山内壮夫

没年月日:1975/04/11
分野:, (彫)
読み:ヤマノウチ, タケオ*、 Yamanouchi, Takeo*

 彫刻家、新制作協会会員の山内壯夫は、4月11日午前5時7分、胆のう炎のため東京都大田区の荏原病院で死去した。享年67歳。山内は明治40年8月12日札幌市に生まれた。大正14年札幌第二中学校を卒業、上京して東京高等工芸学校彫刻科に入学、昭和4年3月同校を卒業した。続いて同校研究科に進み、昭和5年その課程を修了した。卒業の年、第4回国画会展に「女の首」が初入選、以来同郷出身で同じ東京高等工芸の一年先輩にあたる本郷新らと共にこの彫刻部の若い行動力の中心となり、第7回展(昭和7年)には「男の坐像」で国画奨学賞を受けた。翌年第8回展では会友に推され、昭和12年度には、同会従来の会員・会友制が同人制に改められ、本郷新明田川孝柳原義達らと共に新同人に推薦された。昭和14年の第14回展終了後の7月、国画会彫刻部同人全員と共に脱会して新制作派協会彫刻部設立に際し創立会員となった。以後、新制作協会運営委員長を度々つとめるなど会の運営に重要な役割を果たした。戦後の晩年には、中原悌二郎賞選考委員、建築美術工業会評議員などをつとめた。殊に戦後も早い時期から<建築と彫刻との協働>についての幾多のすぐれた実績があげられる。昭和24年北海道夕張市の労働会館に具象的なテラコッタ作品を設置したのを皮切りに、平和の母子像(長崎国際文化会館中庭)、産業祈念像(宇部市)、意志と思索(栃木文化会館ピロティー)、家族(アルミニウム・1958年新潟市庁舎)、本庄陸男文学碑(当別市)、新潟港震災復興記念碑(新潟市)、ソンミの慟哭(作者蔵)、子を守る母たち(箱根彫刻の森美術館)など主要な作品がある。

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出 典:『日本美術年鑑』昭和51年版(295頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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