森田元子
洋画家森田元子は、8月12日結腸ガンのため慶応病院で死去した。明治36年東京青山に生れ、大阪ウヰルミナ女学校を卒業した。大正13年女子美術専門学校洋画科を卒業し、その後、岡田三郎助門下として学び、この年渡仏した。滞在3年に及び昭和2年帰国し森田俊彦と結婚、又第8回帝展に出品した「朝」が初入選した。以後官展を発表の場として活躍し、昭和12年「聴書」、同13年「麗日」で特選となり、又岡田賞も得ている。戦後は、昭和35年日展文部大臣賞を贈られ。また22年夫君に死別後は女子美術大学講師として、永く女子美術教育のため後進の育成にあたった。代表作に「チョッキの女」「或るポーズ」などがあり、省略した線描と、形態により、室内の女性を色彩感豊かに描きつづけた。また挿絵も巧みで、その方面でも知られる。日展評議員。光風会理事。女子美術大学客員教授。
出 典:『日本美術年鑑』昭和45年版(84-85頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「森田元子」『日本美術年鑑』昭和45年版(84-85頁)
例)「森田元子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9211.html(閲覧日 2024-09-17)
例)「森田元子」『日本美術年鑑』昭和45年版(84-85頁)
例)「森田元子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9211.html(閲覧日 2024-09-17)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1957年08月 女流画家協会から脱退
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