水田竹圃
日本画家水田竹圃は7月11日心臓衰弱のため京大病院で逝去した。享年75才。本名忠治。別号満碧堂、積翠堂、水竹居、蟻池庵。自宅は京都市北区。明治16年2月14日大阪市に生れた。同30年大阪で姫島竹外の門に入つて南画を学び、また伊藤介夫に漢学の教えをうけた。大正元年第6回文展で「渓山滴翠」が初入選で褒状を受け、更に8回、9回展でも受賞し、同5年10回展では「早春」が特選となつて画壇に認められた。大正8年、京都に居を移し、同10年には河野秋邨らと日本南画院を創立した。日本南画院展には昭和10年解散するまて毎年出品し、帝展も大正15年第7回展に委員に推され、昭和12年以降の文展にかけて出品をつづけている。日展には第4回から出品依嘱者として作品を送つている。大正10年より画塾菁我会を主宰し南画の指導、興隆に尽力した。なお水田硯山は実弟、水田慶泉は長男である。主な作品は「普陀」「三峡」「秋声」「残照」「月光」など。
作品略年譜
大正元年 第6回文展「渓山滴翠」褒状
大正3年 第8回文展「雲林清深」褒状
大正4年 第9回文展「大華山実景」3等賞
大正5年 第10回文展「早春」特選
大正6年 第11回文展「秋山岑寂」無鑑査出品
大正8年 第1回帝展「華岳仙隠」この後6回展迄出品なし
大正10年 第1回南画院展「泰山」「牧羊」
大正15年 第7回帝展「普陀」「三峡」帝展委員となる
第5回南画院展「夏日湖畔」「夏」
昭和4年 第10回帝展「絶墾飛泉」帝展審査員
第8回南画院展「薬圃」「洞庭風雨」
昭和6年 第12回帝展「千山一白」無鑑査
第10回南画院展「水国秋雨」
昭和7年 第13回帝展「澄秋」帝展審査員
昭和12年 第1回文展「下賀茂春暁」無鑑査
昭和13年 第2回文展「残照」無鑑査
昭和14年 第3回文展「松轡暮靄」無鑑査
昭和19年 戦時特別文展「高千穂峡」
昭和23年 第4回日展「残雪在山」出品依嘱者として以後32年迄毎回出品
昭和31年 第12回展「月光」
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「水田竹圃」『日本美術年鑑』昭和34年版(150-151頁)
例)「水田竹圃 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8868.html(閲覧日 2024-12-02)
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