日本イラン文化協定調印

1957年04月

日本・イラン文化協定は十六日日本側岸首相兼外相とナカイ駐日イラン大使との間に調印された。これは戦後我国が結んだ文化協定としては九番目のもので、前文と本文六条からなり、文化交流のあらゆる面での協力を約束している。有効期間は五年間でテヘランでの批准書交換後一カ月で発効する。なおこの協定によりイランでの日本映画祭、日本でのイラン古美術展の開催などが計画された。

十一会結成

1957年04月

創元会の木下幹一、小野彦三郎他七名は、先月末グループ十一会を結成し、創元会に在籍のまゝ自由な制作活動を行うことを意図したが、都合で小野彦三郎、山野正、木下幹一ら七名は創元会を脱会して十一会を再結成した。

中国へ考古学視察団

1957年04月

中国科学院の招きにより原田淑人を団長とする九人の考古学視察団が十六日中国に向け出発した。学問的に重要な地点十七個所、全行程一万キロに亘る視察を行い、博物館、文物管理委員会の参観、発掘の現場視察、中国の考古学者、歴史学者と学術交流をはかるなど、多くの成果をあげて、六月四日帰国した。

文芸春秋漫画賞

1957年04月

第三回文芸春秋漫画賞(賞金一〇万円)は、選考の結果加藤芳郎の最近の漫画作品に決定した。

米国で鉄斎展開催

1957年04月

ニューヨーク、メトロポリタン美術館では、四日から五週間富岡鉄斎展を開催し、兵庫県宝塚清荒神清澄寺の所蔵品より選んだ作品五三点を出陳した。会場には同寺坂本法主が連日作品説明にあたり、ボストン・ワシントン等米国各地を巡回した。

ユネスコの発掘国際原則

1957年04月

「考古学上の発掘に際しては外国の学者も国内の学者も同じ立場で発掘できるように国際的な原則を立てよう」というユネスコからの勧告が近く加盟国に出されるというので、日本考古学協会では六日第一九回総会において、日本の態度をきめる為の討論を行つたが意見が対立して結論は出なかつた。

四天王寺発掘調査終了

1957年04月

三〇年夏以来継続して行われた大阪四天王寺の発掘は、一〇日から五月一七日までの第三回発掘を以て一応終ることになつた。創建以来七回も建てかえられている為創建当時の模様を明かにすることは困難とされたが、地表から土層を区切る焦土や灰の線を辿つて、各時代の構造を発掘、礎石、柱あとなどから創建当時の規模を推定するに至り、建築史に資する大きな成果をあげた。

第一一回トリエンナーレで受賞

1957年04月

三年毎にイタリヤのミラノで開かれる国際的なデザインコンクールで、日本デザイン研究所の荒木繁が七部門のうち織物図案で最高賞(賞金二五万リラ)を受領した。

米国に開催の日本水彩画展

1957年04月

ニューヨークのナショナル・アカデミー・ギャラリーでは四日から二一日まで米国務省と日本近代美術館の後援で日本水彩画展が開催された。同展は米国水彩画協会の第九〇回年次展覧会の行事の一つとして開かれたもので、石井柏亭猪熊弦一郎他五〇数点の作品が出品された。

芸術選奨決定

1957年03月

昭和三一年度(第七回)芸術選奨文部大臣賞の受賞が決定し、二七日文部省から九名、一団体が発表された。これはその年間における最もすぐれた業績と新分野を開いたものに受与されるもので、美術部門は左の通り。 福沢一郎 第一線の画家として独自の幻想的画風をもつて、多年にわたりわが美術界の  発展に大きな役割を果したばかりでなく、ことに最近メキシコ、南米を巡り帰朝後、その総決算として開いた大規模な作品展はまれにみる迫力にとんだものとして画壇に新風を送つた功績に対して。 吉阪隆正 ベニス・ビエンナーレ展覧会日本館の建築に当り、幾多の障害を克服してよ  く短期間のうちにすぐれた作品を完成し、日本建築技術の粋を世界に紹介した功績に対して。 なお一三日文部大臣室で授賞式が行われ、灘尾文相から各賞状と賞金が授与された。

富岡八幡の壁画第一号完成

1957年03月

江東区深川の富岡八幡宮では、昨秋新社殿が完成したが、これを飾る壁画九枚を石井柏亭伊東深水松林桂月堅山南風野田九浦服部有恒福田浩湖川崎小虎等に依頼した。その第一号である石井柏亭作の「ごうのいけ」が完成し、二六日運びこまれた。同作は鹿島宮の神池の風致を、四尺×六尺の桐板に油絵で日本画風にまとめたものである。

国宝重要文化財新指定

1957年03月

文化財保護委員会では二九日美術品国宝二件、重文六四件、三〇日建造物国宝三件、重文一二件の指定を発表した。重文は一件の他国立博物館保管のものであつた。これまでの合計、国宝七一三件、重文六二三一件。

第四次重要無形文化財指定

1957年03月

文化財保護委員会では第四次重要無形文化財に久留米絣を総合指定し、また記録保存三〇件も併せ指定し、二七日発表した。

鳳凰堂落慶供養

1957年03月

平等院鳳凰堂の修理が完成して一九日落慶供養を行つた。昭和二八年五月以来修理の専門委員会のもとに、前後一三回にわたる慎重な審議が行われ、一二項目に及ぶ現状変更を経て、鳳凰堂は全く面目を新にした古様にかえつた。

ステパノフソ連文化省対外文化局長来日

1957年03月

日ソ文化交流のための具体的諸問題をきめるため、ソ連のステパノフ対外文化局長が二六日来日した。同局長は二九日外務省を訪問し、日本側からカブキ、文楽のほか日本工芸美術品と図書展の開催を、また工芸品は展覧会後モスクワ博物館で買い入れたい旨を希望し、ソ連側からはバレー団、ピアニストのギルレス、バイオリニストのオイストラッフ二世など代表的な芸術家を派遣したい等具体案を示し、外務省の援助を求めた。なお同局長は日本に三週間滞在し、各方面の関係者と具体的交渉をすすめた。

イラクイラン遺跡調査団第二期発掘開始

1957年03月

東京大学イラク・イラン遺跡調査団の遺跡発掘は、一、二月の雨期を西アジアの一般調査で過したが、三月よりテル・サラサートで第二期発掘が再開され順調に仕事が進められている。

池大雅展

1957年03月

大雅没後一八〇年を記念し中央公論社では五日から一七日まで、日本橋三越に於て一一五点の作品を陳列公開した。この中には従来未発表の作品も多数含まれた。なお同社では同時に約三〇巻の池大雅画譜の記念出版を企画し刊行中である。

石田茂作奈良国立博物館長就任

1957年03月

東京国立博物館学芸部長石田茂作は、九日付で奈良国立博物館長に就任した。昭和一六年「飛鳥時代寺院趾の研究」で文学博士となり、上代美術史及考古学研究に著述論文が多い。