近藤家所蔵富岡鉄斎展
1962年12月大和文華館では、愛媛県松山市三津浜の近藤家所蔵の鉄斎書画跡、書簡を調査し、これら未公開の書画跡45点と、書簡95通に関する調査結果を、展観した。会期は1日から昭和38年2月10日迄。
大和文華館では、愛媛県松山市三津浜の近藤家所蔵の鉄斎書画跡、書簡を調査し、これら未公開の書画跡45点と、書簡95通に関する調査結果を、展観した。会期は1日から昭和38年2月10日迄。
長岡宮跡の調査は昭和30年、34年、36年の3回にわたり、梅原末治博士、福山敏男博士らによつて行われ、多くの建物跡が確認されたが、その遺跡は宅地造成のため危機に面していたが、京都府教育委員会の英断により、大極殿、小安殿跡を含む地域を同府が買上げて保存することになり、買上げ事業に対し補助金18,227,000円の交付が決定された。
文化財専門審議会で、絵画11、彫刻4、工芸品13、書跡7、考古5件、の重要文化財指定が答申され、それにもとずき11月30日指定された。
新庁舎は昭和36年11月27日地鎮祭を行ない、本年3月28日竣工、旧庁舎からの移転も完了したので20日竣工披露を行なつた。鉄筋2階建て建坪338平方米、延坪662平方米で総工費約2,000万円、内部は物理、化学、生物、修理技術、の4研究室に分かれ、最新の実験装置を備え、今後、文化財の科学的研究に一層威力をそえることになつた。
日本美術家連盟が国際的美術家センターにしようと中央区銀座東3ノ2に建設中だつた日本美術家会館がこのほど完成し15日披露した。同会館は地上7階、地下1階、建築綜合研究所設計管理、清水建設施工で日本美術家連盟は5階から7階まで使用し4階以下は芸術関係の団体が入ることになつている。
現在アメリカで活躍する作家たちの作品を1点づつ集めた、アメリカ現代美術を紹介する展覧会(ウィスコンシン州のH・F・ジョンソン・コレクション)海外18ケ国巡回展の第1回展として13日から12月5日までブリヂストン美術館で開かれた。同美術館と朝日新聞社の共催。
文化財保護委員会では、戦災などで焼失した貴重な文化財を写真や製図その他の資料によつて永久に記録する「文化財覚え書き台帳」の作成に着手した。
浦上玉堂、池大雅、白隠、鉄斎ら日本文人画家の作品約200点が、読売新聞社の主催により9日から、約2ケ月間、パリのプチ・パレで展観され、好評をおさめた。
ピカソの代表作「ゲルニカ」をめぐる彼の版画・素描・挿絵など63点の作品が国立西洋美術館、朝日新聞社、アート・フレンド・アソシエイションの共催で、3日から12月23日まで国立西洋美術館で展覧された。これらの作品は1937年のスペイン内戦を契機として作られたもので、それを集約した作品「ゲルニカ」そのものは将来されなかつたが、「ゲルニカ」誕生前後のピカソのイメージの変転の様子が、几帳面につけられた日付によつて辿られるという興味ばかりでなく、ともすれば個人的な世界の内部でのみ営まれがちな現代芸術において、個人と社会との関わり合いをも見事に示す今世紀の代表作の1例としてもまた注目すべき展覧会であつた。
宇和島城天守の修理工事は昭和35年10月着工、2ケ年の工期をもつて、37年9月完成、5日竣工式が行なわれた。
各時代、各階層を通じての日本の服飾の流れを展望する大規模な「日本服飾美術展」が2日から12月2日まで、東京国立博物館で催され、国宝11点、重要文化財24点をはじめ、約400点の遺品および参考美術品が出陳された。
東京国立博物館は創設90周年を迎え、1日記念式典を挙げたが、同日、かねて構内に建築中であつた旧法隆寺所蔵宝物のための鉄筋コンクリート造り宝物収蔵庫の落成式が行われた。
毎日新聞社主催、東京新宿・伊勢丹で巨匠シリーズ展の第2回目として開催されたもので、松園の代表作、未公開の名作60余点を選んで展観、伝統絵画の流れのうえにたつて本格的美人画を確立した松園芸術の全貌をつたえた。
昭和37年度の文化勲章受章者は、平櫛田中、奥村土牛、中村岳陵、梅沢浜夫、桑田義備の6名と決定。文化功労者の中、美術関係者は高橋誠一郎が選ばれ30日正式発表された。勲章受章者と功労者には年額50万円の終身年金が贈られる。
大阪市美術館で18日から11月18日迄、明治期の日本画、洋画、彫刻、工芸、書の名品約200点を展観した。
奈良国立文化財研究所の開所10周年を記念して、東大寺、興福寺、西大寺、唐招大寺、薬師寺、法隆寺の六寺の蔵品を展観する「奈良国宝展」が日本経済新聞社の共催で、16日から28日まで、東京・高島屋において開催された。また奈良国立文化財研究所が昭和34年以来行なつている平城宮跡発掘調査の出土品も同時に展観された。
日本とイタリア両国の文化、学術交流のためローマ市ヴィラ・ジュリアに建設中だつた「ローマ日本文化会館」が完成、12.13の両日、日本から岸信介、門脇駐イタリア大使らが出席して開館式が行なわれた。会館は昭和29年日本、イタリア両国の文化協定締結を機に具体化、イタリア政府から約3000平方米の国有地を無償で借りうけ建設されたものである。設計は吉田五十八で平安朝様式の純日本風総面積2,400平方米、日本庭園1,500平方米で図書館、研究室、講堂を備えている。
フランス美術展に出品されていたロダンの代表作「バルザツク像」(パリ、ロダン美術館蔵)がフランス側の好意で、東京、上野の国立西洋美術館に寄贈されることになり、11日贈呈式が行なわれた。同館がかねてから譲受を希望していた作品で、これによつて我国のロダン・コレクションは一層充実したものとなつた。
日本経済新聞社主催で12日から17日まで東京、東京・白木屋で開催、昭和26年から本年まで12年間の作品約40点が陳列された。
岩手県平泉町の国宝中尊寺金色堂は損傷がはなはだしく、35年度から文化財保護委員会と東京国立文化財研究所によつて調査が行なわれていたが、37年から4カ年計画で修理が行なわれることになり、7日起工式が行なわれた。今度の調査で北条貞時が正応元年(1288)に金色堂を保護するために建てた覆堂(おおいどう)は、北西90メートル後方の地点に移転して別途保存し、金色堂は新たに空気調節装置を備えた鉄筋コンクリートの新覆堂によつて保護される予定。