みづえ賞設定

1959年06月

美術出版社、資生堂共催による「みづゑ選抜・新しい水彩15人展」が5日から銀座松屋でひらかれた。第1回みづゑ賞は、その中から選ばれ、一席中本達也、二席油野誠一、横山操ときまつた。

松方コレクション、新築の西洋美術館に収まる

1959年06月

今年1月以降の松方コレクション返還の経過をのべると、まず、1月23日古垣駐仏大使とクーブドミュルビル仏外相は仏外務省で旧松方コレクション返還に関する協定に調印した。つづいて翌24日、フランスの日本大使館から、外務省にその正式リストが届いた。絵画308点、彫刻62点、書籍5点、計375点である。3月21日浅間丸は特別冷房室に同コレクションを積み、3月11日マルセーユ港を出港、4月15日無事横浜港につき、17日上野公園内に完成した西洋美術館に運ばれた。同館では作品の整理、補修ののち、陳列を行い、6月10日午前11時から開館披露式を行つた。また、これより先5月29日、日本政府は、この機会にフランス側の好意にこたえ、両国文化の交流を計るため、国立美術館長エドモン・シデ他文化人6名を政府賓客として招待することを発表した。招待はエドモン・シデ、ルネ・ユイグ(ソルボンヌ大美術史教授)、オシップ・ザッキン(彫刻家)、クロード・ベルナール(画家)、ジュリアン・デュヴィヴィエ(映画監督)、マルセル・アシャール(劇作家)、及びジャック・ドゥ・ラクルテール(作家)〔団長〕ら7名であつた。これらの文化使節一行を招いて西洋美術館の開館披露式が行われ、13日から一般公開に入つた。 なお、西洋美術館は設計ル・コルビュジエ、監理坂倉準三、前川国男、吉阪隆正、構造横山建築構造設計事務所、文部省教育施設部、施工清水建設株式会社である。 また旧松方コレクションの公開を記念して、東京国立博物館でも同時期に旧松方コレクションの浮世絵特別展を行つた。

福田平八郎自選展

1959年05月

福田平八郎最初の自選展で、自選代表作60余点を展観し、大正10年代から今日迄の画業を展望するよい機会であつた。朝日新聞社主催で5月22日から6月3日迄銀座松屋で開かれた。

日本国際美術展受賞者きまる

1959年05月

毎日新聞社主催第5回日本国際美術展は、5月9日から東京都美術館で開かれているが、20日、全出品作品(外国部308点、日本部233点)に対して行われた授賞選考委員会で次の通り受賞者を決定した。 〔外国部〕 外務大臣賞(賞状及び賞品) ヘンリー・ムア 文部大臣賞(賞状及び賞品) エミール・シューマッハ 東京都知事賞(賞状及び賞品) ジェラール・シュネイデル 毎日新聞社賞(賞状及び賞品) M・F・フセイン 毎日新聞社賞(賞状及び賞品) アントニオ・スワレス 〔日本部〕 最優秀賞(賞状及び副賞30万円) 海老原喜之助 国立近代美術館賞 斎藤義重 鎌倉近代美術館賞 杉全直 ブリヂストン美術館賞 駒井哲郎 優秀賞(賞状及び賞金5万円) 麻布三郎 高間惣七 中谷泰 横山操 本郷新 大衆賞(賞状及び賞金5万円) 東郷青児 大衆賞は5月9日から20日迄の一般入場者の投票によつて決定した。

日光文化総合調査

1959年05月

日光輪王寺を中心に、日光の総合調査が文化財保護委員会と読売新聞社によつて12日~26日にわたつて行われた。調査団は人文科学部門としては書跡班・彫刻班・絵画班・考古班・歴史班などに分かれ、輪王寺天海蔵の蔵品を中心に調査が行われ、自然科学部門では日光を中心として動物、植物、気象などの班に分れて調査を行つた。 各部門とも多くの新発見や新資料の収穫など多大の成果をおさめた。

ローマの「日本アカデミア」の設計者に吉田五十八

1959年05月

外務省は日本とイタリアの文化交流センターとして、今年から2ケ年計画、総額18,000万円の予算でローマに「日本アカデミア」を建設することになつたが、設計を日本芸術院会員吉田五十八に依頼することをきめた。 敷地は伊政府の提供で4,000平方米、建物本館2,000平方米、別館200平方米が予定されている。

故宮博物院名画写真展

1959年05月

5日-10日 於日本橋・白木屋 及び26日-31日 於大阪・阪急百貨店 朝日新聞社主催。台湾台中にある中国美術の一大コレクション故宮博物院の蔵品より名画300種を選んでその実大写真を展示したもので、元来ごくわずかの人にしか知られていなかつた故宮の名画を紹介したことは、まことによろこばしい。

斎藤義重に国際芸術批評家協会賞

1959年05月

パリの国際芸術批評家協会は、5日、本年度の同協会賞を斎藤義重に贈つた。去る4月24日審査会で決定されたもので受賞作「作品E」はユネスコで複製のうえ、各国に配布される予定。

国宝美術工芸品の保存修理

1959年04月

34年度第1-4半期の保存修理物件は次の通り。知積院障壁画25枚内「松に梅図」を修理し完了。神護寺薬師如来立像を修理し完了。陽明文庫 後二条殿記30巻の内10巻を修理し完了。高野山文化財保存会 続宝簡集を前年度よりひきつづき修理し、次年度に継続する。

平家納経の新補

1959年04月

保存修理を行つていた平家納経(厳島神社蔵)33巻のうち薬草喩品の表紙と見返の絵を安田靱彦が新しく描いて、同品の修理が完了し、平安時代に製作された平家納経に新風を入れることとなつた。

中国古代彫刻展

1959年04月

28日-5月10日、於日本橋・高島屋、日本経済新聞社主催、中国の南北朝、隋唐の仏像彫刻を中心として、日本に収集されたもののうちから優品をえらんで、塑像(古代及び西域)をはじめ青銅像・檀像・石像・陶像(明器を含む)など130点あまり出陳された。この種の展観は最近あまり催されていなかつたため、有意義な展観といえよう。

ロンドンの博物館から「東方の賢者の礼拝」(彫刻)寄贈される

1959年04月

ロンドンのビクトリア・アンド・アルバート博物館から「東方の賢者の礼拝」(鯨骨の彫刻)が文化財保護委員会に寄贈された。高さ約45cm、12世紀頃の作品の複製で、昨夏ロンドンで開かれ好評だつた日本古美術展の御礼として同館から贈られたもの。23日外務省で岡田文化財保護委員会事務局長に手渡しされた。

松永記念館開館

1959年04月

松永安左衛門は、小田原市板橋の自宅わきに松永記念館を建て26日開館披露式を行つた。二階建、延528平方米の同館には、同氏所蔵の書画、陶器、銅器などを展示、いずれ一般にも公開の予定である。

奈良国立博物館の新庁舎竣工

1959年04月

16日奈良国立博物館の新しい事務所が竣工した。この庁舎は旧庁舎の奥に建てられたもので本館の東側、広い芝生の正面にあり、陸屋根造りの低い平屋建で、軒廻しや柱以外は外廓をすべてガラス張りに開放したものである。

芸術院保留会員に宇田荻邨

1959年04月

先に補充会員として美術部門では児玉希望金島桂華、小糸源太郎の三名がきまつたが、このうち日本画関係では、金島、宇田は投票各22票で過半を占め有資格者となつたが、同数のため、年令順により金島を当選とした。しかし、会員の松林桂月鏑木清方、安田靱彦の抗議によつて再考、結局、宇田を有資格として会員申請保留の形とし、欠員を生じたときは無投票で当選の資格をもつものと決め20日発表した。保留会員の措置は同院初めてである。

朝倉文夫、上野駅にブロンズ像を贈る

1959年04月

朝倉文夫は上野駅に三人の裸婦像を贈り6日除幕式が行われた。等身大のブロンズ像で、三人の裸婦像は知、情、意を表わすという。像は御影石の台座上に立ち、2分間に1廻転する装置になつている。

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