中村節也

没年月日:1991/08/20
分野:, (洋)

独立美術協会会員の洋画家中村節也は8月20日午後5時2分、じん不全のため、群馬県高崎市の第一病院で死去した。享年85。明治38(1905)年11月3日、群馬県邑楽郡に生まれる。大正13(1924)年前橋中学校を卒業して東京美術学校に入学。在学中の昭和2(1927)年第14回二科展に「読書」で初入選。1930年協会にも参加し、同4年「裸婦と鳥篭」「婦人像」「裸体」を出品して1930年協会賞、翌年同会奨励賞受賞。同4年東美校を卒業。同7年独立美術協会展に「女絵師」「五九郎獅子(対立)」「百姓」を初出品して海南賞を受け、翌8年第3回同展に「肖像」「山」「画室」「母子閑日」を出品して独立賞受賞、同11年同会会員となる。同34年米国ロシクルーシャン美術館及びクロッカー美術館で個展を開催。同36年サンフランシスコ市のJ・A・C(ジャパニーズ・アートセンター)の招聘により渡米し油彩画を指導。同39年第32回独立展に「神樹」「アリゾナ」を出品してG氏賞を受けた。同49年インド、スリランカに取材旅行し、その翌年、昭和元年から50年までの画業を追う回顧展を東京の日動サロンで開催した。同51年、中近東、西欧に渡り、その後もエジプト、メキシコ、東南アジア諸国を訪れて遺跡シリーズを描いた。物の形を正しくとらえる以上に色彩の効果に意を用い、明快な緑、青などを多用して、作家自身の心に映ずる対象の姿を再構成した作風を示した。晩年は群馬県美術会名誉会長を務めた。

出 典:『日本美術年鑑』平成4年版(300頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「中村節也」『日本美術年鑑』平成4年版(300頁)
例)「中村節也 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10416.html(閲覧日 2024-04-27)

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