井上武吉
東京都庁舎など多くの公共建築にモニュメントを残した彫刻家井上武吉は、9月26日午後10時34分、急性心筋梗塞のため横山市内の病院で死去した。享年66。昭和5(1930)年12月8日、奈良県宇陀郡室生村字瀧谷368番地に生まれる。同26年武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)彫刻科に入学。同年第15回自由美術家協会展に「若きヴァイオリニストの手」「若者の首」で初入選する。同28年第17回同展に「悲哀」「女の首」で入選し、以後連年同展に出品する。同30年武蔵野美術学校彫刻科を卒業。同年第19回自由美術家協会展に「生」を出品し、同会会員となる。同32年11月新宿風月堂で「田中稔之・井上武吉 絵画と彫刻作品展」を開催し、「昆虫(ファッションモデル)」「人」など4点を展示する。同35年8月「集団現代彫刻」の結成に参加し、その第1回展に「虚脱」を出品する。同36年第1回宇部市野外彫刻展に出品。同年自由美術家協会を退会する。同37年第5回現代日本美術展に「間」を出品して優秀賞を受賞。翌年第7回日本国際美術展に「面への参加」を出品して優秀賞を受賞する。また、同年に開催された第7回サンパウロ・ビエエンナーレに「円とその周辺」(1958年)、「貌」(1960年)、「面と凸」(1961年)などを出品する。同40年第8回日本国際美術展に「鬆 65」を出品して再度優秀賞を受賞。同41年アントワープ国際野外彫刻展に「Question No.180-66」を出品。同42年、大規模モニュメントの設計としては初めての仕事として靖国神社の無名戦士のための記念碑「慰霊の泉」を完成させる。同43年第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展に「浮いた箱」を出品して大原美術館賞を受賞。同44年井上武吉空間造形研究所を設立。同所を基盤に、同年開館の箱根彫刻の森美術館、同50年開館の池田20世紀美術館などの建築・都市計画の設計監理を行う。同年東京・フジテレビ、「メイン広場のためのモニュメント」を制作したほか、翌年にはシンガポールのロイヤルホテルの前庭基本計画、箱根彫刻の森美術館「子供の広場」の設計監理を行う。同47年第3回神戸須磨離宮公園現代彫刻展に「都市論のための拡大定規」「The Outer Space Test Box」を出品し、前者で神戸教育委員会賞を受賞。同年米国国務省の招待により渡米する。同48年第1回彫刻の森美術館大賞展に「The Outer Space Test Box」を出品。同49年ドイツ文化庁の招きにより西ベルリンのベタニアン芸術家会館に滞在し同年54年に帰国。この間、同50年アントワープ国際野外彫刻展に「Plus and Minus No.53」「Plus and Minus No.55」を出品、同年第2回彫刻の森美術館大賞展に「コンパクト・モニュメント”ボックス17”」を出品した。同年に母校武蔵野美術大学教授となったが翌年辞任。同51年には西ベルリンのベルリン美術アカデミーで
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)
例)「井上武吉」『日本美術年鑑』平成10年版(402頁)
例)「井上武吉 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10560.html(閲覧日 2024-12-05)
以下のデータベースにも「井上武吉」が含まれます。
- ■美術界年史(彙報)
- 1963年02月 サンパウロビエンナーレ展出品作家決定
- 1969年08月 彫刻の森美術館開かれる
- 1991年09月 第22回中原悌二郎賞決定
- 1992年06月 吉田五十八賞決定
- 1995年03月 芸術選奨受賞者決定
- 1999年07月 第9回本郷新賞受賞者決定
外部サイトを探す