高間惣七

没年月日:1974/01/26
分野:, (洋)

独立美術会会員の洋画家、高間惣七は1月26日午後零時5分、心筋硬ソクのため横浜市の自宅で死去した。享年85歳。高間惣七は、明治22年(1889)7月25日、東京、京橋に生れ、大正5年(1916)3月東京美術学校西洋画科選科を卒業した。美校在学中の大正2年(1913)第7回文展に「午前の日」が入選、翌第8回展では「養鶏場」入選、褒状をうけた。その後大正4年「漁師町」、同6年「浮雲」が入選、同7年第12回展「夏草」が特選となった。続いて大正8年第1回帝展から無鑑査となり、「幽村の春」、第2回展「海浜」「裏庭」、第3回展「花園の鶏」と連続特選となり、大正14年には帝展委員にあげられた。その後も帝展、新文展で委員、審査員をつとめ、戦後も第9回日展まで審査員をつとめた。その間、大正13年(1924)3月には、牧野虎雄、斎藤与里らと槐樹社を設立(昭和6年12月解散)、昭和7年(1932)東光会創立に参加してのちに顧問、そのほか新光洋画会、主線美術協会などにも関係した、昭和30年(1955)、突如、官展系との関係を絶って独立展に出品。勇気ある行動として話題となったが、同年独立美術協会会員となって、以後、独立展を中心に主要な作品を発表してきた。昭和34年(1959)第5回日本国際美術展では「海風」を出品して優秀賞を受賞、昭和39年には渡米してマイアミ近代美術館で個展を開催し、同48年4月勲三等瑞宝章をうけた。鳥類を好み、自宅にも多数飼育して鳥を題材とした作品も多く暖色系の明るい色調を特色とした作風で知られた。
独立展出品作品年譜
昭和30年第23回展・「二羽の鳥」「鳥」「月」同31年・「花咲く庭」「鳥「月とハンマー」同32年・「凪」「赤と青と」同33年・「九月」「八月」同34年「海」「蝶」同35年・「作品(A)」「作品(B)」同36年・「奔泉」同38年・「解放」「解放」同39年・「鳥B」「鳥A」同40年・「白い鳥」「白い太陽」同41年・「赤の中の鳥」「南国の鳥と花」同42年・「とり」同43年・「藍と黒」「赤の中に遊ぶ色」同44年・「紅綬雞」同45年・「A赤い鳥と黒い鳥」「B白い鳥と朱の鳥」同46年・「飛鳥」

出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(265頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「高間惣七」『日本美術年鑑』昭和49・50年版(265頁)
例)「高間惣七 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9375.html(閲覧日 2024-04-19)

以下のデータベースにも「高間惣七」が含まれます。

外部サイトを探す
to page top