堀田清治

没年月日:1984/02/17
分野:, (洋)
読み:ホッタ, セイジ*、 Hotta, Seiji*

 新槐樹社代表、日展参与の洋画家堀田清治は、2月17日心不全のため東京都三鷹市の厚生会病院で死去した。享年85。明治32(1899)年12月6日福井市に生まれ、県立福井中学校卒業後上京、大正9年太平洋美術研究所へ入り高間惣七の指導を受ける。翌10年新光洋画展に出品し受賞、昭和4年には槐樹社展に「靴屋」を出品し槐樹社賞を受賞、その後「飢餓」「基礎工事」でも同賞を受けた。同8年第14回帝展に「炭抗夫」で特選を受け、同11年には新文展無鑑査となる。戦後は旺玄社を改称し同22年発足した旺玄会に同25年に入会し、のち同会代表をつとめたほか、日展には同31年から出品、同32年日展会員、同37年日展評議員、同44年からは日展参与をつとめる。この間、同33年に新槐樹社を創立し代表となる。翌34年から2年間渡仏し、主にアカデミー・ジュリアンに学ぶ。同50年の日展出品作「磨崖不動明王」で文部大臣賞を受賞する。

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出 典:『日本美術年鑑』昭和60年版(241頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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