亀井玄兵衛
日本画家亀井玄兵衛は、3月11日肝臓ガンのため京都市上京区の上京病院で死亡した。享年75。本名英一。旧号藤兵衛。明治34年3月25日和歌山県湯浅町で生まれ、大正8年上洛し、山田耕雲師方に寄寓した。初め号藤兵衛を名乗り、昭和28年玄兵衛に改めた。昭和7年京都絵画専門学校を卒業、引続き研究科に入学した。早くより創作木版画を手がけ帝展、春陽会等に作品を発表した。前者に「理髪室」(11回帝展)があり、後者には「花」(第11回)、「車中」(第12回)、「椿花二種」(第13回)などがある。昭和12年以降は専ら青竜社に作品を発表し、昭和41年同社解散に至るまでここを拠点とした。この間、昭和17年社友に推挙され、同25年社人となり、また屡々受賞している。同社解散後は同年6月同志と東方美術協会を創立、昭和52年東方美術協会第11回展では、最後の作品となった「花籠」を出品した。また毎日新聞社主催の日本国際美術展、現代日本美術展にも招待出品し、前者に「風景」(第3回)、「台風」(第4回)、「かいぱん」(第5回)など、後者に「谷」(第1回)がある。そのほか京都、大阪等での個展も数多く開催している。川端竜子に私淑し、師の作風でもあった豪快な画面に特色を示した。
青竜社出品目録
昭和12年 9回「甲胄」(二曲一双)
昭和14年 11回「舩鉾」(二曲片双)
昭和15年 12回
昭和16年 13回「渓」(二曲一双)
昭和17年 14回「懸繍」
昭和18年 15回「野鍛冶奉公」(六曲片双)
昭和20年 17回「深秋」
昭和21年 18回
昭和22年 19回「S先生」
昭和23年 20回「賀茂の踊子」
昭和25年 22回「母子像」
昭和26年 23回「つきふるゆき」
昭和27年 24回「谷水」
昭和28年 25回「顔」「少女」
昭和29年 26回「石」「奔流」
昭和36年 33回「みのり」
昭和37年 34回「くつみがき」
昭和38年 35回「捻じれた樹」
昭和39年 36回「文楽」
昭和40年 37回「観音立像」
登録日:2014年04月14日
更新日:2024年12月11日 (更新履歴)
例)「亀井玄兵衛」『日本美術年鑑』昭和53年版(258頁)
例)「亀井玄兵衛 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9611.html(閲覧日 2024-12-12)
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