オリンピツクポスター図案
1938年04月オリンピツク東京大会宣伝用のポスター図案は、昨年懸賞募集を行ひ当選作品も決つたが、組織委員会では更に和田三造に委嘱し新な図案が出来たので四月二十五日之を発表、大会の公式ポスターとして作製し海外へ宣伝することとなつた。又札幌の冬季大会の為のポスター図案は伊原宇三郎に委嘱、五月二十四日完成された。
オリンピツク東京大会宣伝用のポスター図案は、昨年懸賞募集を行ひ当選作品も決つたが、組織委員会では更に和田三造に委嘱し新な図案が出来たので四月二十五日之を発表、大会の公式ポスターとして作製し海外へ宣伝することとなつた。又札幌の冬季大会の為のポスター図案は伊原宇三郎に委嘱、五月二十四日完成された。
商工省では鉄鉱の民間消費を制限する為昨年輪出入品臨時措置法に基き鉄鉱工作物築造許可規則を制定、特に建築につきある程度の制限をなしたが、更に民間における鉄鉱消費節約の徹底を図ることとなり、四月二十五日省令を以て銑鉄鋳物の製造制限を発令した。商工大臣の指定する物品は特別の事情により地方長官の許可を受けたる場合の外銑鉄を以て鋳造することを得ずとなすもので、五月十五日より施行される。同時に商工省告示を以て左の通り禁止の物品を指定した。 文鎮、鉛筆削、インク壷、ホチキス、貯金箱、火鉢、茶道用風呂釜、天水鉢、扇風機(工鉱業用ノモノヲ除ク)、鏡台、煙草セツト、灰皿、花器、水盤、灯篭、火消壷、玩具、鋏、柱掛、額縁、茶卓、菓子皿、置物、電気スタンド、電灯支柱用腕木、門柱、扉、瓦、持送り、看板、風窓、窓枠分銅、椅子、金庫(手提金庫ヲ含ム)、帽子掛、掃除器、手摺、格子陳列台、街頭照明柱、電柱、欄干、棚、交通標識、街路樹保護板、溝蓋、紙屑箱
洋画団体S・P・A・集団は一先づ事業を終了したものとして解散することとなり、四月二十三日その旨を発表した。
オリンピツク東京大会主競技場は明治神宮外苑に建設することに昨年決定されたがその後駒沢移行案が唱へられ関係方面で種々検討中の所、愈々その実現性が確められたので四月二十三日組織委員会に上程、遂に神宮外苑案を棄てて駒沢案に決定した。競技場の構築には東京市が当り競技終了後は東京市の所有とするものである。尚同競技場の設計も東京市建築課で完成された。総坪数十四万坪、総工費は村を入れて九百五十万円。
商工省では昨年十一月から百瓩以上の建築物の屋根、庇、樋その他に銅の使用を禁止してゐたが、愈々銅不足を告げるに至つたので、五日一日から銅及び銅合金を用ひた物品は輸出品以外は総て地方長官の許可を得なければ製造出来ぬこととし、省令第十八号を以て銅使用制限規則を改正、四月二十三日の官報で公布した。
日本万国博覧会秩父総裁宮殿下奉戴式は、四月二十一日午後日比谷公会堂で盛大に挙行され殿下より優渥なる令旨を賜はつた。
佐分賞本年度受賞者は予て委員の間で銓衡中であつたが、左記五名に決定。四月二十一日数奇屋橋東京ニユーグランドに於て関係者参列の上披露した。今回の銓衡は特に戦線に活躍する出征画家の中から選び、その労を犒ふ意味が含まれてゐるものである。 笹岡了一(白日会)、中村節也(独立美術協会)、原精一(春陽会)、平通武雄(東光会)、山田正(国画会)
紀元二千六百年記念日本万国博覧会の東京会場は広袤四十五万坪の東京湾埋立地に総建坪六万坪の建物を作る計画で、その全体の模型が四月十九日完成された。
パウルツチ候を団長とするイタリア使節団の来朝を機として、伊達伯爵家では同家の家宝とする支倉六右衛門将来の油絵その他の遺物を、四月十五日イタリア大使館に陳列して使節団の閲覧に供したがその節、同家に伝はる伊達正宗使用の提げ重をムツソリーニ首相に贈呈することとなり、当主興宗伯よりパウルツチ候に伝達方を依頼した。
九州、沖縄各県市工芸関係官職員協議会は、四月十三日から十五日迄沖縄県工業指導所で開催、各県提出の協議事項を審議した結果九州、沖縄工芸協会設立の件、国立工芸指導所を九州に設置促進の件等を可決した。
世界大戦当時濠洲の軍用船団護衛の任に当つた軍艦伊吹の雄姿は、荒井陸男筆油絵として海軍館に保存されてゐるが、元シドニー総領事徳川家正、大阪商船社長村田省蔵両名は、日濠親善の為同じ主題の油絵を濠洲政府に贈ることとし、同作者に製作を依嘱した。作者は一月三十一日渡濠し、同政府の厚意によつてあらゆる参考資料を調査、下図製作等をなし四月十三日帰朝、縦七尺、横十尺の画面を揮毫することとなつた。
前衛洋画団体飾画は四月十四日解散を発表した。
大蔵省が募集した貨幣図案は、四月十三日審査委員会で九三三一点の応募作品中から十銭、五銭の有孔のもの及び一銭の無礼のものにつき夫々当選一点、選外佳作五点づつを決定発表した。 有孔のもの、当選 大阪市小薮利一、選外佳作 同人、松尾忠次、高井界雄、中尾竜作、北川有三 無孔のもの、当選 京都市稲垣耕四郎、選外佳作 九山秀夫、荒川亘弘、森勝三郎、村野嘉寿吉、山田甲子雄
東京に於ける日本画の新団体として伊東深水等二十余名の作家により、四月十二日日本画院が結成された。去る二月解散した日本画会の旧同人中の主なる者が中心となつたもの、一派一党に偏せざる公共的試作発表機関たらしめんとする趣旨で、明春第一回公募展を開く予定である。
現代日本画家九十五名から作品の寄進を求め、新客殿の天井を飾らうとする奈良県当麻寺中之坊では、完成した五十枚の板絵によつて四月七日一室の天井だけの嵌め込みを完了した。
超現実主義の団体「エコール・ド・東京」は四月二日解散を声明した。
新に制定された支那事変特別税法によつて、四月一日から入場税、物品税等が施行されることとなつた。入場税として博覧会、展覧会等は入場料の一割を課せられる。物品税は書画及骨董の入札等で総額一万円を超える場合、その他貴金属製品、喫煙具、室内装飾用品、家具等一定価格以上のものに課し、税率は価格の一割五分乃至一割である。
三月二十三日来朝のイタリア使節団長パウルツチ候は、ムツソリーニ首相より畏き辺りへの献上品及び近衛首相への寄贈品を初め、同国外相、内相その他より我が広田外相その他へ夫々寄贈品を齎したが、いづれも同国古来の彫刻名作品の複製で、その中パウルツチ侯より小橋東京市長に贈られた「ローマの牝狼」青銅像は日比谷公園に飾られることとなり、据付を了して三月三十一日除幕された。
金沢市泉旭町に新築中であつた同指導所建物が竣工したので、三月三十一日盛大な落成式を挙行、四月一日記念講演会、郷土の美術工芸展覧会等を開いた。建物は木骨近代式で本館一八九坪、工場二五〇坪よりなる。
イタリア政府中亜極東協会では、日本に於けるイタリア文化研究の優れた業績を表彰する為レオナルド・ダ・ヴインチ賞を設定、三月三十日その規定が発表された。本年十二月末日を締切とし、賞金は六千リレで、審査は日本の学者に依嘱、日伊学会が中心となり、イタリア大使を委員長とする審査委員会が設けられる。