明田川孝

没年月日:1958/08/13
分野:, (彫)

新制作協会彫刻部会員明田川孝は、8月13日腸閉塞症のため宮川病院にて逝去した。享年49歳。明治42年6月22日新潟県北魚沼郡に生れ、大正9年上京、日大附属第二中学に入学し、昭和8年東京美術学校彫刻本科を卒業した。翌9年第9回国画会展に「アルプ」「仔山羊」が入選、国画奨学賞を受けた。以後同会展に発表を続けた。また昭和10年第1回新興美術家協会展に入選、同11年第2回新協展にて協会賞を受け会友に推薦せられた。更に同11年には国画会彫刻部有志と造型彫刻家協会を結成、会員となつた。同14年7月国画会彫刻部解消し、同年同メンバーが新制作派協会彫刻部設立に際し会員として入会し、没するまで同会の中枢的存在として多くの作品を発表した。昭和33年秋の新制作展には彼の遺作が20点ばかり特陳されたが、僚友本郷新の追悼記の一節を紹介すれば、「ふだんは特別気をひくようなものではなかつたが・こうして並べて見ると一貫して作者の彫刻への態度、生活感情が実によく透つていて、つくづく惜しい人を失つたという実感が迫つてくる。このことは、遺作を見た多くの人々からも感慨をもらされたことでもあつた。一つのケレンも気どりもなく誠に素直に彼の中の生活の詩ともいうべきものを塊の中に託している。初めて国展に出品していた頃の作品«山羊»や«若き蒙古»などは、羊を飼い、草を刈り、乳をしぼり、手づくりのアトリエに木靴をはいて、詩作と彫刻に若い日の美しい牧場の夢を画いていた頃のものである。山羊の乳はおいしいですよといつて仲間の友達にすすめたり、木版で自作の詩集を出したりしていた。(中略)故郷から黒い堅い石が出た頃、とても堅いけど面白いでしようといつて私達に紹介した。この黒い石を彫つた彼の作品は、年々妙味を加えてきて、彼独特の詩魂となっていた。」(三彩第107号)と。一方、今から数百年前伊太利で発明されたオカリーナと呼ぶテラコッタの笛を20数年研究改良(実用新案379907号)し、本格的な楽器として世界最透のエーストロ・オカリーナ、約10種類を完成し、彼自身も吹奏し、周囲にはオカリーナ吹奏団が出来た程で、この方でも著名であり、彼の彫刻への愛情はオカリーナに集約されているという評もあつた。主要作-「海」「鹿走る(木彫レリーフ)」「村の娘」「牛と少女(石彫)」「雪国の牛乳配り」「地」「フォーヌ」「破間川」

出 典:『日本美術年鑑』昭和34年版(154頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「明田川孝」『日本美術年鑑』昭和34年版(154頁)
例)「明田川孝 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8818.html(閲覧日 2024-12-02)

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