塚本善隆

没年月日:1980/01/30
分野:, (学)

元京都国立博物館長、日本学士院会員、中国仏教史研究の世界的権威、塚本善隆は、1月30日心不全のため、加療中の京都府立医科大学付属病院で死去した。享年81。1898(明治31)年2月8日愛知県海部郡に生まれ、幼少より学を好み、15歳で仏門に入ったのも好学の志を遂げんがためであったという。1918(大正7)年京都の仏教専門学校を卒業、引続き20年東京の宗教大学研究科を卒業。23年京都帝国大学文学部哲学科インド哲学選科を修了し、さらに26年同史学科東洋史選科を修了。同年4月仏教専門学校講師になる。28(昭和3)年7月には中国北京大学に留学。翌年5月東方文化学院京都研究所(後の京都大学人文科学研究所)の研究員となり、48年2月文学博士、49年4月京都大学教授、55年10月京都大学人文科学研究所所長(59年9月まで)。61年3月京都大学教授を停年退官(13年後の74年6月京都大学名誉教授の称号を受ける)後、その5月京都国立博物館館長に就任、72年4月までの11年間その要職をつとめた。同年11月勲二等瑞宝章を受ける。一方61年5月からは京都仏教大学講師を、博物館退館後の翌年4月からは華頂短期大学学長となる。76年11月、多年にわたる中国仏教史研究の功績により、日本学士院会員に推挙される。京都国立博物館在任中、63年には新事務所とこれに附設する講堂が建設され、引続き66年に新陳列館や造園が完成、翌年にも他の施設が建設されるなど、旧来の館の面目を一新させた。さらに旧陳列館の施設を整備して、その保存と活用に努力し、展示のスケールが拡大され、展覧会が活発に行われるにいたったほか、館の編集にかかわる寄贈品の図録『守屋孝蔵氏蒐集古経図録』(1964年)、『上野有竹齋蒐集中国書畫図録』(1966年)も出版されるなど、国立博物館としての使命達成に尽力した。また63年3月から文化財保護審議会の専門委員をつとめ、文化財の保護と顕彰に貢献した。一方博士は42(昭和17)年10月から74年10月まで、洛西の名刹、五台山清涼寺(嵯峨釈迦堂)の住職をつとめ、その間、54年入宋僧奝然將来にかかる本尊釈迦如来像の修理に当り、胎内から発見された多数の納入物の調査を、各分野の専門家に委嘱し、自らも学術調査に当るなど、学界に寄与するところ大であった。博士には多数の著者論文があり、たいていは中国仏教史に関するものであるが、美術史関係では編著の単行本に『法然上人絵伝』(日本絵巻物全集、角川書店、1961年)、『西の京・唐招提寺』(亀井勝一郎共著・淡交社、1963年)、『京都の仏像』(中野玄三共著、淡交社、1968年)などがあり、また「竜門石窟に現れたる北魏仏教」「竜門石刻録(共編)」(『竜門石窟の研究』所収、座右宝刊行会、1941年)は中国彫刻史資料の研究として注目される。なお博士の主要な著作、論文を集めた『塚本善隆著作集』7巻(1974年1月~75年11月、大東出版社)があり、その第7巻の大部分は美術篇である。

出 典:『日本美術年鑑』昭和56年版(240-241頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「塚本善隆」『日本美術年鑑』昭和56年版(240-241頁)
例)「塚本善隆 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10244.html(閲覧日 2024-03-29)

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