議をよんだ。
日本芸術院(有光次郎院長)は20日、60年度の会員補充選挙の開票を行ない、新会員6名を内定。第1部(美術)では、皮革装飾の大久保婦久子、書の村上三島、建築の大江宏が選ばれ、12月5日付で文相から発令された。大久保婦久子は夫の洋画家大久保作次郎に続く会員就任で、夫婦会員は前田青邨・荻江露友(邦楽)に次いで2組目。
文化財保護審議会(小林行雄会長)は、15日、国の重要文化財として、山梨県身延町・本遠寺本堂など、6件18棟を新たに認定するよう文相に答申。これで指定総数は1988件3214棟となった。
木簡の史料的価値が高まる中、奈良国立文化財研究所は、日本全国でこれまでに出土した主要な木簡について、コンピューターによる情報処理を可能とするデータベースを完成、4日までに入力を終えた。このデータベースは記載された本文をはじめとする17項目からなる。また日本史研究に不可欠の文献史料である『延喜式』全50巻約3300条の全文もコンピューターに入力を完了、あらゆる事項の関係条文が検索可能となった。コンピューターによる情報処理と利用が、今後歴史研究に多大の便宜を供することが期待される。
明治の廃仏棄釈で荒れた伽藍を修復するため、昭和9年以来半世紀にわたって続けられた昭和の大修理が6月に完成。国宝・重文指定の建造物55棟の修復がすべて終わり、4日、完成を祝う慶讃法要が法隆寺で営まれた。またこれを記念して、東京日本橋高島屋で15日から12月5日まで「法隆寺展-昭和資材帳への道」、奈良県立美術館で10日から12月8日まで「法隆寺の絵画と書跡展」が行なわれ、東西で完成記念展が開催された。
昭和29年に開館し、旧館跡地に新館を建築していた鹿児島市立美術館(鹿児島市城山町4-36)が、10月29日に開館。またかつての福岡県文化会館を改築した福岡県立美術館(福岡市中央区天神5-2-1)が3日に開館し、より充実した設備のもと活動を再開した。
元治元年に生まれた富岡鉄斎の生誕150年を記念し、全生涯にわたる作品を集めた展覧会が、1日から12月1日まで京都市美術館で開催された。絵画、書蹟、器玩など約500点余りに及ぶ出陳は、大規模かつ質の高い展観となった。
奈良県明日香村の伝飛鳥板蓋宮跡付近で木簡1082点が出土、発掘にあたっていた橿原考古学研究所が29日、その一部を公開した。木簡には日本書記の天武10年から12年にかけての記載と同じ文字のものがあり、更に11月3日、壬申の乱(672年)で敗れた大友皇子や大津皇子、大来皇女の名、乱に関係する地名の書かれた木簡も多数あることが明らかにされた。その結果、この遺跡が天武朝の飛鳥浄御原宮であったことを裏づけるとともに、後世の改作説がある日本書記の編纂を解明する上にも重要な史料となることが期待されている。
昭和60年度の文化勲章5名、文化功労者10名が、29日の閣議で決定し発表された。美術関係では文化勲章に書道の西川寧が選ばれ、書の分野で初の受章となった。文化功労者には洋画の田村孝之介、同じく洋画の吉井淳二が選ばれた。文化勲章伝達式は11月3日皇居で、文化功労者顕彰式は11月5日東京霞ケ関の国立教育会館でそれぞれ行なわれた。