ロダン展開く
1966年07月近代彫刻の祖、オーギュスト・ロダンの歿後50年祭が明年パリをはじめフランスの各地で開催の予定であるが、これに先だち日本では東京上野の国立西洋美術館を会場にフランス政府の好意とロダン美術館の協力のもとに、彫刻106点、デッサン、水彩、エッチング51点を併陳して画期的大展観「ロダン展」(主催=フランス国立ロダン美術館・国立西洋美術館・読売新聞社)が23日から9月11日まで開催された。
近代彫刻の祖、オーギュスト・ロダンの歿後50年祭が明年パリをはじめフランスの各地で開催の予定であるが、これに先だち日本では東京上野の国立西洋美術館を会場にフランス政府の好意とロダン美術館の協力のもとに、彫刻106点、デッサン、水彩、エッチング51点を併陳して画期的大展観「ロダン展」(主催=フランス国立ロダン美術館・国立西洋美術館・読売新聞社)が23日から9月11日まで開催された。
元青竜社構成員、竹内未明ら12名による二元会(日本画、洋画)が組織され、4日から7日まで大阪市立美術館で旗上げ展を開催した。<会員>竹内未明、谷野敬一郎、高田晃琇、柏水行徳、入江北宰、鈴木光英、中浜白潮、柳道成、細野光治、中島光輪、菅守雄、松生勇。
山種証券社長の椅子を去る1日に次男の富治に譲った山崎種二会長は、かねて準備中の山種美術館を山種ビル(中央区日本橋兜町)新築を機に同ビル8階、9階に開設、12日より一般公開した。これまで蒐集してきた近代・現代日本画の個人収蔵品を中心に日本画専門の展観を目的の特色ある美術館として設立されたもので、谷口吉郎の設計により日本画にふさわしい和風の意匠となっており、裏千家指導による茶室「是信庵」が附属している。開館記念として「近代日本画の巨匠」展(8月28日まで)で開幕した。
20日、京都市紫野大徳寺の国宝「方丈」から出火、重文の障壁画一面を焼失して火はおさまった。焼失した図は勅使の間西面の貼付絵、狩野探幽筆の「猿曳図」2面のうちの1面である。
第33回ヴェネチア・ビエンナーレは18日開会したが、前日行なわれた国際審査発表の結果、日本からの出品作家、池田満寿夫が版画部門での外国作家に贈られる最高賞、グラフィック・アーチスト賞(50万リラ)を受賞した。版画部門の受賞は、昭和31年の棟方志功についで二度目。今回は久保貞次郎がコミッショナーとなったが、日本は審査には出なかった。同展には37カ国から約3千点の作品が出品され、10月16日まで開催された。
青竜社解散により所属構成員たちの動きは各方面から注目されていたが、社人中の有力な作家11名により東方美術協会が結成され、25日付をもって、創立宣言を発表した。旗あげ展は明春の予定。<創立委員>時田直善、富田保和、大塚達夫、渡辺不二根、度会伊良子、亀井玄兵衛、高山晴雄、佐々木邦彦、佐藤土筆、結城天童、水島裕。
9日、京都市上賀茂神社の重文、外幣殿の天井・格子が、雀とりの青年に破られ、檜皮ぶきの屋根も損傷を受けた。
高野山奥ノ院で去る39年秋に発見された石塔、骨壺、経筒の調査が、11日から1週間行われ12日には経筒の中から紺紙金泥経十一巻が殆んど完全な姿で見出された。
フランス、パリのルーヴル宮内アール・デコラテイフ美術館で1日より10月3日まで5カ月間、「日本浮世絵美術展」(主催=アール・デコラテイフ美術館、日本経済新聞社、後援=文化財保護委員会、駐仏日本大使館)が開催された。展観の内容は、「日本の浮世絵」という主題で、とくに17世紀末から18世紀にかけて、江戸に発達した庶民芸術である浮世絵を中心とし、これに浮世絵展開の母胎となったいわゆる初期肉筆風俗画も導入部として加え、江戸時代の風俗画を体系的に展示した。その点数は肉筆約140点、版画約430点で、これだけ大規模で内容のある紹介は海外展では初めてのこと。
鎌倉の神奈川県立近代美術館が今年開館15周年を迎えた。昭和26年11月の開館以来所蔵作品も500点をこえ、収蔵庫や展示室も拡充しなくてはならなくなり、鎌倉八幡宮の一角、池にのぞむ本館の裏側に工費約7千万円で新館(設計は本館と同じく坂倉準三が担当)を建設中であったが、このほど完成したので、それを記念して1日から「近代日本洋画の150年展」(7月17日まで)を開いて、新館を一般に披露した。新しい展示室はほとんど総ガラス張り、池に浮んだような明るくしょうしゃな近代建築となっている。
米建築協会(AIA)では同協会が優秀な建築家に贈る最高栄誉であるゴールド・メダルの1966年授賞者に丹下健三東大工学部教授を選出したと4日、在日米大使館に通達があった。このメダルは、1907年に設けられて以来、故フランク・ライトなど世界的建築家31人が受賞しており、日本人では丹下教授が初めて。なお同教授は、さる5月18日に米国で最も権威ある芸術団体として認められている全米芸術院と米国文学芸術アカデミーの名誉会員証をライシャワー駐日米大使を通じて贈られたばかりであった。
「文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」にもとずく韓国文化財の引渡しは5月28日、ソウルにおいて行なわれた。品目の内わけは、陶磁器97点、考古資料334点、石造美術3点、図書852冊、逓信関係品35点で、いずれも国有品であった。
文化財保護委員会では30日、かねて公募していた文化財愛護運動のシンボルマークを決めた。図柄は、手首をつけてひろげた両手のひらを三つ重ね、文化財を過去・現在・未来にわたって伝承する愛護精神を象徴したもので、応募2,232点から選ばれた大阪市西成区山王町2ノ8、乃村工芸社勤務の阪井敬子(24才)の作品。同委員会はバッジや旗などの標識に使うほか、観光地や公共の場所にある紙くずかご、吸いがら入れなどにも取入れ、愛護精神の普及に努めることにしている。
5月28日、京都妙心寺の重文「霊雲院」の書院の一部が、精神分裂症の青年によって放火され、襖絵三面が全焼した。焼けた襖絵は無指定の作である。
5月16日から22日まで1週間にわたって行なわれた徳島県下札所の調査は、二十番、二十二番の札所を除く22カ寺の霊場及び、著名な社寺を含む44カ所で800件にのぼる美術工芸品を対象に調査し、多くの成果をあげた。
兵庫県西宮市在住の山村硝子会社の山村徳太郎社長は、モダンアート美術館を日本に建設しようと母堂とともに計画し、10年前から蒐集していたモダンアートの西欧代表作家の作品群の一部(7点)を、このほど国立西洋美術館に寄贈することになり、その披露が25日午後3時、同美術館2階展示場で行なわれた。この寄贈は、母堂が昨年10月亡くなったので、母が死にのぞんで、コレクションをさらに大きな形で残すため、西欧作家の作品群の一部を国立西洋美術館に寄贈し、今後も事情の許すかぎり寄贈し続けることを希望していたという、故人の遺志を尊重し、美術館建設の計画を中止して行なわれたという。 贈られた作品は、ミロ「絵画」、マックス・エルンスト「化石した森」、ジャン・デュビュッフェ「女の身体」、オーギュスト・エルバン「永遠」、フェルナン・レジェ「青い空と赤い鶏」、ジャクスン・ポロック「黒い流れ」、サム・フランシス「ホワイト・ペインティング」。
5月25日深夜、東京西新井大師本堂が火を発し、全焼した。警視庁はこれを放火と断定し、捜査を行なった。ただ幸いにも、焼け跡から谷文晁の襖絵がほとんど無傷のまま残っているのが発見されたし、酒井抱一の洋犬絵馬も無事であった。
京都東山の名刹、青蓮院は、その所有する重文「大手鑑」が寺から持出されたのに端を発し、宝物管理のずさんさが指弾されたが、当局の調査の結果、散逸した10余点の重文の所在も一応判明し、新聞紙上をにぎわしたこの事件も落着をみた。
7、8月の2カ月にわたって毎年催されるユーゴスラヴィアのフォルマ・ヴィヴァ主催、第6回国際彫刻家シンポジウムに主催者から参加推薦の依頼をうけた日本美術家連盟では、彫刻部会員のうちから希望者をつのり、その他からも候補者推薦を求めていたが、今年は9名の応募者があったので、16日彫刻部委員による選考委員会を開き、各委員で投票を繰返した結果、米林雄一、最上寿之の両名を候補者として推薦した。1名の決定を主催者に一任したところ、最上寿之(モダンアート会員)が招待されることに決定した。なお同シンポジウムは従来、木彫、石彫、鉄彫の3グループで行なわれたが、財政の都合で規模を縮少し、今回は木彫グループだけ、明年は石彫グループの予定という。
国会で文部省設置法改正案が成立したので、文部省では1日付で調査局を廃止して新たに文化局を設け、廃止した調査局から国語課、国際文化課、総務課を、社会教育局から著作権課と芸術課を移管、さらに文化課を新設して文化関係の6課を一本にまとめ、従来ばらばらに行なわれていた文化行政を統括することになった。初代の文化局長には蒲生芳郎が就任した。