落合朗風
明朗美術聨盟主宰落合朗風は4月12日急性肋膜炎の為赤十字病院に於て逝去した。享年42。本名平治郎。明治29年東京芝区に生る。大正3年画家として立つことを決心し、京都の小村大雲に約半歳ほど師事した。同4年明治絵画会に「后興」を出品、翌年21歳の時第5回文展に「春永」が初入選した。次で8年院展に六曲一双「エバ」を出品し、是が出世作となつた。同10年院展と袂別、13年第5回帝展に「三十三間堂」を出品以後昭和6年迄殆ど毎回出品したが、帝展の内情に嫌焉たるところあり、之と袂別し、青龍社の主張に共鳴して同展第3回に「華厳仏」を出陳し、青龍賞に推奨された。昭和7年青龍社展第4回に「那覇の麗人」を出品、同人に推挙さる。次で同9年、惟ふ処あり、川口春波と青龍社を離脱し、明朗美術聨盟を創立。同年上野松坂屋に創立記念試作展を開催した。爾来同聨盟を率ゐて画壇に活動し、昭和12年3月下旬明朗美術春季試作展の出品画「春夏秋冬」四幅対を完成、又4月1日に紙本横物「白椿」を完成したが翌日から臥床し、同作が絶筆となつた。
其の画風は質朴で、舒情的な題材が多く扱はれ、甘美な色彩と装飾的形式化を其の特徴とした。明朗展第2回出品の「かまくら」は形式の発展を示す佳作であり、将来を期待せしめた作家であつた。
作品略年表
年次 年齢
大正4年 20 明治絵画会第6回展「后興」六曲半双
大正5年 21 第5回文展「春永」
大正8年 24 第6回院展「エバ」六曲一双
大正9年 25 第7回院展「島村余情」対幅
大正10年 26 第8回院展「肥牛」四曲半双
大正13年 29 第5回帝展「三十三間堂」
大正15年 31 第7回帝展「洛外風趣」四幅対
昭和2年 32 第8回帝展「梅ケ畑ノ麦秋」
昭和3年 33 第9回帝展「漁村」
昭和4年 34 第10回帝展「南房漁港」
昭和5年 35 第11回帝展「内陣」
昭和6年 36 第12回帝展「秋の北山」、第3回青龍展「華厳仏」、上野松坂屋に於て第1回個展開催
昭和7年 37 第4回青龍展「那覇の麗人」八曲大屏風 上野松坂屋に於て第2回個展開催
昭和8年 38 第5回青龍展「浴室」二曲大屏風、「室内静物」AB、上野松坂屋に於て第3回個展開催
昭和9年 39 第1回明朗展「人魚」金地六曲一双、「東京風景三題」一、不忍池二、銀座三、地下鉄
昭和10年 40 上野松坂屋に於て第4回個展開催、第2回明朗展「常夏の国」六曲大屏風一双、「三人の音楽隊」「道化」「画人の像」
昭和11年 41 5月上野松坂屋に於て第5回個展開催、第3回明朗展「かまくら」二曲一双、「我が庭の眺め」二曲一双、「遊踪処々」、11月海軍大演習御召艦比叡の御座所奉掲画「章魚」の図を献上
昭和12年 42 明朗美術春季試作展 春夏秋冬「春夢」「彩浜」「秋垣」「雪余」四幅対、「秋柿」
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「落合朗風」『日本美術年鑑』昭和13年版(127頁)
例)「落合朗風 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8458.html(閲覧日 2024-12-05)
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- ■明治大正期書画家番付データベース
- 1919(大正8) 大正八年度帝国絵画番附_807061
- 1920(大正9) 大正九年度帝国絵画番附_807066
- 1921(大正10) 大正十年帝国絵画番付_807076
- 1923(大正12) 大正拾弐年度改正東西画家格付表_806936
- 1923(大正12) 大正十二年帝國絵画番付_807086
- 1926(大正15) 大正十五年版 東洋画家名鑑_807026
- 1937(昭和12) 改訂古今書画名家一覧表 附古今書画名家印鑑譜_807016
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