土門拳

没年月日:1990/09/15
分野:, (写)
読み:どもんけん

 昭和54(1979)年9月11日、脳血栓で倒れてから療養生活を続けていた写真家土門拳は9月15日午前3時40分、心不全のため入院先の東京港区の虎の門病院で死去した。享年80。明治42(1909)年10月25日、山形県飽海郡に生まれる。大正5(1916)年、一家で東京へ移住し、同7年横浜へ移り住む。昭和3(1928)年、神奈川県立第二中学校(現横浜翠嵐高校)を卒業して逓信省の倉庫人夫として働き始めるが、画家となることを志望し、絵を描き続けていた。しかし、自らの画才に限界を感じ、同4年日本大学専門部法学科に入学。翌5年より法律勉強のため弁護士事務員となり、この間に農民組合運動に参加して検挙拘留される。同8年、母のすすめで宮内幸太郎写真場の内弟子となり、同10年、日本工房に入り名取洋之助のもとで報道写真を撮り始める。同14年日本工房を退社して外務省の外郭団体国際文化振興会の嘱宅となる。同15年、日本報道写真家協会を結成。同20年、敗戦により国際文化振興会が解散したためフリーランスの写真家となる。翌年より日本の古寺を本格的に撮り始める。同28年、肖像写真集『風貌』(アルス社)を刊行。同29年『室生寺』(美術出版社)を刊行し、同書によって翌年毎日出版文化賞、日本写真協会功労賞を受賞する。同32年広島を訪れ、原爆問題をとりあげた作品集『ヒロシマ』を翌33年に刊行。同書により第4回毎日写真賞、第2回日本写真批評家協会作家賞を受け、同34年第10回芸術選奨を受賞する。同35年『筑豊のこどもたち』を刊行し、第10回日本写真協会年度賞、第3回日本ジャーナリスト会議賞受賞。また、同36年、同書に対し第2回毎日芸術賞が贈られた。同年『法隆寺』『室生寺』同37年『春日大社』を刊行。同38年『古寺巡礼』第1集、同40年第2集、同43年第3集、同46年第4集を刊行。古社寺、仏像をモチーフに実在感あふれる作品を発表して広く知られ、同47年日本写真家協会名誉会員となった。その仕事はライフ・ワークとなった古寺巡礼と、社会問題をとらえた作品とに大別されるが、いずれにおいても「写真におけるリアリズム」を主張し、「モチーフとカメラの直結」「絶対非演出の絶対スナップ」という命題を提示して、戦後の写真界に指針を示した。昭和58年、郷里の酒田市に「土門拳記念写真美術館」が設立されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成3年版(312-313頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月26日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「土門拳」『日本美術年鑑』平成3年版(312-313頁)
例)「土門拳 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10289.html(閲覧日 2024-12-04)

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