村上肥出夫

没年月日:2018/07/11
分野:, (洋)
読み:むらかみひでお

 画家の村上肥出夫は、7月11日、岐阜県下呂市の老人福祉施設で 敗血症のため死去した。享年84。
 1933(昭和8)年12月19日、岐阜県土岐郡肥田に生まれる。45年、警察官だった父の定年により、実家のあった岐阜県養老郡養老町に戻る。48年、同県養老郡高田中学校を卒業、卒業後さまざまな仕事をしながら、ゴッホに憧れて絵を独学する。53年に画家を志望して上京、コック見習い、サンドイッチマンなどの仕事をしながら絵を描きつづけた。61年4月頃、銀座並木通り路上で自作を販売していたところ、彫刻家本郷新に見いだされ、本郷の紹介で兜屋画廊社長西川武郎を知り、以後西川の援助で都内にアトリエを持つことになり制作に専念。62年5月、毎日新聞社主催第5回現代日本美術展に、「タワー」、「九段」の2点入選。同年12月の第6回安井賞候補新人展(会場、東京国立近代美術館)に「タワー」、「本郷」が出品され、最終審査まで残るが受賞には至らなかった。63年2月、「村上肥出夫油絵展」(銀座、松坂屋)開催、150点余りの新作を出品。同展は、名古屋市、大阪市にも巡回。同展を契機に、新聞雑誌に取り上げられるようになった。同年4月から8月、パリに遊学。64年4月にはニューヨークに旅行。同年11月、「村上肥出夫 油絵・素描展 巴里・紐育・東京を描く」展(銀座、松坂屋)を開催、油彩画100点、素描・水彩画50点余りを出品。見いだされた「放浪画家」  、「放浪の天才画家」などとジャーナリズムで再び評されるようになった。71年6月、「村上肥出夫新作油絵展」(銀座、松坂屋)開催。この個展に際し、すでに村上作品を数点コレクションしていた川端康成は、「構図の整理などに、多少のわがままが見えるにしても、豊烈哀号の心情を切々と訴へて人の胸に通う。」(「『村上肥出夫新作油絵展』に寄せて」)と評した。72年、パリに滞在して制作、同年のサロン・ドートンヌに出品して銀賞受賞。79年、岐阜県益田郡萩原町の下呂温泉近くに自宅アトリエを構え、東京より移住。1997(平成9)年2月、自宅アトリエ一棟が全焼、98年3月失火により自宅居間が焼ける。この火災による精神的なショックにより体調を崩し、岐阜県高山市の病院に入院。2000年以降、毎年、兜屋画廊をはじめ各地の画廊で展覧会が開催され、04年9月には、「村上肥出夫と放浪の画家たち―漂泊の中にみつけた美」展が大川美術館(群馬県桐生市)にて開催。また、16年4月には、「村上肥出夫―魂の画家」展が東御市梅野記念絵画館にて開催された。
 60年代、ジャーナリズムから一躍脚光を浴びて美術界に登場したが、抽象表現主義やダダ的な前衛美術の興隆のなかで、新たな具象表現を模索する流れを背景に、純粋でいながら大胆な表現をつづけた独創の画家だった。生前には、エッセイ集『パリの舗道で』(彌生書房、1976年)があり、また池田章監修・発行『愛すべき天才画家 村上肥出夫画集』(2016年)、ならびに同画集『補遺小冊子』(2016年)、『補遺小冊子2』(2019年)、『補遺小冊子3』(2021年)が刊行されている。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(514頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「村上肥出夫」『日本美術年鑑』令和元年版(514頁)
例)「村上肥出夫 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995741.html(閲覧日 2024-03-29)

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