日本古美術工芸複製品展開催

1947年03月

帝室博物館では一日から二〇日まで表慶館で正倉院御物を主として桃山時代までの古美術工芸品の精巧な研究と技術による複製品を展観した。

泰西名画展開催

1947年03月

読売新聞社主催、文部省後援の泰西名画展が一〇日から三〇日まで東京都美術館で開催された。国内にある西洋名画が多数集められ非常な好評であつた。

春陽会日展不参加声明

1947年03月

春陽会では一〇日日展不参加の声明書を発表した。従来は日展を総合展とする理想案実現に協力して審査員も出して来たが、昨年の日展の傾向から相反した性格を持つものとして不参加を決定した。

議事堂に彫刻を配置

1947年02月

美術行政審議会では彫刻家の協力を求めて国会議事堂内に彫像の配置陳列を行つた。

シツタン会創立

1947年02月

新制作派協会に出品する室田豊四郎、古茂田守介らの新進によつて研究発表会のシツタン会が創立された。二月北荘画廊で第一回展を開いた。

千葉県で前方後円墳発掘

1947年02月

千葉県山武郡成東付近で日大考古学会の門上秀叡等によつて前方後円墳が発掘された。関東には珍しい大和朝時代の遺跡で新しい型の埴輪なども発見された。

石清水八幡宮火災

1947年02月

一二日京都八幡町の石清水八幡宮が出火し、同社所蔵の国宝御鎮座縁起絵巻をはじめ多くの美術品宝物などが焼失した。

女流画家協会結成

1946年11月

各派各会の女流画家を網羅して女流画家協会が結成された。女流画家の地位の向上を目的とし選挙制による委員によつて運営し、二二年七月東京都美術館に於て自由出展制の公募展を開いた。

芸術課長更迭

1946年12月

文部省社会教育局芸術課長今日出海は依頼免本官となり、一二日新に檜垣良一が任命された。

第五回野間賞決定

1946年12月

第五回野間賞が決定し、一七日講談社で授与式が行われた。美術関係では村田泥牛、木下義謙が美術奨励賞を、河目悌二が挿画奨励賞を受けた。 

美術教育会設立

1946年11月

学校家庭一般社会に対する美術教育の普及徹底を目ざし、全国的な社会教育事業を行う財団法人美術教育会が二九日文部省の認可となり、寺内万治郎を理事長として発足した。

正倉院展開催

1946年10月

昭和一五年紀元二六〇〇年記念に一部展観された以外全く一般に公開されなかつた正倉院御物三三点が二一日から一一月九日まで奈良博物館で正倉院特別展として開かれた。非常な注目を集めて入場者は約一五万人にのぼつた。

美術記者クラブ発足

1946年10月

各新聞社美術担当記者の連絡と親睦を目的として美術記者クラブが二四日発会式を挙げた。

第二回日展開催

1946年10月

機構改革にも抱らず論議の多い中に、文部省主催第二回日本美術展覧会が一六日から一一月二〇日まで東京都美術館で開かれた。

芸術院会則一部改正

1946年10月

帝国芸術院では九月二七日戦後初めての総会を開き会則の一部を改正し一日発表した。新しい規約は第三部の音楽、雅楽、能楽の他に演劇、舞踊を加へることと会員の補充は各部門毎に会員の選挙によるいう二点である。