海軍省美術家派遣
1942年05月曩に陸軍省に於ては戦争記録画製作の為作家十六名を選抜現地に派遣したが、海軍省に於ても吾が海軍の活動の様を製作せしむることとなり、作家十六名を選抜、これ等を南方に派遣することとなつた。これ等の作家は安田靫彦、矢沢弦月、三輪晁勢、江崎孝坪、藤田嗣治、中村研一、奥瀬英三、川端実、御厨純一、有岡一郎、宮本三郎、佐藤敬、三国久、石川滋彦、藤本東一路、中村直人である。
曩に陸軍省に於ては戦争記録画製作の為作家十六名を選抜現地に派遣したが、海軍省に於ても吾が海軍の活動の様を製作せしむることとなり、作家十六名を選抜、これ等を南方に派遣することとなつた。これ等の作家は安田靫彦、矢沢弦月、三輪晁勢、江崎孝坪、藤田嗣治、中村研一、奥瀬英三、川端実、御厨純一、有岡一郎、宮本三郎、佐藤敬、三国久、石川滋彦、藤本東一路、中村直人である。
美術団体聯盟は、四日解消し、新に美術家聯盟が結成され、同日上野公園精養軒に於て辻永、石井柏亭、有島生馬、木村荘八等四十余名の作家と大政翼賛会文化部陸海軍報道部代表者出席のもとに発会式を挙行した。
故岡田三郎助記念像除幕式が二十九日東京美術学校々庭に於て行はれた。
日本世界文化復興会主催によるレオナルド・ダ・ヴインチ展覧会の披露午餐会が二十二日帝国ホテルに於て同会及びイタリア大使館共同主催により催された。
十数来年の日本劇画協会は発展的解消を解げ、三日劇美術人二十一名により日本劇画院が創立され、その創立発会式が日比谷三信ビル東洋軒に於て開かれた。
陸軍に於ては皇軍将兵の姿を再現する為作家十六名即ち藤田嗣治、伊原宇三郎、中村研一、宮本三郎、寺内万治郎、猪熊源一郎、小磯良平、中山魏、田村孝之介、清水登之、鶴田吾郎、堂本印象、川端竜子、福田豊四郎、山口蓬春、吉岡堅二を現地に派遣し、戦争記録画を製作せしむることゝなつた。而してその壮行会が朝日新聞社の主催により二十四日夕ニユウグランドに於て開催された。川端竜子、山口蓬春、吉岡堅二、福田豊四郎、藤田嗣治、谷荻陸軍報道部長、浜田海軍少佐、主催者側より村山朝日社長等が出席した。
日本画家報国会では飛行機献納の為日本画新作画展を開催したが、其の全出品は三越の買上ぐるところとなつたので、売上金二十万円を陸海軍恤兵部へ十万円宛献納した。
文展系、日本美術院、青竜社其の他の日本画家の殆んど全部を網羅せる日本画家報国会は、川合玉堂、川端竜子等約百名参加のもとにその結成式を十九日九段軍人会館に於て開催、宣言、決議、事業報告等を行つた。尚その第一回事業として十九日より二十二日まで日本橋三越に於て展覧会を開催した。
彫塑界の最大団体たりし東邦彫塑院は、時局に鑑み日本彫塑家聯盟の結成を期とし今回解散した。
満洲国建国十周年を記念し、小室翠雲は満洲国皇帝陛下に「蘭花」(幅三尺、縦六尺)を献納した。
木村武山及び塾生等は十八日作品二十余点を水戸通信学校に寄贈した。
日本美術院では陸海軍に軍用飛行機を献納することとなり、同人各二点宛を製作、十四、五、六日その完成作品を谷中同院に於て展観した。而して作品は挙げてこれを匿名の篤志家に提供したが、同人からはこれに替へて金拾五万円が同院に寄せられ、同院はこれに故富田渓仙の遺族より寄贈された一千円を加へ、十九日金七万五千五百円宛を陸海軍省に夫々献納した。
西日本文化奨励の為設定された福岡日々新聞社の福日文化賞は、自然科学、文化科学に亘つて決定したが、その美術賞は二科会々員坂本繁次郎に授けられた。
全国女流画家の会員藤川栄子、三岸節子、佐伯米子等は、十一日海軍省を訪れ、建国の佳節に際し全国会員七十四名の作品八十四点を献納した。
三日竹内栖鳳は陸海軍省へ一万円宛金弐万円を献金した。
創作版画の発達と普及を図る為に平塚運一、橋本興家、前田政雄等の木版画家により新しくきつつき会が結成された。同会は展覧会を開催し、又自刻自摺の年刊画集を刊行する予定。
美術家として職域奉公の誠を致すべく、三十一日洋風画家八百名は東京府美術館に参集、一人一点の献画を決議し、その委員を挙げて実行することとなつた。
文展無鑑査級、日本美術院同人及び青竜社々人等在京約九十名の日本画家は、三十一日日比谷三信ビル東洋軒に参集、全日本画家報国会の結成を決議し、その最初の事業として展覧会を開催、その売上金を以て軍用機日本画家号を陸海軍に献納することを決定した。
昭和十六年度朝日賞受賞者は、十日決定発表されたが、同賞贈呈式は二十日午後四時朝日新聞東京本社貴賓室に於て挙行された。美術部門に於ては安田靫彦の「黄瀬川の陣」が選ばれた。尚同日午後六時より同講堂に於て記念講演会が開催された。