保尊良朔
本名良作。明治30年3月5日、長野県南安曇郡に生れた。日本美術院研究所に学び、大正11年日本美術院第9回展に「石灰焼」が初入選となつた。この頃は霊水の号を用いていた。その後、大正14年第12回院展に「柿若葉」、昭和3年第15回院展に「石花菜を乾す」、昭和8年第20回展に「鯉」(この時頃から良朔の号を用う)、昭和10年第22回展に「鵜籠」を出品している。日本美術院の試作展にも出品し院友となつたが、昭和12年9月日本美術院々友11名と共に同院を脱退し新に新興美術院を結成し同人となつて活躍した。同展に「石仏」「競馬」「馬二題」「舟正月」「あぐり舟」を発表、昭和25年更に、新興美術院同人中同志5名と共に再興新興美術院として発足、毎年春秋二季の展覧会を開き、「七面鳥」「早春風景」「明神池」等を発表していたが、4月22日逝去した。享年56歳。
出 典:『日本美術年鑑』昭和29年版(156-157頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「保尊良朔」『日本美術年鑑』昭和29年版(156-157頁)
例)「保尊良朔 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8840.html(閲覧日 2024-12-05)
例)「保尊良朔」『日本美術年鑑』昭和29年版(156-157頁)
例)「保尊良朔 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8840.html(閲覧日 2024-12-05)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1937年09月 日本美術院々友十二名脱退