閑院元帥宮殿下聖戦美術展へ御成り
1941年07月閑院元帥宮、同若宮妃両殿下には七月四日聖戦美術展覧会に成らせられ、約五十分にわたり御巡覧遊された。
閑院元帥宮、同若宮妃両殿下には七月四日聖戦美術展覧会に成らせられ、約五十分にわたり御巡覧遊された。
商工省は七月十二日「芸術保存のため七・七禁令並に公定価格制の特例に関する」次官通牒を発した。これは七・七禁令と公定価格制のために束縛を受けてゐた芸術品に最小限度の除外例を認め、芸術の維持保存を図らんとするものである。而して芸術家の資格として、一、帝国芸術院会員にして美術関係会員、文展第四部に於いて審査員たりし者及無鑑査の者にして現に芸術家として活動をなしつゝある者、二、文展第四部に二回入選したる者にして現に芸術家としての活動をなしつゝある者、三、前各項に準ずる実力を有する者である。
天皇、皇后両陛下におかせられては六月二十九日皇太子殿下、照宮内親王殿下をはじめ奉り各皇子殿下御同列にて宮中千種の間並に豊明殿に於いて、従軍画家が皇軍将兵の活躍を描いた陸軍省所蔵戦争画十五点を天覧並に御覧あらせられた。
北白川宮大妃、故永久王妃両殿下には六月三十日上野公園日本美術協会陳列場に開催中の聖戦美術展覧会に成らせられ、約一時間にわたり御巡覧あらせられた。
朝香大将宮、同湛子女王両殿下には七月二日聖戦美術展覧会に成らせられた。
岐阜在住画家に依り六月五日新興岐阜美術院が結成された。陸軍々医中将鳥居百三外三十一名を賛助員、川崎小虎、水田竹圃を顧問、小塩美州を主催とし、春秋二回公募展を開催する。
国画の伝統的精神に立脚し、新時代の絵画芸術を創建せんが為、京都市在住無所属作家によつて皇国芸術京都聯盟が創立され、六月六日京都平安神宮に於いて発会式を挙行した。
西山翠嶂塾青甲社に於いては、五月十六日海軍各艦へ献納する為、塾生七十余名の作品内示展を京都市公会堂に開催、同日同所に於いて献納式を挙げた。
石井柏亭の指導を受けた画人によりその研究及発表の機関として双台社が結成された。
帝国芸術院に於いては、三月末の第一回総会に続き、会員補充の件に就き総会を五月二十日上野帝国学士院に於いて開催した。清水院長以下会員四十七名出席、文部省より永井専門学務局長、本田学芸課長等出席し、新会員を第一部(美術)に於いて上村松園(日本画)藤田嗣治(洋画)小林万吾(洋画)六角紫水(工芸)佐藤功一(建築)と決定した。因に新会員の発令は七月四日附を以つて行はれたが、佐藤功一は六月二十二日逝去の為自然消滅となつた。
紀元二千六百年奉祝会が同会総裁秩父宮殿下の御偉徳を奉謝する為横山大観、菊池契月、安田靫彦、前田青邨、中村岳陵、長野草風、吉村忠夫、服部有恒、岩田正巳等をして執筆せしめた天孫降臨及神武天皇御創業より御即位までの絵巻「肇国創業絵巻」は、秩父宮殿下の思召により五月六日より二十日まで帝室博物館表慶館に於いて初めて一般の観覧に供された。
航空報国の大任を全うする為大日本飛行協会副会長堀丈夫中将を会長に、手島航空局長官、陸海軍航空本部長を顧問として五月九日飛行協会に於いて大日本航空美術協会の発会式が行はれた。同協会は公募展を開催し或は航空画を製作して一般国民に航空知識を普及せしめるほか、航空美術館の建設、軍用機の迷彩の研究等にもたづさはる筈である。
文化提携の為、昭和十四年伊政府は我が国画壇より毎年一点を買上げることを決定してゐたが本年より実施することゝなり川合玉堂、鏑木清方、石井柏亭、中沢弘光、安田靫彦等十名の銓衡に依り過去二年分の買上作品を決定した。即ち居串佳一の「弓」、真下慶治の「最上川の雪景」で、いづれも新人の作品である。
大阪を中心とする彫刻家により大阪彫刻家聯盟が結成され、四月二十日大阪市立美術館に於いて総会及結成式を挙行した。同会は大阪彫刻会、大阪彫塑会、大阪木彫作家協会、彫光会及無所属の作家を含むものである
寺内万治郎、阿以田治修、佐竹徳次郎の三洋風画家は、新文化建設の理念に基き研究団体三果会を結成し、四月中旬その第一回展覧会を開催した。
日本橋三越に於いて、国際文化振興会主催、外務省、拓務省、文部省、情報局並に伯国大使館後援によりブラジル児童図画手工展が開催された。三年前日本児童の作品を送つた答礼であり、伯国文部省より児童作品四千点が送られたもので、その中四百点が陳列された。
京都各塾の日本画家は大同団結をはかるべく旧臘来協議中であつたが、四月十日京都帝国大学学友会館に於いて第一回理事会を開催、竹内栖鳳、菊池契月、西山翠嶂、橋本関雪、川村曼舟を顧問とし、竹杖会、西山塾、早苗会、菊池塾、堂本塾、晨鳥社、中村塾等より選出せる理事を決定した。
日本美術院々友の芸術研究機関として組織されてゐる院友倶楽部は毎月研究会を催し、又毎春院友展を開催し来つたが、組織上不備の点が多々ある為此の度総会を開き、決議により院友倶楽部は社交機関としてのみ存置して、研究発表会の名を璞友会と名附け展覧会を開催することゝなつた。
漆工芸の作家、指導者、原材料業者及各団体、組合等全国的関係者を網羅する日本漆文化協会の創立総会並に発会式が四月四日日比谷松本楼に於いて開催された。
帝国芸術院は創立以来最初の総会を三月二十七日上野帝国学士院に於いて開催、清水院長以下会員五十名(欠席者十三名)文部省より橋田文相、菊池次官、永井専門学務局長、本田学芸課長等出席、帝国芸術院会則要綱、帝国芸術院授賞規則要綱、同会員補充、第四回文展出品要綱を決定した。