佐竹徳

没年月日:1998/02/03
分野:, (洋)
読み:さたけとく

 日本芸術院会員の洋画家佐竹徳は2月3日午前9時3分、肺炎のため、岡山市の岡村一心堂病院で死去した。享年100。明治30(1897)年11月11日、大阪に生まれる。本名徳次郎。関西美術院で鹿子木孟郎に学び、後に上京して川端画学校で藤島武二に学ぶ。安井曽太郎にも師事した。大正6(1917)年、第11回文展に「清き朝」で初入選。同9年第2回帝展に「並樹」「静物」の2点が入選。同10年第3回帝展に「静物」を出品して特選受賞。この年、坂田一男からセザンヌ画集を見せられ感動する。同12年関東大震災の救済のために神戸から上京したキリスト教社会運動家賀川豊彦の講演を聞いて共感し、クリスチャンとなり、自然を神の造化として謙虚に見る姿勢を確立する。昭和4(1929)年第10回目帝展に「ダリア」を出品して再度特選となった。同5年帝展無鑑査となり、また、同年第11回帝展出品作「巌」で3回目の特選を受賞した。戦後も同21年第1回日展に「竹園」を出品して特選となり、その後も日展に出品を続けた。同24年頃から十和田奥入瀬の風景に魅せられ、長期滞在して制作。その後も風景を主なモティーフとした。同34年、セザンヌの作品に触発されて、赤土と青緑色のオリーブが織りなす岡山県牛窓の風景を好んで、同地にアトリエを構える。同42年第10回目新日展に牛窓風景に取材した「オリーブと海」を出品して内閣総理大臣賞を受賞。翌43年同作品により第24回日本芸術院賞を受賞し、同年日本芸術院会員となった。同44年社団法人日展の改組が行われ、あらたに理事に選出されて同48年まで在任。退任にあたり参与への就任を固辞して会員としてとどまった。同61年4月「リージョンプラザ・上田創造館快感記念小山啓三、佐竹徳二人展」年が開催され、翌年東京の日動サロンおよび大阪日動画廊で「佐竹徳展」が開催された。平成元(1989)年第1回中村彝賞を受賞。同3年には茨城県近代美術館で「鈴木良三佐竹徳展」が開催された。自然の素直な観照を緊密な構図、穏やかな色調で表現した。

出 典:『日本美術年鑑』平成11年版(417-418頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「佐竹徳」『日本美術年鑑』平成11年版(417-418頁)
例)「佐竹徳 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10666.html(閲覧日 2024-04-18)

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