一水会日展へ復帰

1958年04月

昨秋旧日展審査方法が不明朗であるとの理由で、一水会より出ている日展審査員の硲伊之助木下義謙高野三三男のほか一水会委員は、13回日展不参加を声明し波紋をなげたが、今回全員個人の資格で日展に参加することになつた。 

「第四科会」日展不参加を声明

1958年04月

新日展の発足に当つて第四科内における「第四科会」と「日本工芸会」関係者が対立して紛糾をつづけていたが、16日日本工芸会系の香取正彦ほか25名は、新日展に参加しないという声明を出した。 

ブラッセル万国博開催

1958年04月

ベルギーにおける万国博は、4月17日から10月19日まで首都ブラッセルで米・英・仏・ソ等43カ国参加のもとに開催された。日本もこれに参加し、日本館(設計前川国男)と庭園を作り、「機械と手」のテーマに日本調のデイスプレイを行つて絵画、工芸品及び模造の土器、埴輪、機械類など多くの出品物を陳列し、日本の文化及び産業の紹介につとめた。その結果日本の独特なデザインを認められ、日本館をはじめ出品物に金賞、銀賞など50数個の賞が送られた。 

日本古美術展開催

1958年04月

欧州巡回日本古美術展は15日パリの国立近代美術館で蓋をあけた。以後約1月半宛でロンドン、アムステルダム、ローマで開催された。 

アジア文化図書館開館

1958年04月

中国、印度をはじめビルマ、タイなどアジア各国より寄せられた図書、写真、絵画など約1万点を集めたアジア文化図書館が三鷹市新川534に1日開館した。同館は郭沫若中国科学院長所蔵の中国文献1300余点寄贈申出が端初となつたものであるが、これが単に日中文化交流のみならず、アジア文化の交流に役立てようと、その構想が大きくなつて、同館の設立をみたものである。 

ルガノ国際版画展(第5回)で受賞

1958年04月

3日から6月15日まで、スイスで開催された第5回ルガノ国際版画展に、日本から16点が出品されたが、そのうち山口源の「能役者」がグランプリ(賞金、邦貨約12万9千円)を受賞、浜口陽三が9人賞の第2位に入賞した。同展はルガノ市で隔年毎に開催されるもので、日本は2回目から参加している。 

日展運営会解散と社団法人日展の発足

1958年03月

昨夏衆議院文教委員会における高津代議士の発言を機として改組を検討中であつた日展運営会は、22日総会を開き、従来の日展運営会を解散して、即日新たに「社団法人日展」として再発足することにきめた。その結果日本芸術院からは分れ、純然たる在野団体として発足したわけで、明治40年以来継続してきた官設展はここに終止符が打たれたことになる。尚展覧会は今秋文部省後援、東京都協賛のもとに第1回が開催された。 

重要文化財指定

1958年03月

文化財保護委員会では29日建造物17件の重要文化財指定を行つた。今回は韮山の江川太郎左衛門の旧宅等4件の民家が含まれている。 

芸術選奨決定

1958年03月

昭和32年度(第8回)芸術選奨文部大臣賞の受賞が決定し、29日文部省から7名が表彰された。これはその年間における最もすぐれた業績と新分野を開いたものに授与されるもので、美術部門は次の通り。なお授賞式は4月12日文部省で行われ、松田文相よりそれぞれ賞状と賞金(5万円)が贈られた。 美術部門 山本豊市 昨年ブリヂストン美術館における個展で、困難な乾漆技術を克服し、「静」から「動」への自由にして温順な表現への発展を示し、新創作への意慾あふれる作品を多数発表し、我国彫刻界に貢献した。 渡辺義雄 多年写真の空間的造型性を追求し、質感、量感の表現、精密描写に独自の技術をきわめ、日本の建築、庭園等を対象に多くの秀作を発表、とくに昨年3回にわたる外遊作品展においてもすぐれた作品を多数発表するとともに、アジア各地を旅行し、写真を通じてアジア諸国との交流を深めた。 

ミッシェルタピエ来日

1958年03月

フランス美術評論家ミッシェル・タピエが、大阪国際芸術祭に参加する産経時事新聞社主催の「新しい絵画世界展(アンフォルメルと具体)」の選者として20日来日した。

西洋美術館起工式

1958年03月

松方コレクション返還については、去る7日同コレクション寄贈法案がフランス国民議会で全会一致を以て可決され、同国よりの返還も漸く実現の見通しがついた。日本側ではその受入れのための国立西洋美術館の建設を急ぎ、21日上野公園凌雲院跡の敷地で、両国関係者参列のもとに起工式が行われた。 

大善寺日光菩薩発見

1958年02月

山梨県大善寺の薬師三尊のうち日光菩薩は、昭和22年盗難により紛失し捜査中であつたが、26日現所有者の申出をうけた同寺住職によりその存在が確認された。同像は木造漆箔で重要文化財に指定されている。 

中津川周辺窯跡調査

1958年03月

日本陶磁協会では岐阜県中津川市周辺に多数散在している鎌倉時代から江戸時代までの窯跡の発掘調査を行うこととなり、20日頃から予備調査を行つた。 

恩腸賞日本芸術院賞

1958年01月

昭和32年度(第14回)恩腸賞並びに日本芸術院賞が決定し、21日発表された。美術部門は次の通りである。なお授賞式は5月26日学士院講堂において、天皇陛下臨席の下に挙行された。 恩腸賞 菅楯彦 「永年の日本画活動と業績」に対し。 日本芸術院賞 第1部(美術部門) 日本画 森白甫 13回日展「花」に対し。 望月春江 同「蓮」に対し。 洋画 中野和高 13回日展「少女」に対し。 彫塑 松田尚之 13回日展「女性」ほか。 鋳金 山室百世 13回日展「鋳銅平足扁壷」に対し。 

太田道灌像除幕式

1958年02月

開都500年を記念して、東京都が建設した太田道灌像(ブロンズ)の除幕式が、24日建立地の都庁前で行われた。像は左手に弓を右手に鞭をもつた狩衣姿の等身大立像で製作は朝倉文夫が当つた。 

衆議院予算第2分科会で文化財保護条約を追求

1958年01月

17日の衆議院予算第2分科会で、社会党の野原覚委員は、4年前調印しながら批准せぬまま放置されている「武力紛争の際の文化財保護に関する条約」の問題を取上げ文化財保護委員会の態度を追求した。同条約は文化財を戦争から守るためユネスコ本部の肝入りで去る29年5月日本を含める50カ国が参加してハーグで調印されたものである。野原委員の質問に対し岡田文化財保護委員会事務局長は、いままでは大国の加入するまで待つつもりであつたが、その後ソ連、フランスも加入したので準備にかかるつもりだが、いつ批准出来るかはつきりいえない。特別保護の対象は少数に限られるので、京都、奈良は幾つかのセンターにわけることなどを考慮中との返答を得た。 

新槐樹社結成

1958年01月

一線美術創立会員岩井弥一郎、千木良富士、石川久三郎、横山嘉平等に旺玄会々員堀田清治等は6日新たに新槐樹社を結成し、公募団体として発足した。 

高村光太郎賞(第1回)

1958年01月

高村光太郎記念会では、第1回高村光太郎賞の受賞を次の通り決定した。同賞は高村光太郎全集の印税をもとにして、詩と造型の二部門を対象に新設されたもので、忌日の4月2日に授賞式が行われ、受賞者に木の盆に「いくら回されても針は天極をさす」と彫つたものをブロンズにした記念品と賞金各10万円が贈られた。なお、高村光太郎記念会の理事長は高村豊周、造型部門選考委員は今泉篤男木内克菊池一雄高田博厚谷口吉郎土方定一本郷新である。造型部門の第1回受賞者は柳原義達(昭和32年度の作品)と決つた。 

ヨーロッパ巡回日本現代絵画展

1958年01月

外務省、国立近代美術館、毎日新聞社主催になるヨーロッパ巡回日本現代絵画展は4月15日ローマ開催を振り出しにドイツ、フランス、ユーゴスラヴィア、エジプト、イランなど6カ国、11都市を巡回し、日本美術の理解を深めた。42作家の日本画、洋画、版画作品109点が送られ、21日から日本橋高島屋で国内展示会が行われた。 

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