文化勲章選考委員決定

1956年10月

本年度文化勲章文化功労者年金受賞者を決める選考委員一○名が二一日決定し、次のとおり発表された。なお従来選考委員の分野が狭すぎるという意見があり、今回は最初の案を再度練り直したもので、委員の層が拡大されている。浅野長武(東京国立博物館長) 岡田辰三(京大教授) 奥井復太郎(慶応義塾々長) 団伊能(元参議院議員) 千葉雄次郎(東大新聞研究所々長) 東畑精一(東大教授) 長尾優(東京医科歯科大学長) 野尻清彦(作家大仏次郎) 畠山一清(発明協会々長) 堀内敬三。

紫綬褒章受賞者決定

1956年10月

第三回紫綬褒章者一三名が一六日の閣議で決定した。美術関係では、榊本義春―文化財(彫刻類)の保存修理、西川辰之助―文化財(建造物)の保存修理等が選ばれた。

川端竜子浅草寺天井絵を完成

1956年10月

新築成つた浅草寺天井絵を川端竜子に依嘱中のところ二ヶ月を要して「竜図」を完成し、一八日除幕式が行われた。同図は四間に三間の厚手和紙六枚を張合せ、墨と白群及び金箔を部分的に用いている。

観光税実施

1956年09月

京都市が、同市を名実共に国際観光都市とするための財源として、社寺の拝観に課税する観光税(文化観光施設条例案)を設けようとするのに対して、社側は観光税対策本部を設け対抗して来たが、一三日から実施されることとなつた。

東西交流展に行動美術協会が参加

1956年10月

米国オレゴン州の州立美術館では一日から「東西交流展」を開催し、各都市を巡回するが、館長ボールディン・ジャー氏が戦後来日中行動美術会員と親交のあつた関係上、同会の出陳が要請され、絵画八○、彫刻二○点が送られた。なお同展には初代館長ウォーナー博士の東洋美術コレクションも出品される。

ロンドンデザイン会議に参加

1956年10月

一二、三両日ロンドンで開催される英国産業意匠協議会主催のデザイン会議に、さきに工業デザイン調査団の一員として米国へ派遣された渡辺力が日本を代表して出席した。同会議は戦後欧州に於ける著名なるもので、戦後日本人として初の参加である。

延暦寺出火

1956年09月

一一日未明比叡山延暦寺大講堂西側附近から出火、重文大講堂、同鐘台、食堂、前唐院の四棟を焼失した。尚重文六体を含む仏像、肖像等の彫刻三○数体も同時に焼失した。

平泉遺跡発掘

1956年09月

東大藤島亥治郎を主任とする平泉遺跡調査団は九日から二九日まで、毛越寺第三次調査として嘉祥寺跡、法華堂、常行堂跡の発掘に従い又同時に観自在王院跡の発掘も行つた。

国宝醍醐寺展

1956年09月

醍醐寺と毎日新聞社の共催により、九日から一八日まで、渋谷東横で国宝醍醐寺展が開催された。絵画では絵因果経、五重塔板絵、文殊渡海図、五大尊、閻魔天、訶梨帝母等、筆跡では弘法大師大日経開題、月狸毛筆奉献表、後醍醐天皇宸翰等の国宝をはじめ、平安初期から桃山にわたる日本文化の粋を最も多く秘蔵している醍醐寺の寺宝百数十点を公開したものである。

武蔵国分寺址発掘

1956年09月

日本考古学会仏教遺跡特別委員会では二日から一五日まで、東京都下国分寺町にある武蔵国分寺址の発掘を行つた。約三箇年にわたる継続調査の一環となるもので、今年の発掘により、全国国分寺中でも最大と目される七間四面の金堂の規模が実証され、講堂は二重遺跡であることが判明した。また同時に附近の堅穴住居址も調査を行つた。

イラクイラン遺跡調査団出発

1956年09月

メソポタミアを中心に古代遺跡の発掘調査を行う東京大学イラク・イラン遺跡調査団の本隊新、高井両副団長ら一○名は七日出発した。一行は六月先発した江上団長ら五名とテヘランで合流し現地の調査を行う。

毎日産業デザイン賞

1956年08月

第二回毎日産業デザイン賞は、次の通り発表され、九月六日授賞式が行われた。 工業デザイン部門─ダットサン、一九五五年一一二型セダン、日産自動車株式会社佐藤章蔵 商業デザイン部門─グラフィック55展、亀倉雄策原弘、河野鷹思、伊藤憲治、大橋正、早川良雄、山城隆一、

にせものほんもの展

1956年08月

一一日から二三日まで読売新聞社の主催により白木屋で開催、ほんもの、にせものを対照し、かつそれを判別する光学的方法なども併せて展示した。

陸奥国分寺発掘

1956年08月

昨夏に引続き今年も一日から仙台市にある陸奥国分寺址の発掘調査が行われた。講堂、中門、回廊の発掘を終つて、それらの規模を確認したもので、それと同時に附近一帯にかけてかなり広範囲に条里制の存在が認められることが東北大学伊東信雄から発表された。

四天王寺発掘

1956年07月

文化財保護委員会と大阪府教育委員会では昨年からの継続事業としている四天王寺の発掘を一○日から八月四日まで行つた。南大門址では礼拝石の北に南北の瓦敷の参道を、中門では、東回廊南縁の中門に接する部分に東西に走る瓦積の基壇を発見するなど、重要な事実を明かにした。

日仏具象作家協会結成

1956年06月

寺田春一、矢口洋小野末、他Paul Aizpri, Raymond Gu?rrier, Roger Montan?, ら一九五四年在仏中交友あつた日・仏同志により結成され、各々の伝統を尊重しつつ、生活に基盤をもつレアリテ・ユメインを造型表現に訴えようとするものだと声明している。七月第一回展を開催した。

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