イタリアから勲章授受

1957年10月

イタリア政府は最高裁長官、日伊協会々長田中耕太郎、文化財保護委員会委員矢代幸雄両名に対し、日伊文化の交流に貢献した功績により、メダリア・ドォーロ・ペール・イー・ベーネメリティ・ベラ・クルトウラ・イタリアーナを贈ると二二日在日イタリア大使館から発表した。同勲章は日本の文化勲章同様最高文化人に贈られるもので日本人の受章ははじめてである。

一水会日展不参加を声明

1957年10月

一水会では、日展の審査方法が不明朗であるとの理由で、同会より出ている日展審査員六名(芸術院会員として加わつている有島、石井、山下の三名を除く)のうち硲伊之助木下義謙高野三三男の三名は、審査員を辞退し、同時に一水会を運営する二三名の委員も之を支持して第一三回日展には出品しないとの声明を二二日行つた。 声明要旨-今年度日展第一三回展覧会一水会審査委員三名は、今回の日展鑑別の方針に対し異議があり、止むを得ず審査員を辞退する決心をした。一水会委員(二三名)は三審査委員の意見を支持し、今回の日展不出品を声明する。硲伊之助木下義謙高野三三男、一水会委員。

文化勲章並びに文化功労年金受領者決定及び授賞、顕彰式

1957年10月

昭和三二年度、第一六回文化勲章並びに第七回文化功労年金受領者一一名が、二二日の閣議で正式決定し、一一月三日文化の日に皇居に於いて授賞式が行われた。当日勲章と勲記が贈られ同九日には文部大臣室で顕彰式が行われ、顕彰状と年金証書(終身毎年五〇万円交付)が贈られた。美術関係授賞者次の通り 文化勲章受領者 西山翠嶂 文化功労年金受領者 中沢弘光 柳宗悦

京都大学イラン学術調査隊

1957年10月

京都大学西南アジア研究会から派遣され、七月二二日山口県徳山から出光興産所属のタンカー日章丸で出発した京大イラン学術調査隊の一行は、約一カ月間イランの遺跡を調査し、二〇日同船で帰国した。一行は加藤一朗文学部講師を隊長に、同大学院学生二名と総勢三名によつて行われた。

平安時代美術展

1957年10月

京都国立博物館では開館六〇周年記念の特別展覧会として二〇日から一一月一五日まで、平安時代美術展を開催した。平安時代の代表作の殆どを網羅する豪華な陳列内容は近来稀な充実した展覧会であつた。

白描やまと絵展

1957年10月

東京国立文化財研究所では開所記念日の行事として一四日白描やまと絵展を開催した。従来の名品に新出の資料を加えて有意義な催しであつた。

フランスから勲章を授受

1957年10月

フランス政府は、日仏文化交流に努力した功労により勲章を贈ることになり、一七日フランス大使館で授与式を行つた。今回はとくに二九年に開催されたルーヴル展を通じ功労のあつた人々で、次の五名に贈られた。 「黒い星」三等勲章実践女子大教授坂崎坦、同国立博物館普及課長野間清六。学芸功労二等勲章国立博物館庶務部長深見吉之助、同学習院大教授富永惣一、同朝日新聞社前企画部次長足立和雄。

日本絵巻物展

1957年10月

大阪読売新聞社では発刊五周年記念事業として、開館二〇周年の大阪市立美術館と共催により、一三日から一一月一〇日まで、御物国宝重文重美の絵巻物を網羅して、絵巻物の名作展を開催した。

通商産業省に産業意匠課を新設

1957年10月

通産省ではデザインの改善と奨励のため、通産局に産業意匠課を新設することに一四日の省議で内定した。これは優良意匠の試験研究、奨励、デザイナーの養成を行い、意匠盗用防止について各原局の統合調整を行わせるものである。

日本国際デザイン協会の設立

1957年10月

広範囲にわたるデザインの向上発展を目ざして日本国際デザイン協会が二日設立された。インダストリアル・デザイン、クラフト・デザイン、工芸、建築等各界のメンバーにより構成され、毎月講演会、座談会等を催す。

東京都文化財新指定

1957年10月

東京都教育委員会文化財専門委員会では、史跡、旧跡等都文化財を新指定し、二日発表した。美術関係では木製軍船ひな形がある。

サムフランシス来日

1957年09月

米国のアンフオルメル派画家サム・フランシスは、東京で個展を開くため二〇日来日した。展覧会は一五日から二〇日まで渋谷東横百貨店で開催された。

毎日産業デザイン賞

1957年09月

第三回毎日産業デザイン賞は、次の通り発表された。 工業デザイン部門-直野善一を中心とする松下電器インダストリアル・デザイナー・グループの作品(該当作品はNR1730型電気冷蔵庫、UB1150型6石トランジスター・ラジオ、MC12型クリーナー)=賞金一〇万円商業デザイン部門-亀倉雄策の一連の作品=賞金一〇万円

国立近代美術館運営協力会設立

1957年10月

国立近代美術館の運営及び事業の発展拡充に協力し、美術文化の向上と海外進出を盛にするため側面から援助する目的をもつて、国立近代美術館運営協力会が二日設立された。事務所は同館内に置き、主な役員は次の通りである。 顧問-藤山愛一郎、一万田尚登、石橋正二郎高橋誠一郎他、会長-足立正、副会長-司忠、吉田秀雄、理事-秋葉武定、古屋徳兵衛、五島昇他。

薬師寺修理完成

1957年09月

奈良西ノ京薬師寺では、金堂薬師如来の須弥座と基壇の修理が三年ぶりに完成したので、二五日薬師如来の遷座作業が行われ、同寺の修理事業は全部終了した。

第四回サンパウロビエンナーレ国際美術展の受賞

1957年09月

ブラジル・サンパウロにおける第四回ビエンナーレ国際美術展は四九ケ国が参加し二二日開会したが、一六日審査終了の結果、日本の浜口陽三の版画作品「静物」が最優秀賞と決まつた。なお賞金は五万クルゼイロで邦貨約九七万円に相当する。

文化勲章並びに文化功労者年金受賞者(三二年度)選考委員決まる

1957年09月

政府は一七日の閣議で三二年度文化勲章並びに文化功労者年金受賞者を決める選考委員一〇名を決め発表した。なお初の委員会が二六日開かれ会長に高橋誠一郎、副会長に高木貞二を互選した。委員次の通り 東大教授科学技術庁科学審議官安芸皎一、東大教授沖中重雄、日本学術会議会長茅誠司、早大演劇博物館長河竹繁俊、日大総長呉文炳、東京女子大学長高木貞二、日本芸術院長高橋誠一郎、元参議院議員美術評論家団伊能、日本芸術院会員辻永、作家野尻清彦。

光悦宗達光琳国宝展

1957年09月

毎日新聞社では光琳生誕三〇〇年を記念し、一七日から二九日まで日本橋三越に於て、光悦、宗達、光琳の系列による装飾派の名品を集めて展観を行つた。

サンパウロビエンナーレ国際建築展の受賞

1957年09月

ブラジルで開かれた第四回サンパウロ・ビエンナーレ国際建築展に、早大建築計画研究室の学生たち竹山実ほか一〇名の設計案を出品して最優秀となつた。同展は毎回一定の課題が決められ各国から応募するが、同大学からは一九五三年の第二回ブラジル・サンパウロ四〇〇年展から出品をつづけ、第二回の課題である「コムニュテイ・センターの計画」案、一九五五年第三回サンパウロ・ビエンナーレ学生建築展の「勤労家族三〇〇〇人のための休養施設」案でともに一等になつて居り、今回の第四回サンパウロ・ビエンナーレ学生建築展に於ける「工場労働者の住居群計画案」で連続三回目の受賞である。  なお、賞金は本年は等級をつけないので日本を含めた四カ国で邦貨約三九〇万円を分ける。

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