日本美術院回顧展
1955年03月朝日新聞社主催で上野・銀座両松坂屋を会場に四日から一六日まで日本美術院回顧展が開催された。
朝日新聞社主催で上野・銀座両松坂屋を会場に四日から一六日まで日本美術院回顧展が開催された。
新らたに制定された紫綬褒章の第一回受賞者七名が二一日発表された。この褒賞は学術、芸術の発達に関し事績著明なものに授与されるもので、美術関係受賞者は左の通りである。 吉田種次郎―早くから古代工匠技術の研究に専心し、古代建築技術の大宗たる規矩術を習得し、国宝建造物の修理によくその真価を示し、又後進の指導に当る等わが国文化財保護事業に貢献する所多い。
堺市浜寺の美術品蒐蔵家相馬金次郎は二一日類焼により、所蔵の外国美術品ロダン「男の首」「手」ルドン「女の横顔」等四〇余点を焼失した。
ホノルル美術館では東京国立博物館との共催で一四日から三月二一日まで日本古美術展を開催した。陳列品は国宝一、重文七、重美五を含む掛軸三三、絵巻七、画冊一、扇面五、屏風一〇双二隻で、平安時代から江戸時代にかけての絵画の主流を示すものである。
第七回毎日演劇賞の審査結果が二一日発表されたが、個人賞のうちの装置、照明効果の両賞を合せた「美術賞」は木村荘八(一月新橋演舞場上演の浜松風恋歌装置)に決定した。
東京都教育委員会では、都文化財専門委員を従来一二名のところ、その充実をはかるため二〇名に増員し、一一日左の七名に委嘱した。(補欠一名) 渋沢敬三、岡正雄、宮本馨太郎、松田権六、渡辺素舟、本田安次、藤本治義
昭和二九年度は該当作品なく授賞は取やめとなつた。
新水彩作家協会は会名を「三軌会」と改めた。
東京国立博物館ではフランス国立博物館よりの要望に応え、日本文化の源流である考古資料の縄文、弥生式土器から古墳時代の埴輪などに及ぶ三六件を選び一〇日フランス大使館に於て寄贈式を行つた。
講和記念事業として愛知県では文化会館の創設を計画したが、その一部として美術館が完成され一日開館式が挙行された。
産業興隆と輸出振興促進の目的を以つて毎日新聞社の主催する同審査の課題六品目による入賞が三日左の通り決定した。 特選一席富士自動車組合せタナおよびイス、建築総合研究所(代表者)山口文象。特選二席新明和興業ポインター・オートスクーター、水谷文平。特選三席積水化学工業プラスチック家庭用品四点、栄久庵憲司、鴨志田厚子、中村次雄。
旧松方コレクション受入れのため上野公園凌雲院跡に建設される西洋美術館(別名旧松方コレクション美術館)の設計は、文部省でフランス政府側及び日本建築界にその意向をはかつていたが、この程ル・コルビュジェを最適任とする事に、双方の意見がまとまつたので、同省では、その依頼を決定した。
デザインに関する月刊雑誌「リヴィングデザイン」が美術出版社から創刊された。
昭和二九年度第六回毎日美術賞は該当作なく授賞はとりやめとなつた。
二八年一一月以来解体修理中であつた法隆寺西園院新堂が竣工し、二三日落慶式を行つた。これで二一年間にわたつた、法隆寺昭和修理が一応終了し、わが国の建築保存事業が一つの山をこしたことになつた。
文化財保護委員会では、新に重要無形文化財の指定及び保持者の認定基準を設け、二九日芸能関係一〇件一二名、工芸技術関係一五件一八名、計二二件三〇名の第一次指定を行つた。
池長孟の収集になる神戸市立美術館所有の南蛮美術を、毎日新聞社の主催により一一日から三〇日まで日本橋三越に於て展観した。鎖国時代長崎を通じて行われた西洋文化渡来の歴史を物語る美術遺品が、東京ではじめて系統的に陳列されたわけである。
茶道関係の諸文化財を集め産業経済新聞社の主催により一四日から二三日まで、茶道名宝展が渋谷東横で開催された。門外不出の名品名器が一堂に集められた壮観は近来稀にみるものであつた。
兵庫県文化財保護委員田岡香逸らは、六日北条町の観音堂から錣葺行基葺の石造厨子と白鳳と思われる石仏を発見した。竪一〇二糎、横七二糎の石にほられた三尊仏で、中尊は倚坐する。