川端竜子

没年月日:1966/04/10
分野:, (日)

 青竜社主宰川端竜子は、4月10日老衰のため東京都大田区の自宅で死去した。享年80才。本名昇太郎。明治18年和歌山県に生れ、東京府立第3中学中退後白馬会洋画研究所に入り、後太平洋画会研究所に移って洋画を学んだ。挿絵画家としてはやくその名を知られたが、大正2年渡米し帰国後无声会に加わった。以後日本画に転じ、大正4年同志と珊瑚会をおこし、また院展に奇抜な作品を発表して第3回院展「霊泉由来」で樗牛賞をうけ、翌年同人に推された。昭和4年会場芸術を提唱して青竜社を創立し、以来同社を主宰すると共に、毎回多くの大作を発表した。昭和10年帝国美術院会員となったが之を辞退し、同12年の帝国芸術院会員も辞退した。昭和5年「魚紋」で朝日賞を受け、同34年文化勲章を受けた。又37年自邸内に社団法人竜子記念館を建設し、自作を陳列して一般に公開した。大胆な線を駆使する独特のバロック的画風にその特色があり、没するまで闊達な筆致は衰えをみせなかった。
略年譜
明治18年 6月6日、和歌山県和歌山市に生る、本名・昇太郎。家業・呉服商。
明治32年 日本橋城東小学校卒、府立第一中学校入学、同第三中学編入。
明治37年 府立第三中学を中退、白馬会洋画研究所に入る。
明治39年 白馬会研究所より太平洋研究所に移る。林夏子と結婚。北沢楽天主宰「東京パック」に入社。
明治40年 「東京パック」を退社、「東京ハッピー」「少年パック」を編集。東京勧業博覧会油絵「秋色」第1回文展「隣の人」(油絵)、国民新聞社に入社。「少女の友」挿絵を担当。
明治41年 国民新聞編輯局勤務、二回文展「とこしへにさらば」(油絵)。
明治44年 「漫画・東京日記」を新潮社より刊行。
大正2年 国民新聞社員の儘米国遊学、七月帰朝。国民新聞社退社、日本画団体「无声会」会員となる。
大正3年 洋画より日本画に転向、大正博覧会「観光客」(二曲半双)。
大正4年 再興第2回院展「狐の径」、同志と「珊瑚会」を組織。
大正5年 第3回院展「霊泉由来」樗牛賞を受く。日本美術院院友となる。
大正6年 第4回院展「神戦の巻」日本美術院同人に推挙さる。
大正7年 第5回院展「慈悲光礼讃」。第4回珊瑚会展「大森八景」(二曲半双)。
大正8年 第6回院展「土」及「安息」。
大正9年 第7回院展「大安日」「花と鉋屑」「草露行」。第6回珊瑚会展「秋光揺溶図」「猿酒」。第一次作品展を高島屋に開催。
大正10年 第8回院展「火生」、日本美術院米国巡回展「野火の巻」「霜の朝」。
大正11年 第9回院展「つのづきの巻」「庭上印象」。第8回珊瑚会「牛」「鶏舎」「庭前秋色」。
大正12年 第10回院展「鶏の舞踊」「盗心」「賭博者」。小川芋銭との十種展「冬沈潜鱗図」外十点。
大正13年 第11回院展「竜安泉石」、中央美術社より「画室の解放」を刊行。
大正14年 第12回院展「印度更紗」「佳人好在」。院展試作展「網」紙本襖絵「竹墻四季」制作。
昭和元年 第13回院展行者道三部作の一「使徒所行讃」、聖徳太子展「雨を聴く」「水涯遊禽図」(六曲半双)制作。
昭和2年 第14回院展「一天護持」(行者道三部作の二)「湯治」院展試作展「不動明王」。
昭和3年 第15回院展「神変大菩薩」(行者道三部作の三)。日本美術院同人を辞退、三越主催「竜子作品展」開催。
昭和4年 6月28日「青竜社」樹立宣言、第1回青竜展を上野公園府美術館に開催。「鳴門」「請雨曼荼羅」出品、宮中献納作品「南山三白図」(六曲一双)を制作。
昭和5年 第2回青竜展「魚紋」「草炎」、「魚紋」に対し朝日新聞社より「朝日賞」を受く。
昭和6年 第3回青竜展「真珠」「南飛図」。第1回個展(三越)「月明」外20余点。
昭和7年 第4回青竜展「新樹の曲」「立秋」「後圃蒐菜」。第2回個展(三越)に「皐月」他二曲六双を制作。
昭和8年 第5回青竜展「竜巻」(太平洋連作の一)「山葡萄」。第1回春の青竜展「春雪譜」「紫雲英」、第3回個展「日光に題す」を三越に開催。
昭和9年 第6回青竜展「波切不動」(太平洋連作の二)「白馬苑」。第2回春の青竜展「修善寺風景」「愛染」。第1回大阪個展「花鳥十二ケ月」他八点、九月南洋委任統治領の島々を視察。
昭和10年 第7回青竜展「椰子の篝火」(太平洋連作の三)「炎庭想雪図」。第3回春の青竜展「鶴鼎図」「浪戯」、第5回個展「南洋を描く」15点、第2回大阪個展「松鯉図」他10点。帝国美術院官制新たに公布され会員に任命さる。
昭和11年 第8回青竜展「海洋を制するもの」(太平洋連作の四)「雷」。第1回新帝展「茸狩図」。第4回春の青竜展「花垣」。東京個展「花鳥に彩す」。大阪個展「双鯉」他18点。帝国美術院会員を辞退。
昭和12年 第9回青竜展「朝陽来」(「大陸策」連作の一)「睡蓮」。第5回春の青竜展「十国峠俯観」「十国峠仰観」、東京個展「長城を征く」。大阪個展「熊野路」他15点、「潮騒」(四曲一双)制作、帝国芸術院会員に任命され、ただちに之を辞退。
昭和13年 宮中御用命の「松鯉図」大宮御所御用命の「鯉巴図」を制作。第10回青竜展「源義経」(大陸策連作の二)「大同石窟」「草原行」(草描8点)。第6回春の青竜展に「戦勝の春」、東京個展「征馬」他12点、三越主催五作家展に「竜門」「鏑矢」、大阪個展開催、五月北支に赴く。
昭和14年 第11回青竜展「香炉峰」(大陸策連作の三)「五鱗図」「中支点描」(草描)。第7回春の青竜展「長寿花」「銃後の春」、東京個展「南船行」と題す。大阪個展「墨心彩裳」他11点。五月中支に赴く。
昭和15年 第12回青竜展「花摘雲」(大陸策連作の四)「花下行人」(この回から会場日本橋三越になる)。第8回春の青竜展「献華」「前庭訪春図」。東京個展「葦・金剛」と題す。五月、満ソ国境、北支に赴く、新京特別市の懇請に依り、新設の新京美術院長就任。
昭和16年 第13回青竜展「曲水図」(六曲一双)「伊豆の国」(「国に寄する」連作の一)、第9回春の青竜展「春縁二題」(「愛犬図」「愛禽図」)。青竜社社人展として青々会展を設立、第1回を三越に開催「黒潮」「春厩」「紅葉の渡」を、聖戦美術展に「八達嶺頂上攻撃図」出品。大阪個展に「紅唇図」他12点。情報局、大政翼賛会後援にて「太平洋」「大陸策」の全作を高島屋に展示、4月、新京美術院東京研究所を開設、留日研究生の指導に当る。
昭和17年 第14回青竜展「国亡ぶ」(南方篇連作の一)「大和の国」(「国に寄する」連作の二)(草描)「南島草描」、第10回春の青竜展「聖雪」「極楽鳥」。第2回青々会展「菊花節」「風神雷神」「稲妻」。大阪個展「薔薇十二題」南方戦線に従軍、聖戦美術展「荊棘に挑む」。
昭和18年 第15回青竜展「真如親王」(南方篇連作の二)「越後」(「国に寄する」連作の三)草描「仏印草描」。第11回春の青竜展「牡丹獅子」「征空」。第3回青々会展「宵鯉図」「濁り江」「飛躍」。大阪個展に「花客十二題」。
昭和19年 第16回青竜展「水雷神」(南方篇連作の三)「怒る富士」(駿河「国に寄する」連作の四)、草描「盛夏草描」。第12回春の青竜展「編隊」「軍荼利明王」「春の池」、第4回青々会展「断」「春鶏図」「昭和19年秋景」。大阪個展「鯉魚十二ケ月」出品、7月妻夏子没。
昭和20年 第17回青竜展「臥竜」「爆弾散華」草描「奈良の寺々」。第13回春の青竜展に「八ツ橋(六曲一双)「松鯉図」出品。第5回青々会展「牡丹獅子」「寒鱗図」「木鼠」「句境四季」。新京芸術学院院長に就任。
昭和21年 第18回青竜展「思潮」「倣赤不動」「句意十二ケ月」(草描)。第14回春の青竜展「富貴盤」「種痘」「想春」。第6回青々会展「魚籃観音」「山百合」「果笑図」。大阪個展牡丹を主題に制作。
昭和22年 第19回青竜展「虎の間」「秋縁」「東山十題」(草描)。第15回春の青竜展「春窓図」「梅鶴図」「枝垂梅」。第7回青々会「楓溪図」「菊慈童」「千鳥」。大阪個展「近江八景」「太湖風情八趣」制作。憲法記念現代展「水中梅」。俳誌「ホトトギス」同人に推挙される。
昭和23年 第20回青竜展「狩人の幻想」「刺青」「湘南点描」(草描)。第16回春の青竜展「花の瀬」「紅薔薇」「玉子」。第8回青々会に「水鶏」「犬山城」「秋暉」。大阪個展に高島屋五十周年記念展として「花王・獣王」「春鱗」(各二曲一双)その他を制作。
昭和24年 第21回青竜展「獺祭」「都会を知らぬ子等」「多摩を溯りて」(草描)。第17回春の青竜展「花に潜む形」「暢びる」。第9回青々会「電」「百子図」「秋魚」。大阪個展開催。再建目黒不動本堂天井に「水竜図」を描く。
昭和25年 第22回青竜展「沼の饗宴」「金閣炎上」「四国遍路」(草描)。第18回春の青竜展「水巴」「百子図」。第10回青々会「山眠る」「彩果図」「有馬有情」「菊三茎」。大阪大丸のため「向上十題」を制作。大阪個展(高島屋)開催。四国遍路(第一次)に赴く。
昭和26年 第23回青竜展「翡翠」「夢」「四国遍路」(二)(草描)。第19回春の青竜展「蘇峰先生像」「山笑図」。大阪個展「吉祥十題」を制作。東京個展(三越)開催「連作奥の細道点描」。四国遍路(第二次)に赴く。講談社より「わが画生活」を刊行。第11回青々会「猿か人か」「柿壺」。
昭和27年 第24回青竜展「涼露図」「本尊無事」「四国遍路」(三)(草描)。第20回春の青竜展「春興図」(二曲屏風)「猪苗代湖」「室戸崎」。東京個展(三越)第2回「連作奥の細道点描」。修禅寺宝物館天井に「竜」を描く。兼素洞主催、雪月花展(大観、玉堂、竜子)が「月」を受持ち、「天心」「地心」を出品。大阪個展(高島屋)に「墨客十二ケ月」を制作。6月前年に続いて奥の細道を行脚、第三次四国遍路に赴く。第12回青々会「仙桃図」「秋高し」「双鴨図」。
昭和28年 第25回青竜展「風神雷神」「仏誕」「四国遍路」(四)(草描)。第21回春の青竜展「花鳥十二ケ月」(二曲屏風一双)。大阪個展(高島屋)に「水十題」を制作。3月、第2回雪月花展に雪を受持ち「飛雪」「雪峰」を出品。翠芳園の依嘱にて襖絵「千鳥図」(十枚)を制作。奥の細道行脚。11月、東京個展第3回連作「奥の細道点描」。外務省の依嘱にて、在ワシントン日本大使館を飾る作品二点を制作。
昭和29年 第26回青竜展「寝釈迦」「夕月」。第四次奥の細道行脚、第五次四国遍路。
昭和30年 高島屋にて古稀記念「竜子の歩み」展を催す。第27回青竜展「小鍛冶」「かつぱと毬藻」。第六次四国遍路(満願)句集「古稀」出版。
昭和31年 第28回青竜展「渦潮」「酒房キウリ」。春の青竜展「金閣再現」「竜」。「東京愛着」個展開催(三越)。
昭和32年 第29回青竜展「御来迎」「ミス・カッパ」。春の青竜展「河童青春」。七月富士登山、「富士と周辺」展(三越)を催す。四国遍路満願。
昭和33年 高島屋にて創立30周年記念の「竜子の歩み」展を催す。第30回青竜展「やすらい」「日々日蝕」。ベニス・ビエンナーレ美術展「吾が持仏堂」(7点)。四国33ケ所巡礼、第1回巡礼余恵展(三越)を催す。
昭和34年 文化勲章を受く。第31回青竜展「筏流し」「逆説生々流転」。春の青竜展「冬眠」「蟇の紐」。皇太子御成婚記念慶祝「紅白に因む」展(高島屋)を催す。同記念のタバコ「ピース」の図案(双鶴図)制作。第二次西国巡礼、第2回西国巡礼余恵展(三越)を催す。
昭和35年 第32回青竜展「はたたく」「天橋図」。春の青竜展に「あやかる」「花下独酌」。第三次西国巡礼(満願)。第3回西国巡礼余恵展(三越)を催す。
昭和36年 第33回青竜展「竜子垣」と「坂東33カ寺巡礼」(1)草描。春の青竜展「仮装魚籃観音」「仮装不動明王」。第一次坂東33ケ所巡拝、第1回坂東巡礼余恵展(三越)を催す。
昭和37年 喜寿記念の「竜子の歩み展」(第三次)を高島屋にて催す。社団法人竜子記念館竣工。読売新聞社の嘱により大阪四天王寺講堂の壁画(仏教東漸)の揮毫を諾し、この取材のため、1月印度に赴き、釈迦生誕の地を訪い仏跡を巡拝、2月帰京。春の青竜展「白堊と群青」(印度風景)。第34回青竜展「孫悟空」「坂東33カ寺巡礼」(草描)(2)を出品。第二次坂東66ケ所巡拝、第2回坂東巡礼余恵展(三越)を催す。句集「喜寿」出版。
昭和38年 春の青竜展「百蟇図」。6月6日社団法人・竜子記念館開館、第一次の作品展示(17点)を行う。第35回青竜展「海鵜」喜寿記念私家版句集を上梓。
昭和39年 第36回青竜展「阿修羅の流れ」。春の青竜展「仏誕像」。池上本門寺天井画を描く。
昭和40年 第37回青竜展に「伊豆の覇王樹」。春の青竜展「熊野犬」。
昭和41年 2月中旬より病床に臥す。
4月10日老衰のため死去。享年80才。従三位に叙せらる。和歌山名誉市民に推挙さる。和歌山県立美術館にて、名誉市民受賞記念展を開催。
静岡県修善寺修禅寺に埋骨。
5月青竜社構成員解散。

出 典:『日本美術年鑑』昭和42年版(137-140頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「川端竜子」が含まれます。
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