水谷清

没年月日:1977/08/15
分野:, (洋)

洋画家、春陽会会員水谷清は、8月15日心不全のため死去した。享年75。明治35年1月8日岐阜県郡上郡に生まれ、大正9年早稲田大学商科に入学したが同年退学し、以後小杉放庵に師事、また川端画学校に学んだ。大正15第4回春陽会展に「裸女群浴」他1点が初入選し、翌昭和2年の第5回展に「秋日」他2点を出品して春陽会賞を受け無鑑査に推され、同4年の第7回展でも「海女」他4点を出品して春陽会賞を受賞、同年渡仏し、パリのグラン・シュミエールに学んだ。同5年にはサロン・ドートンヌに出品、同年春陽会会友に推され、翌6年帰国の年の第9回春陽会展に滞欧作「五月の小庭」など15点を出品、翌7年にも「セビラのカルナバル」など5点の滞欧作を発表した。同8年春陽会会員となり、同10年秋にはインドに遊学し翌年春に帰国、同年同志と文芸日本協会を興し「文芸日本」を発刊した。また、同15年春陽会の文展参加に際し、審査員をつとめた。戦後も春陽会に制作発表したほか、現代日本美術展などにも出品、また、同32年にはサンパウロ、ビエンナーレ展日本側委員として出席しメキシコに滞在、翌33年にはメキシコ芸術院主催の個展をベヤス・アルテスで開催した。また、同31年から同42年まで金沢大学教授をつとめたほか、同34年からは早稲田大学講師もつとめた。戦後の春陽会出品作に「闘牛」(第36回)「佐藤春夫先生像」(第40回)、「琉球」(第43回)「鬼子母神縁起」(第50回)などがある。著書に『素描スケッチの描き方』(昭和7年春陽堂)、『印度回想』(昭和18年文林社)。

出 典:『日本美術年鑑』昭和53年版(271頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「水谷清」『日本美術年鑑』昭和53年版(271頁)
例)「水谷清 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9689.html(閲覧日 2024-07-26)

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