菱田春草名作展開催

1963年01月

春草の生誕90年記念として、「落葉図?風」「黒き猫」をはじめ初期から晩年迄の作品約60点、画稿を交えた春草の全画業を示す回顧展で、11日から16日迄毎日新聞社主催で渋谷東横百貨店で開かれた。

岡山県立美術館開館記念「岸田劉生名作展」

1963年01月

岡山県総合文化センターが落成して県立美術館が誕生、「岸田劉生名作展」を以て開館した。なお岸田劉生展を第1回として、今後毎年、東西古今の第一級美術品を集め「100万人の展覧会」を開催すると発表している。劉生展は、2日から20日迄、松方、森村両家所蔵の作品を主として約50点が陳列された。

盗難の霊山寺毘沙門天発見さる

1963年01月

昨年12月12日、奈良市の霊山寺東光院弁天堂から木造毘沙門天立像(重要文化財)が盗まれたが、1月10日寺近くの田圃に捨てられているのを発見された。

「フランス美術展」京都で開催

1962年01月

昨年11月3日から70日間にわたつて東京上野の国立博物館で開かれていた「ルーブルを中心とするフランス美術展」は15日で終了、21日から3月15日まで京都市美術館で関西展が行なわれた。

日本名陶百選展

1962年01月

日本陶芸の名品のうち、とくにすぐれたもの100点を選んだ「日本名陶百選展」が、日本経済新聞社の主催のもとに1月5日から21日まで、日本橋高島屋で開かれ、国宝、重文25点を含む、名品が並べられた。

朝日賞決定

1962年01月

昭和36年度第32回朝日賞の受賞者が3日発表された。美術関係では、「東京文化会館ほか一連の作品に示された近代建築への貢献」により前川国男に文化賞が贈られた。

東大でハニワ盗難

1960年02月

東京大学理学部では3階人類学教室前廊下の陳列ケースに入れてあつた宇都宮雀宮出土のハニワ女子立像(33年重要文化財指定)が盗難にあつたが、2月23日犯人を逮捕、ハニワは無事に戻つた。

学士院恩賜賞、学士院賞の受賞者決定

1960年02月

昭和35年度恩賜賞は、「醍醐寺五重塔の壁画研究」により東京国立文化財研究所の高田修伊東卓治上野アキ、柳沢孝、宮次男並びに名古屋大学理学部山崎一雄教授の5名に対して贈られた。この共同研究は昭和31年から約2年余にわたり、主に文部省科学研究費補助によつて行われたもので、醍醐寺五重塔の解体修理に際し、同壁画の調査及び同塔の沿革(高田)、壁画の概要(高田)壁画の図像(高田・柳沢)壁画の様式と技法(柳沢、宮)装飾文様(上野)彩色顔料(山崎)初層天井板の落書(伊東)等にわたる綜合的研究で、以上の6名がそれぞれ研究を分担した。なお、高田修は昨年の学士院賞につづく再度の受賞である。又、上野アキ、柳沢孝は学士院両賞を通じて女性として初めての受賞者である。授賞式は5月18日に行われる。

法隆寺東室の解体修理完成

1960年02月

文化財保護委員会が2千3百万円で、去る32年1月から進めてきた法隆寺東室の解体修理とその復元工事は、このほど完了した。

奈良勝林寺の仏像売りに出る

1960年02月

奈良県斑鳩町高安の勝林寺では、本堂再建資金の調達と重要文化財の仏像の保持困難を理由に、重要文化財指定の仏像三体を売却する法的手続をとつた。仏像は、木造十一面観音立像、聖観音立像、薬師如来座像の三体で、文化財保護委員会ではこれを許可した。

岡田謙三、フォード美術賞をうける

1960年01月

フォード財団が優秀な画家、彫刻家らを選んで援助する美術賞は全米から選んだ美術家6人に各1万ドルづつ贈られることになつたが、在米中の岡田謙三もその一人に含まれた。

毎日芸術賞受賞者決定

1960年01月

毎日新聞社が新に設けた毎日芸術賞の授賞が1日発表された。美術賞は海老原喜之助「蝶」と決定、なお大賞は文学部門の井上靖「敦煌」に贈られた。

朝日賞決定 

1960年01月

昭和34年度の朝日賞は、文化部門7名、社会奉仕部門1名、体育部門16名、計24名に贈られることとなつた。そのうち美術関係の受賞者は柳宗悦で、日本民芸館の創設と民芸運動に尽した功績によつて文化賞が贈られた。文化部門の贈呈式は1月16日で本賞(賞牌)と副賞(50万円)が贈られる。

奈良で古墳発掘

1962年12月

橿原考古研究所では奈良県高市郡明日香村の鑵子塚古墳の発掘を7回行つたが、その結果、立室の規模が同村の石舞台古墳より大きく、珍らしい構造のものであることがわかつた。 

平城京跡の買い上げ決定

1962年12月

文部省では、その完全な保存につき、各方面で要望されていた平城京跡を国費42,700万円で買い上げることに、28日決定した。

平櫛田中、「五浦の釣人」完成記念展

1962年12月

平節田中は、去る2月以来、茨城県五浦で釣に親しんでいた岡倉天心の面影を、木彫で制作していたがこの程完成したので、発表をかねて旧作をも展観した。天心像は釣竿とビクを手にした姿で頭部は桜材、体躯は玉樟で高さ2.4米、来春、更に箔置、彩色して院展に発表のあと茨城大学五浦研究室(五浦の旧天心邸)に置かれる。21日から26日まで東京日本橋三越で開かれた。

「中国美術史研究日本学術調査団」中国に出発

1962年12月

中国人民対外文化協会の招待により3週間の予定で18日、中国美術見学に出発した。調査団は団長米沢嘉圃、藤田経世、長広敏雄、宮川寅雄、吉沢忠の5名の外、日中文化交流協会の白戸吾夫氏が加わつた。美術関係者の訪中は今度で3回目だが、美術史研究家だけの訪中は初めてである。

興福寺阿修羅像型どりで問題化

1962年12月

17日興福寺の国宝彫刻八部衆のうち阿修羅像の模作を東京の業者が申し入れ、許可したところ約束に反して直接型どりを行ない、各新聞が取上げたが、像自身には実害なく問題は解決した。

山梨県で民家の特別調査

1962年12月

文化財保護委員会による昭和37年度の建造物調査(民家調査)が山梨県下で行われることになり、その第1回予備調査が4日から8日まで塩山市付近について行われた。

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