万国博美術館の国内出品リスト
1969年08月8月22日万国博協会は、万国博美術館に展示する国内関係作品の第2次リスト152件(絵画109件、彫刻18件、工芸25件)を内定し、第1次と合せ285件の出品リストがかたまった。なお、入館料金も決定し発表した。
8月22日万国博協会は、万国博美術館に展示する国内関係作品の第2次リスト152件(絵画109件、彫刻18件、工芸25件)を内定し、第1次と合せ285件の出品リストがかたまった。なお、入館料金も決定し発表した。
神奈川県足柄下郡箱根町二ノ平に建設中であった財団法人彫刻の森美術館(会長植村甲午郎)がこのほど完成し、8月1日午後2時半、開館式が行なわれた。山の斜面を切り開いた3万3千平方メートルの敷地を造成、彫刻家井上武吉、設計家古島一雄両氏の協力設計による屋外展示場と室内展示館を中心とした彫刻公園で、開館記念展として国内外の作家の招待・コンクールによる「第1回現代国際彫刻展」と、「日本にあるヨーロッパ近代彫刻展」が開催され、国際展部門の最高大賞に堀内正和作<立方体の二等分>、準大賞にアメリカ在住の女流作家エスコバー・マリソール作<三つの大像>が選ばれた。
ソ連文化省と日本経済新聞社の文化協定に基づく「日本彫刻展」が、7月15日から8月24日までモスクワのプーシキン美術館で開催された。出陳されたのは、古墳時代の土偶、埴輪から江戸時代の円空仏にいたるまでの作品。
7月1日~27日、神奈川県立近代美術館、日本美術館企画協議会、東京新聞社、中日新聞社の共同主催により、神奈川県立近代美術館で開催され、フェリックス・クレー所蔵の油彩・水彩・素描・版画の計191点が展示された。
文化財保護審議会は、4日44年度重要文化財のうち建造物関係として、北大農学部第二農場9棟と熊本の旧第五高等中学校3棟の2件を指定することを決め文部大臣に答申した。
洋画界の最長老で、文化勲章受章者坂本繁二郎は、7月14日、福岡県八女市の自宅で逝去した。政府は生前の功績に対して従三位勲三等、銀盃一組を贈ることを決定した。
会津若松市の南南西の山あいの大内地区は、江戸時代の宿場町の姿を殆んど完全にのこしているが、地元では、現状を変更しようとする動きがつよいため、文化庁でも重要民俗資料として指定を検討することとなった(25日)。
日中戦争、大東亜戦争等の際、記録画として描かれた多くの作品は、戦時中内地の主要都市に巡回展示され、その後東京都美術館に保管されていた。これらの戦争画は、戦後連合軍司令部に接収され、昭和26年アメリカに運ばれ、ペンタゴンその他に分散されていた。昭和36年日米修好100年にあたり、これらの絵画の返還が話題となり、朝日新聞社や国立近代美術館が返還の折衝に当った。その後、近代美術史上における重要資料として、文化的見地から外務省が返還促進をすすめていたが、昭和43年正式交渉の結果、当該作品は、米国政府から日本政府に「無期限に貸与」することとし、貸与後の取扱いは事実上日本側に自由を与えることで諒解に達した。45年2月東京国立近代美術館の青木技官がワシントンに出張し、155点の絵画を検収し、3月31日ワシントンにおいて両国交換文書が調印された。作品はニューヨーク経由で東京に空輸され、5月1日東京国立近代美術館において関係官庁その他参集のもとに荷がほどかれ、同所に収蔵された。尚、これらの経緯については6月29日発表があった。
スペインの生んだ巨匠ミロの画業を記念して、バルセロナ市ではビレイナ宮で第8回「ホアン・ミロ賞国際素描展」を開催した。これに、版画家吉田政次が「門」を出品し、グランプリとなり、ミロのデッサンとミロの肖像を刻んだ銀メダルを授与された。
明治の上流階級の邸宅建築として代表的な湯島の旧岩崎邸が、洋館(重文)と和風建築の一部を残し、解体されることになった。明治の上流生活の二重性を象徴するこの建築物は完全保存が望まれていたが、結局、和風の一部のみを残すこととなった。(23日)。
第9回現代日本美術展の受賞が、17日次のとおり決定した。フロンティア大賞―池永慶一、フロンティア賞―大西清自、聴濤襄治、三木富雄、岡本信次郎、東京国立近代美術館賞―若林奮、京都国立近代美館術賞―靉嘔、神奈川県立近代美術館賞―多田美波、大原美術館賞―高松次郎、ブリヂストン美術館賞―吉原英雄、長岡現代美術館賞―河原温、コンクール優賞―樋口正一郎、コンクール賞―西尾一三、菅隆子、下田義寛、大塚亮治、コンクール賞候補―三尾公三、石黒直子、小林はくどう、島本昭三
イラストレイター会議は挿絵画家、デザイナー、漫画家たちの集団で、イラストレーションの社会的役割を認識し、現代の重要な芸術活動としての自覚と責任を明確にしようというのが目的で、デザイナーの早川良雄が会長となった。会員95名で、雑誌「イラストレーション」を発行する。なお、このほか、著作権確立など利益擁護などの活動もし、おもな会員に朝倉摂、桂ユキ子、河野鷹思、杉全直、中原佑介、などがいる。連絡先新宿区市ケ谷砂土原町1―2保健会館221号電268―4455
京都東山、智積院の国宝「紙本金地着色桜楓図」9面のうち2ケ所が異常乾燥のためヒビ割れを生じているのが9日発見された。桜楓図の破損は、乾燥によるヒビ割れ、猫の悪戯、台風による被害を含めてこれで4度目である。
宇治市、万福寺の重文、舎利殿の扉2枚がひきちぎられ破損しているのが、9日発見された。原因は子供のいたずららしい。
千代田区北の丸三に新築中の国立近代美術館は、この程完成し、11日午前11時から同館で開館式が行われた。この美術館は、ブリヂストンタイヤ石橋正二郎会長の寄附金12億円をもとにつくられたもので、谷口吉郎設計により地上4階、地下1階、延べ1万2千平方メートルの鉄筋コンクリート造りで建てられた。温湿度、観覧経路などに最新式考慮がはらわれている。尚、開館記念展として「世界の現代美術―東西の対話」展を開き、欧米からも代表的現代美術が寄せられた。
日本芸術院は、16日昭和43年度日本芸術院恩賜賞、院賞の受賞者をつぎの通り決定した。恩賜賞―黒田重太郎(永年洋画界につくした業績に対し)日本芸術院賞―三谷十糸子(第11回日展の「高原の朝」と多年の業績に対し)、中村善策(第11回日展の「張碓(はりうす)のカムイコタン」などの諸作品に対し)、般若侑弘(第11回日展の「青い朝」に対し)、田中塊堂(第11回日展の「平和」に対し)。
京都市立美術大学、同市立音楽短期大学の両大学を統合した京都市立芸術大学が、三日正式に発足した。同大学は現在の市立美術大学と音楽短大を統合し美術学部、音楽学部に改め、総合大学にしたものである。本部と美術学部はもとの美大に、音楽学部は左京区岡崎の音楽短大に各置かれ、将来は北区大将軍の京都工芸繊維大学繊維学部跡に統合整備する計画がすすめられている。
8日白昼、大阪市立美術館に陳列中の重文硯筥など4点の古美術品が盗まれた。盗まれた4点は江戸時代の蒔絵硯筥であったが、幸いにも盗品は後日発見された。
大阪四天王寺大講堂に郷倉千靱が三年前から着手していた「仏教東漸」壁画が27日から4月9日まで日本橋東急で公開された。玄奘法師の事跡を4メートル四方18面に描いたもので、読売新聞、日本テレビ、読売テレビから四天王寺に寄進された。
文化財保護審議会は22日建築物関係の重文指定を発表した。民家23件、社寺2件で、このうち民家で最も古い大阪府佐野市の奥家は江戸初期の様式を残している。