デモクラート美術協会解消

1957年07月

デモクラート美術協会は、戦後の美術界で前衛的活動をつづけてきたが、このほど会員たちの申合せにより解散した。

東京都美術館の増改築

1957年06月

東京都美術館は建設以来三二年を経て居り、戦後美術団体の増加につれて、その利用者もふえ、このままでは要求に応じきれなくなつてきた。そのため都では予算二五〇〇〇万円を計上し、美術団体の寄附五〇〇〇万円と合せ、増改築工事をすることになつた。工事は一六日に着工し、来年三月一日までに完成する予定だが、はじめの計画では周囲の空地に新築するつもりのところ、都市公園法にふれるためやむなく現在の二階建を三階に直す。展示場は現在より一五〇〇坪ふやし、新しい設備として従来の自然光だけの採光をすべて人工光線に切りかえる。また運搬用エレベーターを設けるなど新趣向をこらす。

インカ遺跡の発掘を許可

1957年06月

ペルー政府は、同国を訪れた東京大学文化人類学教室泉靖一教授に対し、同国リマ州カンカイ谷の発掘研究を許可した。なおペルー政府は許可を与えるにあたり発掘研究の結果をペルー考古学部に報告するよう求めた。

名古屋城再建工事開始

1957年06月

名古屋城の復興再建工事は、一三日、戦災で焼失して以来一三年ぶりに着工された。三四年一〇月に完成の予定で、外観は殆ど昔の姿そのままとし、内部にはエレベーター、換気、照明、消化など最新式設備を施すという。

東京国際版画ビエンナーレ展開催及び受賞

1957年06月

国立近代美術館と読売新聞社の共同主催による第一回東京国際版画ビエンナーレ展は、外務省、文部省後援の下に、一五日から七月一四日まで有楽町読売会館並びに国立近代美術館で開催された。参加国海外二九カ国から五〇〇点、日本作家二〇〇点計七〇〇点が第一会場読売会館に、第二会場の近代美術館では歌麿、北斎の作品がそれぞれ陳列された。なお二九日読売ホールで授賞式が行われ、次の通りそれぞれ賞状及賞金が贈られた。 国際大賞(副賞三〇万円)ジョルジュ・アダム(フランス) 外務大臣賞 リコ・デペンヤーク(ユーゴスラビア) 文部大臣賞 もり・まなぶ(日本) 国立近代美術館賞(副賞三〇万円)浜口陽三(日本) ブリヂストン美術館賞(副賞一〇万円)アントニ・クラーヴェ(フランス) 神奈川県立近代美術館賞(副賞一〇万円)ジョニー・フリードレンダー(フランス) 大原美術館賞(副賞一〇万円)ヤコブ・ピンス(イスラエル)、レオナード・バスキン(アメリカ) 新人奨励賞(副賞総額二〇万円)ジェフリ・クラーク(イギリス)オットー・エグラウ(ドイツ)、泉茂(日本)、吉田政次(日本)

上野東京芸術大学々長渡欧

1957年05月

上野東京芸術大学々長は、六月九日から二六日までベルギーのブリユッセルで開かれる国際学士院連合第三一回総会に出席するほか、欧州各国の美術音楽教育の教育課程を視察するため三一日渡欧した。

桃山障壁画名作展

1957年05月

日本経済新聞社では二八日から六月九日まで、日本橋高島屋で、国宝永徳筆梅ニ小禽図(聚光院)、同等伯筆松ニ草花図(智積院)、同宗達筆風神雷神図(建仁寺)、御物友松筆浜松図、同永徳筆花鳥図その他の桃山障壁画の名作と、この時代の意匠をこらした工芸品を集めて展観した。

梅原竜三郎芸術院会員を辞任

1957年04月

洋画家梅原竜三郎は「自由な立場で自由な仕事をしたい」との理由で、高橋芸術院々長のもとに会員辞任を正式に申入れた。梅原は昭和二三年第四回日展が芸術院主催で開催が決定された際、「官展には反対なのに、その日展の審査を芸術院がやるのでは止めざるを得ない」と辞表を出して居り、このときは芸術院側の慰留で「審査に出ない」ことで会員として止まり現在に至つた。今回も芸術院への不満が取沙汰されたりして居り、芸術院側は極力その慰留に努めたが意をひるがえすことは出来ず、同月三〇日付で、辞任が発令された。

産経児童出版文化賞決る

1957年05月

こどもの日を記念して産経時事新聞社が制定した児童出版文化賞は、その第四回授賞が決定し五日発表された。美術関係では今泉篤男著「西洋の美術」がある。

近世初期風俗画展

1957年04月

東京国立博物館では二〇日から五月一九日まで近世初期から江戸中期にわたる風俗画の代表作七六点を集めて春の特別展を開催した。風俗画を通じて浮世絵版画や肉筆浮世絵の源流をさぐろうとしたものである。

柳里恭展

1957年04月

没後二〇〇年を記念して、奈良国立博物館では二〇日から五月二〇日まで柳里恭展を開催した。柳里恭を中心に、諸大家の代表作約八〇点を集めて初期南画の形成過程を示そうとする試みで、偽作、模作の多い柳里恭研究に一つの規準を示そうとしたものである。

日本イラン文化協定調印

1957年04月

日本・イラン文化協定は十六日日本側岸首相兼外相とナカイ駐日イラン大使との間に調印された。これは戦後我国が結んだ文化協定としては九番目のもので、前文と本文六条からなり、文化交流のあらゆる面での協力を約束している。有効期間は五年間でテヘランでの批准書交換後一カ月で発効する。なおこの協定によりイランでの日本映画祭、日本でのイラン古美術展の開催などが計画された。

十一会結成

1957年04月

創元会の木下幹一、小野彦三郎他七名は、先月末グループ十一会を結成し、創元会に在籍のまゝ自由な制作活動を行うことを意図したが、都合で小野彦三郎、山野正、木下幹一ら七名は創元会を脱会して十一会を再結成した。

中国へ考古学視察団

1957年04月

中国科学院の招きにより原田淑人を団長とする九人の考古学視察団が十六日中国に向け出発した。学問的に重要な地点十七個所、全行程一万キロに亘る視察を行い、博物館、文物管理委員会の参観、発掘の現場視察、中国の考古学者、歴史学者と学術交流をはかるなど、多くの成果をあげて、六月四日帰国した。

文芸春秋漫画賞

1957年04月

第三回文芸春秋漫画賞(賞金一〇万円)は、選考の結果加藤芳郎の最近の漫画作品に決定した。

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