伊藤熹朔賞

1972年03月

第5回伊藤熹朔賞は安部真知に決まった。授賞対象は、前年度の「オセロー」「未必の故意」(俳優座)「十二夜」(文学座)「神の代理人」「るつぼ」(民芸)「ガイドブック」(紀伊国屋演劇公演)などの舞台美術。副賞10万円。

吉川英治文化賞

1972年03月

第6回吉川英治文化賞が2日画家県治朗に決まった。受賞は平安時代の特色である金銀砂子、切箔、切りつぎ破りつぎの技法によって作られた料紙によって成った装飾性を現代に生かした壁画面の製作による。

アジア地域文化財保護専門家会議

1972年03月

ユネスコ・アジア文化センター主催、日本ユネスコ国内委員会後援、ユネスコ協力のもとに、7日から13日まで東京高輪プリンスホテルで、アジア地域における各国の文化財を破壊と荒廃から保護するため文化財の目録作成、およびその保護方策を探ることを目的として、「アジア地域文化財保護専門家会議」が開催された。会議はアジア12ヶ国から15名の専門家が参加し、オブザーバーとして文化財修復ローマセンター、イコモス(国際記念物史跡会議)各1名、および日本の専門家11名が出席し、議長に日本代表の東京国立文化財研究所々長関野克がえらばれた。

芸術選奨受賞

1972年03月

昭和46年度芸術選奨文部大臣賞評論などの部門に10日東大助教授高階秀爾「ルネッサンスの光と闇」が、新人賞美術の部門で、日本画家松尾敏男「海峡」がえらばれた。

イタリアペルージア市国際設計競技に早大建築学科の「アッセンブリー71」チーム受賞

1972年03月

イタリア・ペルージア市ビジネス・センター計画国際公開コンペに、早大建築学科の池原義郎教授、木村伝講師指導の大学院生を中心とする20才代が大半を占める「アッセンブリー71」チームが一等に入選した。この計画は鉄道駅舎、バスターミナル、ホテル、住居などを含む地区ぐるみのもので、今後約7年かけて実現するという。

タンザニアのコンクールで黒川紀章が1位となる

1972年03月

タンザニアの一党である独裁政党のタンザニア・アフリカ民族同盟新本部の設計を決める国際コンクールで、建築家の黒川紀章が一位となった。この建造物は、国会議事堂、文化センター、三千人収容のホールも含まれる。コンクールには49ヶ国、430人が応募しており、一位の賞金は十万シリング(約431万円)が与えられた。

安井賞

1972年03月

洋画の具象作品を対象とする安井曽太郎記念会の第15回安井賞は、前年度作品中から選ばれ、1日二紀会の中西勝「大地の聖母子」に決定し、佳作賞に後藤よ志子「寺院のある街(1)」が選ばれた。なお、同賞候補作品展は4日から14日まで東京西武百貨店池袋店で開催され、授賞式は3日同会場で行われた。選考委員次の通り。朝日晃糸園和三郎河北倫明小磯良平富永惣一藤田吉香本間正義、三木多聞、宮本三郎。 

第4回三大新潮賞

1972年03月

新潮文芸振興会主催による第4回三大新潮賞が1日決定した。そのうちの日本芸術大賞には多田美波「“新宮殿のシャンデリア”“京王プラザホテルの彫刻”など多角的な立体造形活動の功に対して」が決り、副賞百万円が贈られた。

大原美術館収蔵の盗難作品無事戻る

1972年02月

1昨年11月末、倉敷の大原美術館が盗難に遭った収蔵作品のうち、6日未発見のルオー、ゴッホの二作品が戻り、1年2ヶ月ぶりですべて無事回収された。 

第1回平櫛田中賞

1972年02月

昨年百才を迎えた彫刻家平櫛田中の“百寿”を記念して設けられた平櫛田中賞の第1回授賞者が淀井敏夫に決定した。同賞は、木彫を中心に、将来彫刻界に貢献すると認められる彫刻家に与えられる。贈られる正賞は賞金50万円で副賞として東京日本橋高島屋で受賞者作品の展覧会を開催する。(今回5月30日より6月4日迄)なお、第1回選考委員氏名次の通り。今泉篤男菊池一雄山本豊市河北倫明、菅原安男、中村伝三郎、本間正義水船六洲矢崎虎夫

ボロブドールの仏跡修復に協力

1972年01月

インドネシアのジャワ島にある仏跡のボロブドール遺跡を修復しようというユネスコ本部の呼びかけに、日本政府も協力することになった。ユネスコからの要請額180万ドルのうち3分の1の10万ドル(3,080万円)が、12日の閣議で了承された。あとの3分の2は財界が負担する方針だが、外務省は今後5年間毎年10万ドルずつ政府に要求することにした。 

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