池上秀畝
旧帝展審査員池上秀畝は狭心症の為、5月26日下谷区の自宅で死去した。本名国三郎、享年71。明治7年長野県に生れ、早く荒木寛畝の門に入り南北合派を研究し、花鳥画を能くした。明治40年正派同志会第1回展で2等賞銀牌を受け、明治43年第4回文展に「初冬」を出品3等賞、大正5年第10回文展に「夕月」を出品特選となり、大正6年第11回文展に「峻嶺雨後」を出品ふたたび特選となつた。大正7年同志と共に新結社を発表し、文展審査に対抗の気勢を示し、これが文展改革の原因となつた。帝国美術院が創設されるや、日本画部の推薦となり、大正13年には帝展委員に任命された。その後引続き帝・文展に出品、「沼の雨」「渚の月」「秋雨」「老秋」などを出した。伝神洞画塾を主催して多数の門下を育てたが、18年以降は各神宮への奉献画が多い。
出 典:『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(92頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「池上秀畝」『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(92頁)
例)「池上秀畝 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8612.html(閲覧日 2024-11-05)
例)「池上秀畝」『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(92頁)
例)「池上秀畝 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8612.html(閲覧日 2024-11-05)
以下のデータベースにも「池上秀畝」が含まれます。
- ■美術界年史(彙報)
- 1938年05月 慰問えはがき作製
- 1938年06月 慰問絵画
- 1938年10月 ニユーヨークの新画廊に日本画出陳
- 1939年09月 池上秀畝入選
- 1940年02月 池上秀畝、八木岡春山万国博賞授与式
- 1940年02月 池上秀畝渡支
- ■明治大正期書画家番付データベース
- 1908(明治41) 日本書画名覧_807166
- 1919(大正8) 大正八年度帝国絵画番附_807061
- 1920(大正9) 大正九年度帝国絵画番附_807066
- 1921(大正10) 大正十年帝国絵画番付_807076
- 1923(大正12) 大正拾弐年度改正東西画家格付表_806936
- 1923(大正12) 大正十二年帝國絵画番付_807086
- 1926(大正15) 増補古今書画名家一覧_807116
- 1926(大正15) 大正十五年版 東洋画家名鑑_807026
- 1927(昭和2) 増補古今書画名家一覧_807121
- 1937(昭和12) 改訂古今書画名家一覧表 附古今書画名家印鑑譜_807016
- ■『美術画報』所載図版データベース(21件中ランダムで5件表示しています)
外部サイトを探す