本データベースは東京文化財研究所刊行の『日本美術年鑑』に掲載された物故者記事を網羅したものです。 (記事総数 3,120 件)





田辺泰

没年月日:1982/04/01

早稲田大学名誉教授の建築史家田辺泰は4月1日午前5時42分、急性肺炎のため、東京都新宿区の東京厚生年金病院で死去した。享年83。1899(明治32)年1月14日、広島に生まれる。24年早稲田大学理工学部建築学科を卒業と同時に同校助手となり、翌25年同助教授となる。41年より同教授となり後継の指導につとめる。69年退官するとともに同名誉教授となる。この間、日本建築学会において各種委員をつとめ、50-51年同会理事、52-53年度同会副会長となる。これらの功により72年、同会名誉会員に推挙される。伊東忠太に師事し、関西の社寺建築を主たる対象としていた昭和初期にあって、いち早く関東の社寺建築に取り組み「徳川家霊廟」「日光廟建築」などを著し関東系の建築史を大成する。また、沖縄諸島の建築、庭園を調査し、その成果をまとめた大著『琉球建築』は、第2次世界大戦により被害を受ける以前の琉球文化を伝えるものとして貴重である。文化財保護審議会専門委員として、浅草寺五重塔、鶴見・総持寺大祖堂、鎌倉・円覚寺本堂などの鉄筋コンクリートによる再建を担当している。

岸田勉

没年月日:1982/02/07

石橋美術館長、元九州芸術工科大学教授、国際美術評論家連盟会員の美術史家、美術評論家の岸田勉は、2月7日心不全のため福岡県久留米市の自宅で死去した。享年66。大正4(1915)年3月5日久留米市に生まれ、昭和14年九州帝国大学法文学部法科を卒業、同16年同学部文科を卒業する。福岡師範学校教授、佐賀大学教授、九州芸術工科大学教授を歴任し、同53年から石橋美術館館長に就任する。東洋美術史研究から出発し、「李公麟論考」(同30年)、「米元章論」「五代に於ける庶民画の性格とその意義」(同32年)、「田能村竹田の人間的性格」などの論文の他、同37年には文部省在外研究員として欧米に出張し、報告書「ボストン美術館蒐集の日本絵画調査報告」をまとめた。また、はやくから美術評論も手がけ、戦後間もない同20年11月に自ら発起人となり坂本繁二郎を委員長に西部美術協会を創立、翌年春には美術雑誌「西部美術」を創刊、積極的な評論活動を展開した。郷里出身の青木繁、坂本繁二郎をはじめ、日本近代作家研究でも知られ、著書『坂本繁二郎』(昭和49年)などがある。

料治熊太

没年月日:1982/02/01

古美術研究家、評論家の料治熊太は、2月1日脳血栓のため東京都新宿区の河井病院で死去した。享年82。明治32(1899)年7月10日岡山県都窪郡に生まれ、関西中学卒業後大正8年上京、国学院大学で折口信夫の講義を受講、翌年雑誌記者として研究社に入社し、関東大震災後は博文館の雑誌「太陽」の編集に携わる。昭和3年、博文館退社後著述活動に入り、また、この頃会津八一の門下となり古美術の研究に専念する。同4年から16年まで、版画雑誌「白と黒」、「版芸術」などを手がけ、棟方志功、前川千帆、谷中安規らと親交を深める。戦後は古美術の評論に専念、「茶わん」等の諸雑誌に執筆する。また、民俗雑器の収集家としても知られる。著書に『会津八一の墨戯』『日本の土俗面』『古陶の美』『そば猪口』などがある。

伊東卓治

没年月日:1982/01/25

元東京国立文化財研究所美術部第一研究室長、元神奈川大学教授の日本書道史研究家伊東卓治は、1月25日急性肺炎のため千葉市の柏戸病院で死去した。享年80。従来、愛好者の恣意的鑑賞にまかせられ、かつ、美術史研究上閑却され勝ちな書道史研究の開拓に多大な学問的貢献をなした伊東は、明治34(1901)年11月12日静岡県浜松市に生まれ、静岡県立浜北中学、第一高等学校を経て、昭和3(1928)年京都帝国大学文学部哲学科(美学美術史専攻)を卒業した。引き続き同大学大学院へ進むが、同9年中退し、同年帝室博物館研究員となり東京帝室博物館美術課に所属、同13年帝室博物館鑑査官補、同16年同鑑査官に任じられたが同年退官。同17年中華民国国立北京大学文学院副教授に就任、翌年同教授となる。戦後は同21年帝室博物館へ復帰し、翌同22年から附属美術研究所に勤務、同37年東京国立文化財研究所美術部第一研究室長となった。同38年退官後は、同40年から同50年まで神奈川大学教授として教鞭をとる。この間、永年にわたって、書道史の学術的方法による研究に力を注ぎ、漢字書道の部門において「過去現在因果経絵巻」研究で、従来閑却されていた書の面の性格を明らかにし、また、それまで書道史の材料が美術的制作の観察に傾いていた弊を是正し、紙背文書として存する仮名消息に注目し考察した。さらに、日本書道史の重要遺品の一つである墨蹟について禅僧の書の綜合的観察を試みるとともに、戦後復活された光学的方法による古美術の研究で、書道作品を担当し、技法・筆法の特殊性解明に新機軸を出した。特に、東京国立文化財研究所において京都の醍醐寺五重塔の綜合研究を行った際、創建当初の落書が発見され、これの国語史、文学史上の価値を明らかにし、同塔の文化史的意義の考察に資した功績は大きい。この研究は『醍醐寺五重塔の壁画』と題して刊行され、共同研究者の一人として昭和35年日本学士院恩賜賞を受けた。また、同47年には、勲三等瑞宝章を受章する。

前田泰次

没年月日:1982/01/16

東京芸術大学名誉教授、文化財保護審議会専門委員、前田泰次は、1月16日午前10時45分急性心不全のため、東京都大田区の自宅で死去した。享年68。1913(大正2)年9月21日東京に、父鋳金家田中後次の次男として生まれ、母方の家を嗣いで前田姓となる。東京帝国大学文学部宗教学宗教史学科を卒業し、1936(昭和11)年帝室博物館(現東京国立博物館)研究員として勤務し、1938(昭和13)年には大阪市立美術館学芸員として転じ、1944(昭和19)年には東京美術学校助教授となる。ついで同校に併設されていた工芸講習所講師を兼任する。大戦後の学制改革に伴い東京芸術大学に改制され、1949(昭和24)年同大学美術学部助教授となり、1959(昭34)年同教授となる。大学では日本金工史、東洋工芸史、工芸論を講義する。その後同大学附属図書館長、同資料館長、および同大学評議員を併任する。1981(昭和56)年定年退官し名誉教授となる。この間に美術史学会々員、美学会々員、美術評論家連盟会員として活躍し、さらに、日本工芸会の特別会員として、伝統工芸展の審査員をつとめる。文化財保護審議会第1専門調査会工芸品部会、第4専門調査会工芸技術部会の専門委員となり、重要文化財の指定、ならびに工芸技術関係の重要無形文化財の指定ならびに保持者および保持団体の認定や記録作成、また選定保存技術の選定ならびに保持者、保持団体の認定などに力をつくした。さらに通産省の伝統的工芸品産業審議会専門委員、東京都文化財保護委員となり主として工芸品関係の調査保護に関係し、また現代工芸の評論にも活躍した。 主著 日本の工芸(大八州出版 1944)、工芸概論(東京堂 1955)明治の工芸(洋々社 共著1956)、金工・日本美術大系第9巻(講談社 共著1961)、金工・日本の工芸第3巻(淡交社 共著1966)、近代の工芸・原色日本の美術第28巻(小学館 1972)校註工芸志料(平凡社 1974)大仏と大仏殿(岩波書店 1974)現代の工芸(岩波書店 1975)工芸とデザイン(芸艸堂 1978)茶釜の旅(芸艸堂 1979)。

太田英蔵

没年月日:1981/11/28

染織史研究家の川島織物顧問・文化財保護審議会専門委員太田英蔵は、11月28日心不全のため京都市北区の鞍馬口病院で死去した。享年78。1903(明治36)年2月10日京都府与謝郡に生まれ、1921(大正10)年京都市立第一工業学校機織科を卒業、同年京都西陣の川島織物所に就職し、1957(昭和32)年に川島織物取締役となる。その間、染織史の研究も行い、主として上代裂に関する意見を発表した。京都の精華短大で染織史を講じた。1953(昭和28)年に文化財専門審議会専門委員となる。1973(昭和48)年に勲四等瑞宝章を授与される。

脇田秀太郎

没年月日:1981/08/22

美術史家、岡山県文化財保護審議会委員、岡山女子短期大学教授脇田秀太郎は、8月22日午前2時、脳血栓のため岡山市の岡山協立病院で死去した。享年74であった。1906(明治39)年9月9日、和歌山県新宮市に生まれ、第四高等学校(旧制)から東京帝国大学文学部へ進み、1931(昭和6)年、美術史学科を卒業した。その後、京都女子美術学校講師、第六高等学校(旧制)教授を経て岡山大学文学部教授となり、岡山大学を退官後は昭和47年から岡山女子短期大学教授であった。専門は絵画史で、水墨画・文人画に関する研究を中心に日本中世・近世絵画はもとより中国の水墨画や日本のやまと絵に関する論考に至るまで幅の広い研究活動が知られるが、特に文人画の作家研究に優れた業績が集中している。岡山大学、岡山女子短期大学で講義を続ける一方、59年より岡山県文化財保護審議会委員として県内所在文化財の調査研究を行っており、岡山県の文化財に関する著作も多い。多年によたるこれらの活動に対し、76年に第29回岡山県文化賞を受賞し、翌77年秋には勲三等瑞宝章を授与された。主要著述目録単行図書1943年 『日本絵画近世史』 敝文館1950年 『日本美術図説』(共著) 朝日新聞社1974年 『日本美術史概説』 明治書院1975年 『祇園南海・柳沢淇園』(文人画粋編11)(共著) 中央公論社1978年 『浦上玉堂』(日本美術絵画全集20) 集英社定期刊行物所載文献1948年 岡本豊彦伝の研究 国華 6751954年 画僧竈山 大和文化研究 61956年 黒田綾仙碑について 美術史 20溌墨と破墨 岡山大学法文学部紀要 61958年 画の南北 岡山大学法文学部紀要 91963年 つくりゑ拾遺 岡山大学法文学部紀要 161970年 野呂介石の研究 国華 9241978年 吉澤忠著『日本南画論攷』 国華 1008

岡田譲

没年月日:1981/06/26

前東京国立近代美術館長岡田譲は、6月26日肝臓腫瘍に肺炎を併発し、東京都中央区の国立がんセンターで死去した。享年70。1911(明治44)年1月2日東京の生まれ。34(昭和9)年東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業、同年11月東京帝室博物館(現東京国立博物館)の研究員となり、38年帝室博物館鑑査官補、47年国立博物館事業課文部技官、55年資料課長、58年普及課長、59年美術課長を経て、65年学芸部長となる。69年文化庁文化財保護部文化財鑑査官、72年東京国立近代美術館長となり、76年1月までつとめた。退官後は、文化財保護審議会専門委員をはじめ諸団体の委員や各博物館・美術館の顧問等のほか、77年から共立女子大学教授を亡くなる迄つとめた。81年勲二等瑞宝章を受ける。専門は工芸史で、特に漆工を中心とした研究論文が多い。また伝統工芸や現代工芸についての美術評論でも活躍している。主著 日本工芸図録(朝日新聞社1952)、日本美術全集工芸編上・下(東京文化出版1954)、調度(至文堂1966)、ガラス(至文堂1969)、南蛮工芸(至文堂1973)、日本の漆工(小学館)、正倉院の漆器(至文堂1978)、東洋漆芸史の研究(中央公論美術出版1978)、美と風土-名品・名匠との出会い(講談社1979、昭和54年度芸術選奨文部大臣賞受賞)等。

小池新二

没年月日:1981/05/04

元九州芸術工科大学長、元千葉大学教授の小池新二は、5月4日急性呼吸不全のため東京都三鷹市の杏林大付属病院で死去した。享年79。造形理論及び造形史を専門にし、とくに工業意匠の分野で幅広い活動をした小池は、1901(明治34)年11月23日東京に生まれ、東京府立一中、松本高等学校を経て、27(昭和2)年東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業、同年の帝国美術学校創設に関わりのち教授をつとめる。戦前は建築運動に積極的に関与し、建築博物館設立を提唱した他、36年には戦後の建築運動の思想的架橋ともなった日本工作文化連盟結成に加わり理事をつとめ、42年にはアルス社から『汎美計画』を刊行した。また、この間「建築世界」「建築時潮」の編集執筆に携わり、商工省工芸指導所専任技師をつとめる。戦後の48年から翌年にかけて「工芸ニュース」海外新刊紹介欄を担当、マンフォード『人間の条件』、ギーディオン『機械化の支配』などを紹介、また日本貿易博覧会渉外部嘱託、同協会企画専門委員として、横浜博、神戸博等の企画に参与する。50年千葉大学教授に就任し、翌年同大工学部工業意匠学科創設に携わった。54年には『世界の現代建築』『世界の現代住宅』(彰国社)の企画並びに出版に対して日本建築学会賞を受賞する。その後、56年に日本生産性本部第1回米国工業デザイン視察団団長として渡米したのをはじめ、ジャパン・デザイン・ハウス運営委員会委員(59年)、第12回ミラノ・トリエンナーレ展示会現地日本事務局長及び欧州デザイン事情視察日本代表(60年)、通産省工業技術院産業工芸試験所技術顧問などを歴任し、64年文部省産業芸術大学(仮称)設置に関する調査委員となる。67年、千葉大学を退官し、九州芸術工科大学創設準備室長に就任、翌年九州芸術工科大学初代学長となり74年まで在職した。75年からは、79年に開館した福岡市立美術館の設立専門委員となり、同館開館展となったアジア展実行委員会第一部会長もつとめた。この間、65年に『デザイン』を出版、72年に勲二等瑞宝章を受け、また、78年から会津若松市国立大学設置準備委員会専門委員となった。

田山方南

没年月日:1980/12/31

文化財保護審議会専門委員田山信郎(号方南)は、12月31日、急逝心不全のため、旅行中京都の知人宅で死去した。享年77。1903(明治36)年10月6日三重県阿山郡の万像寺住職川合松吟の長男として生まれた。21年三重県立上野中学校卒業後、上野市の田山八十吉の養嗣子となる。25年第四高等学校卒業、東京帝国大学文学部国史学科入学、28年大学卒業、29年8月文部省宗教局国宝鑑査官補となり、国宝の調査指定に従事、45年国史編修官兼国宝鑑査官、終戦後は、国立博物館調査課、文化財保護委員会美術工芸課に属し、文化財調査官(書跡部門)から主任文化財調査官をつとめ、65年定年退職するまで古文書・典籍・古写経・墨蹟等書跡関係の指定調査に力をつくした。退官後は文化財専門審議会委員、次いで文化庁の文化財保護審議会所属第一専門調査会書跡部会長、神奈川県小田原市の財団法人松永記念館館長、財団法人博物館明治村理事等をつとめた。 専門とする禪林墨蹟研究については、著書としてまとめられているが、その他陽明文庫・大東急記念文庫等をはじめとするコレクションの分類整理にあたり、執筆した解題等は少くない。また寺院関係古文書・聖教・一切経等の調査の仕事も膨大な量に及び、我国における書跡・典籍・古文書類の保存に関する功績はきわめて大きい。73年勲三等瑞宝章、80年従四位を叙せられた。主著 禅林墨蹟(聚楽社1955年)・続禅林墨蹟(聚楽社1965年)・禅林墨蹟拾遺(禅林墨蹟刊行会)

土方定一

没年月日:1980/12/23

神奈川県立近代美術館館長、全国美術館会議会長の美術史家、美術評論家の土方定一は、12月23日結腸癌のため鎌倉市の自宅で死去した。享年75。現代美術全般に多大な影響を及ぼした土方は、1904(明治37)年12月25日、岐阜県大垣市に生まれる。22年水戸高等学校文科乙類に入学、在学中同人雑誌「歩行者」「彼等自身」を発刊し詩を発表、また、草野心平の詩誌「銅鑼」の同人となるなど文学活動を行い、27年東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学、大塚保治、大西克礼教授につく。30年卒業後大学院へ進み、同年、ドイツへ赴くが胸を病んで翌年帰国する。32年、『ヘーゲルの美学-唯物論美学への一寄与』を刊行、34年には明治文学談話会に参加し、機関誌「明治文化研究」の編集にあたる。35年、詩誌「歴程」の同人となり、また「アトリエ」誌上にはじめて美術展評を書き、以後、西洋美術並びに日本の近・現代美術に関する論考、批評を精力的に発表するに至る。38年、内閣興亜院嘱託、ついで41年大東亜省嘱託となり、華北綜合調査研究所文化局副局長に就任し北京へ赴く。同年、『近代日本洋画史』、『岸田劉生』を出版。45年中国から引揚げ、49年千葉工業大学教授となる。50年、『世界美術全集』(平凡社)の編集委員となり、翌年千葉工業大学を辞し、同年開館の神奈川県立近代美術館副館長に就任。54年、美術評論家連盟結成にあたり会長となり、61年には柳原義達、向井良吉らと宇部市彫刻運営委員会をつくり、16名の作家に呼びかけ同市常盤公園でわが国初の野外彫刻展を開催する。63年、『ブリューゲル』を刊行、同書で毎日出版文化賞、67年には『ドイツ・ルネサンスの画家たち』を刊行、翌年同書で芸術選奨文部大臣賞をそれぞれ受賞する。また、65年から神奈川県立近代美術館館長に就任、70年には全国美術館会議会長に選出され、全国公私立美術館の活動全般にわたり指導的役割を果すとともに、以後新設された北海道、群馬、熊本、三重などの美術館建設に尽力する。72年、多年の美術評論活動に対し紫綬褒賞を、翌年、美術館、展覧会の企画活動に対し菊池寛賞を、75年には神奈川文化賞を受ける。78年、勲三等瑞宝章を受章。一方、海外の作品を紹介する企画展覧会の用務をはじめ、しばしば外国へ赴き、その芸術文化に関する国際親善の功績により、ノルウェー、ベルギー、フランス、イタリア、ポーランドからそれぞれ勲章を受ける。また、この間、日本国際美術展、現代日本美術展をはじめ各種の展覧会の審査にあたったほか、文化財専門審議会専門委員(67年、絵画彫刻部会)、群馬県立近代美術館顧問(70年)、国立西洋美術館評議員(71年)、東京国立近代美術館評議員(77年)などを歴任し、76年からは半世紀にわたる厖大な著述を集成した『土方定一著作集』(全12巻、78年完結)を刊行した。主要著作目録1932年 カール・ウィットフォーゲル著、芸術理論家としてのフランツ・メーリング(訳) 「季刊・批評」7月号『ヘーゲルの美学-唯物論美学への一寄与』 木星社1933年 正岡子規の文学論 『正岡子規研究』1934年 わが国浪漫主義文学の展望 「明治文学研究」2月号リアリズム問題に寄せて 「文学評論」3月号高山樗牛と浪漫主義 「唯物論研究」3月号明治の文芸評論(後「明治文学評論史」に改題) 『日本文学講座12・明治大正篇』4月芥川龍之介と葛西善蔵 「浪漫古典」5月号島村抱月と明治美学史 「早稲田文学」6月号森鴎外と明治美学史 「浪漫古典」7月号森鴎外と原田直次郎-明治文学史とのひとつの交流 「文学評論」8月号詩に於ける矛盾の拡大 「文芸」8月号高山樗牛論 「歴史科学」10月号島崎藤村と浪漫主義 『島崎藤村研究』11月号石川啄木と自然主義 『石川啄木研究』『坪内逍遥伝』(千葉亀雄の筆名) 改造社11月1935年 二葉亭四迷、国木田独歩と川上眉山 「早稲田文学」1月号明治文学に於けるレアリズムとロマンチシズム 「唯物論研究」4月号『当世書生気質』と長原孝太郎 「評論」(「リーフレット明治文学」改題)5月号明治浪漫主義文学に於ける新詩社の位置 「立命館文学」6月号白樺とその文化史的意義 「書物展望」11月号印象派の移植と『白樺』 「書物展望」11月号美学か芸術学か-政治からの解放 帝国大学新聞12月23日号1936年 原田直次郎とユリウス・エキステル 「邦画」2月号川上冬崖の生家を訪ふ 「南画鑑賞」5月号フォンタネージの日本 「邦画」3月号『近代日本文学評論史』 西東書林6月1937年 大野幸彦と大幸館 「書物展望」2月号キヨソーネのこと 「書物展望」4月号阿部次郎氏の『美学』に関連して 「コトバ」7月号伝統と形式 「アトリヱ」9月号絵画に於ける文学的なもの 「美術時代」11月号1938年 美学時評 「作品」2月号山本芳翠、合田清と生巧館 「書物展望」7月号書間連想-或いは中村彝とエロシェンコ 「学芸」9月号川上冬崖と幕末、明治初期の洋画 「日本評論」10月号ヘーゲル美学の絵画論 「みづゑ」9、10月号鑑画会に於て 文学士岡倉覚三氏演説(註記) 「書物展望」11月号1939年 森鴎外の『独逸日記』とユリウス・エクステル 「アトリヱ」1月号シューラー著、支那文化と支那美術(訳) 「アトリヱ」5、7月号日本的表現意欲 「南画鑑賞」8月号政治と美術 「アトリヱ」11月号現代支那美術の一断面 「アトリヱ」12月号1941年 追憶のうちにある洋画家達 「アトリヱ」3月号現代支那美術の一端 「アトリヱ」6月号高村光太郎論 「現代文学」10月号美の伝統と政府 「セルパン」12月号『岸田劉生』 アトリヱ社 12月『近代日本洋画史』 昭森社 5月『天心』(東洋美術文庫) アトリヱ社 1月1942年 志賀重昂と「南洋時事」 「新亜細亜」2月号戦争と美術 「古美術」2月号晩年の岸田劉生 「知性」3月号大東亜戦争と美術 「季刊美術」1巻2号風景美論 「生活美術」3月号デューラとイタリア 「日伊文化研究」6号伝統と体験 「画論」9号藤島武二『思い出』筆記 「季刊美術」1巻4号主題とモチーフ 「新美術」11号デューラに於ける写実 「画論」15号エルンスト・ディーツ著『印度芸術』(訳) アトリヱ社1943年 野口米次郎論 「文芸」5月号志賀重昂 「セルパン」7月号『デューラの素描』 創芸社志賀重昂著『知られざる国々』(解題-志賀重昂伝) 日本評論社1946年 蒋兆和と現代の支那美術 「美術」2月号現代の出発の意識について 「アトリヱ」9月号フラン・マズレールのこと 「アトリヱ」10月号絵画の領域 「みづゑ」10月号現代洋画の問題 「みづゑ」11月号1947年 昭和期美術の批判的回顧 「世界美術」1号絵画的レアリテの喪失 「世界美術」1号パウル・クレーと近代性 「世界美術」1号日本におけるセザンヌ 「みづゑ」1月号日本的アカデミズム 東京新聞2月4日魯迅芸術学院の木版画 「アトリヱ」2月号日本画と洋画 「美術及工芸」3月号現代美術と現代文学 「花」4月号近代日本洋画の史的展望 「美術及工芸」6月号福沢一郎論 「みづゑ」6月号画人岸田劉生 「伝記」7月号劉生と4人の友人 「花」8月号近代美術とレアリズム 「みづゑ」8月号精神史的にみた近代絵画 「新科学ペン」10月号1948年 近代絵画とデフォルマシオン 「早稲田文学」3月号脱出の画家ゴーガン 「みづゑ」3月号岡鹿之助 「創美」5月号岡倉天心 「博物館ニュース」11月号中国の木刻 「季刊中国」2号『現代美術-近代美術とレアリズム』 吾妻書房 11月1949年 絵画の近代 「アトリヱ」4月号三つのレアリズム 「アトリヱ」5月号近代美術のレアリズム 「みづゑ」5月号ゴッホ、マチスと上村松園 「三彩」5月号クールベとプルードン-或は政治と絵画 「アトリヱ」7月号安井、梅原自選展 「みづゑ」7月号麻生三郎論 「みづゑ」8月号自然主義とレアリズム 「みづゑ」10月号20世紀レアリズム 読売新聞10月3日批評の批評の批評 「アトリヱ」11月号セザンヌとセザンヌ伝説 「アトリヱ」12月号『社会科事典・第8巻 日本-美術』 平凡社『大百科事典補遺2 日本-美術』 平凡社1950年 現代絵画と生活感情 毎日新聞2月25日セザンヌ、ドランと安井曾太郎 「アトリヱ」4月号近代絵画の運命 「芸術新潮」5月号銅像彫刻は何処へ行く 「芸術新潮」6月号美術のヒューマニズムという事 「アトリヱ」6月号自画像 「美術手帖」8月号逆光のなかのファンタジー-香月泰男の絵 「アトリヱ」10月号高村光太郎-訪問記 「美術手帖」12月号贋物の勝利 「芸術新潮」12月号幻想のある映像 「アトリヱ」12月号現代中国の美術 『現代中国辞典』 現代中国辞典刊行会『中国木刻集』(「中国の木刻」) 中日文化研究所『世界美術全集・第24巻・西洋19世紀3-フィンセント・ファン・ゴッホ』 平凡社1951年 特集、近代絵画50年、キュービスム 「美術手帖」1月号藤島武二代表作展 朝日新聞3月20日抽象絵画とレアリズム 「美術手帖」4月号香月泰男個展 毎日新聞(夕)4月24日ゴッホの素描と油彩 「美術手帖」5月号森芳雄個展 毎日新聞6月2日川端実個展 毎日新聞6月28日近代美術館創生期 「芸術新潮」7月号村井正誠個展 毎日新聞7月12日ひとつの心理的映像-井上三綱について 「アトリヱ」8月号ムンクへの回想 「みづゑ」8月号ピカソ展 毎日新聞8月28日アンドレ・ミノー 「美術手帖」9月号現代美術の展望 「アトリヱ」11月号特集・東洋と西洋、芋銭 「芸術新潮」11月号岡本太郎個展 毎日新聞11月3日ゴーガンの芸術とエジプト、ジャヴァ、古代ギリシャ 「アトリヱ」12月号高畠達四郎展 毎日新聞12月12日『美術』(毎日ライブラリー)(編) 毎日新聞社『商業デザイン全集(6巻)』(共編) イヴニングスター社『世界美術全集・第25巻・日本4』 平凡社『文学講座1 文学の問題-文学と美術』 筑摩書房『世界美術全集・第22巻・西洋19世紀1-ジャック・ルイ・ダヴィッド』 平凡社1952年 佐伯祐三展について 神奈川県立近代美術館カタログ 1月海老原喜之助のなど 「美術手帖」3月号佐伯祐三について 「みづゑ」3月号海老原喜之助のこと 「みづゑ」5月号イタリアの現代美術 「みづゑ」7、8月号ピニヨンとリュルサの個展 「みづゑ」9月号近代美術館のあり方 「工芸ニュース」11月号1953年 Illustrationの伝統の中のロートレック 「みづゑ」1月号現代芸術の最先端 「芸術新潮」1月号ロルジュと社会諷刺 「美術批評」1月号リュシアン・クートーの心理風景 「芸術新潮」2月号リュシアン・クートーについて 「みづゑ」2月号ブランクーシとマリノ・マリーニ 「みづゑ」3月号高村光太郎、人と作品 「芸術新潮」6月号岸田劉生(本朝洋画家伝6) 「中央公論」7月号デ・キリコとカルロ・カルラ 「みづゑ」8月号エトルリアの遺跡 「芸術新潮」8月号脇田和論 「みづゑ」9月号オランダの現代版画 「みづゑ」10月号ルオー・人と芸術 「国立博物館ニュース」10月号コルマールのウンターリンデン美術館 「美術手帖」10月号デルフト市のフェルメール 「芸術新潮」12月号『ヨーロッパの現代美術』 毎日新聞社『現代世界美術全集・第5巻-パリ近代美術館とフェルナン・レジェ』 河出書房『世界美術全集・第23巻・西洋19世紀2-ドーミエとクールベの写実主義』 平凡社『年刊世界文化事典1953-美術館』 平凡社1954年 ポーランド生れの諷刺画家フェリックス・トポルスキー 「美術手帖」2月号フェルメール 「みづゑ」3月号バルデサリのゴッホ展の設計 「みづゑ」3月号日本美術の国際交流 毎日新聞3月11日レンブラントの家 「美術手帖」6月号テート・ギャラリーとポール・ナッシュ 「美術手帖」8月号デ・キリコとダリの近作 「みづゑ」9月号ピカソ展とシャガール展 「芸術新潮」9月号イタリアの現代彫刻 「日伊文化研究復刊」1号『日本現代画家選3 16・脇田和』 美術出版社『世界文化年鑑1954-美術館』 平凡社1955年 私の認める前衛美術・現在の視野について 「芸術新潮」2月号マンジーとマスケリーニ 「みづゑ」3月号マックス・エルンスト 人と作品 「美術手帖」3月号現代イタリア美術展について 神奈川県立近美術館展覧会カタログ 4月クラナハとその裸婦 「みづゑ」5月号イタリアの現代美術 「みづゑ」6月号特集・メキシコの美術、メキシコ美術の相貌 「美術手帖」10月号荻須高徳展について 神奈川県立近代美術館カタログ 10月荻須高徳論 「みづゑ」11月号『世界美術館めぐり』(1時間文庫) 新潮社『シャガール』(アート・ブックス) 講談社『メキシコ絵画』(原色版美術ライブラリー) みすず書房『クレー』(原色版美術ライブラリー) みすず書房『世界文化年鑑1955-美術館』 平凡社1956年 鳥海青児個展(展覧会評) 毎日新聞1月25日グリューネヴァルトと死の踊り 「みづゑ」1月号ヘンリ・ムア(現代美術7人の巨匠2)「芸術新潮」2月号安井曾太郎の写実について 「みづゑ」2月号彫刻家として詩人としての高村さん 読売新聞4月2日安井曾太郎遺作展(展覧会評) 毎日新聞4月8日棟方版画と現代日本美術 読売新聞6月22日雪舟の回想 「みづゑ」6月号浦上玉堂 「みづゑ」7月号レムブラントとカラヴァジェスク 「みづゑ」9月号銅像彫刻の行方 「芸術新潮」9月号福沢一郎油絵展(展覧会評) 毎日新聞10月6日日本の彫刻 「芸術新潮」10月号ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展の歴史 「国立近代美術館ニュース」16『生活の中の近代美術』(共著) 毎日新聞社ジェイムス『ヴァン・ゴッホ1、2』(フェーバー世界名画集)(訳) 平凡社『世界美術全集・第28巻・日本5-断絶から継続、発展への展望』 平凡社1957年 生きている絵画1~7 「芸術新潮」1~8月「美術交流」中央機関の設置を(論壇) 毎日新聞5月29日日展・芸術院問題について 読売新聞7月12日ピカソの版画 「みづゑ」8月号戦後美術賞の価値 「芸術新潮」9月号現代ドイツの美術 「みづゑ」10月号ピーター・ブリューゲルの時代(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・1) 「みづゑ」11月号ブリューゲルとアントウェルペン(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・2) 「みづゑ」12月号野外彫刻展の方向 神奈川県立近代美術館「集団58野外彫刻展」カタログ 12月『ゴッホの水彩と素描』 美術出版社『現代イタリアの彫刻(座右宝美術叢書3)』 河出書房新社『高村光太郎』 筑摩書房1958年 野外彫刻展の方向 朝日新聞1月27日制作の秘密(パウル・クレーの日記)(訳) 「芸術新潮」1月号ブリューゲルとイタリア(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・3) 「みづゑ」2月号海老原喜之助(現代を担う人3) 「芸術新潮」3月号松本竣介・島崎鶏二展(展覧会評) 朝日新聞4月14日佐伯祐三作品展(展覧会評) 朝日新聞4月14日ブリューゲルとボッシュ・1(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・4) 「みづゑ」5月号特集・芸術と人気のからくり-画家の人気と市場 「芸術新潮」5月号特集・最先端に立つ5人の画家-菅井汲 「芸術新潮」6月号東西美術論をこう読んだ-マルロオのフランス中華思想 「芸術新潮」8月号ファン・ゴッホとオランダ 「みづゑ」11月号『美術』(毎日ライブラリー・新版)(編) 毎日新聞社『造型の心理-生きている絵画』 新潮社ブロック『セザンヌ』(フェーバー世界名画集)(訳) 平凡社ストークス『セザンヌ2』(フェーバー世界名画集)(訳) 平凡社1959年 ビュッフェ展(展覧会評) 朝日新聞3月2日現代彫刻50選 「芸術新潮」3月号現代彫刻の方向 毎日新聞7月23日海老原喜之助素描展(展覧会評) 朝日新聞9月16日転換期にある現代彫刻展(アントワープの野外彫刻展を見て) 「芸術新潮」9月号特集・美の典型1-ギリシャ 「芸術新潮」10月号カイエダール・未完の傑作-ダヴィンチ、セザンヌ、ブランクーシ 「芸術新潮」10月号ブリューゲルとブレダ(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・5) 「みづゑ」10月号ブリューゲルとボッシュ(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・6) 「みづゑ」11月号『近代日本の画家たち』 美術出版社ブリューゲルとボッシュ・2(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・7) 「みづゑ」12月号1960年 特集・シャガール-奇蹟の画家 「みづゑ」1月号ミロの絵がここから生れた 「芸術新潮」1月号国内評価と国際評価 毎日新聞2月11日マリーニの版画 読売新聞2月15日ブリューゲルとボッシュ・3(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・8) 「みづゑ」2月号特集・名画による人間の歴史(編・解説) 「芸術新潮」2月号近代美術と群像 毎日新聞3月28日ブリューゲルと中世の諺(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・9) 「みづゑ」3月号特集・近代美術の捨石-2欧州 ガウディ他の作家 「芸術新潮」4月号荻須高徳の近作 「みづゑ」4月号ブリューゲルの初期風景画(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・10) 「みづゑ」4月号ブリューゲルの初期風景画・2(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・11) 「みづゑ」5月号ブリューゲルと異端(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・12) 「みづゑ」6月号グリューゲルと異端・2(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・8) 「みづゑ」7月号グリューネワルトの復活(ミステリー・古美術8) 「芸術新潮」8月号ブリューゲルと異端・3(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・14) 「みづゑ」8月号20世紀フランス美術展の展望(展覧会評) 毎日新聞9月15日浜田知明の版画 「みづゑ」9月号ブリューゲルと異端・4(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・15) 「みづゑ」9月号深沢幸雄(現代日本の作家像) 「美術手帖」9月号ロッテルダムの都市と彫刻 「美術手帖」10月号ブリューゲルの12ヵ月図・1(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・16) 「みづゑ」10月号ブリューゲルの12ヵ月図・2(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・17) 「みづゑ」11月号ブリューゲルの12ヵ月図以後(ブリューゲルと北方ルネサンスの画家たち・18) 「みづゑ」12月号1961年 円空-この、魔術的造像僧 「みづゑ」1月号聖ルカ組合の成人としての画家(呪術師・職人・美術家・1) 「美術手帖」1月号イタリア現代彫刻の系譜-その伝統と現在 「みづゑ」2月号中世社会のなかの建築家(呪術師・職人・美術家・2) 「美術手帖」2月号ヴェネツィアのガラス職人(呪術師・職人・美術家・3) 「美術手帖」3月号美術展覧会の誕生(呪術師・職人・美術家・4) 「美術手帖」4月号アフリカの彫刻 「みづゑ」5月号仮面の彫刻家(呪術師・職人・美術家・5) 「美術手帖」5月号向井良吉の彫刻-形と建築の意識について 「みづゑ」6月号組合画家と宮廷画家(呪術師・職人・美術家・6) 「美術手帖」6月号クレーの人形芝居 「芸術新潮」7月号蒐集家、鑑定家、画商(呪術師・職人・美術家・7) 「美術手帖」7月号パウル・クレーと色彩分割 「みづゑ」8月号近代画商の誕生(呪術師・職人・美術家・8) 「美術手帖」8月号イタリアの新人作家たち 「みづゑ」9月号ピカソの画商(呪術師・職人・美術家・9)「美術手帖」9月号建築と彫刻・絵画の融合 朝日新聞(夕)10月13日晩年のパウル・クレー 「みづゑ」10月号呪術師としての画家(呪術師・職人・美術家・10) 「美術手帖」10月号先史時代のグラフィックの職人(呪術師・職人・美術家・11)(完) 「美術手帖」12月号1962年 大正期の洋画展 「芸術新潮」1月号現代美術の条件測定・国際具象派美術展(展覧会評) 毎日新聞(夕)4月20日リン・チャドウィック(戦後の現代彫刻・1) 「みづゑ」4月号アーミテージ(戦後の現代彫刻・2) 「みづゑ」5月号ペナルバ(戦後の現代彫刻・3) 「みづゑ」6月号アジューの彫刻(戦後の現代彫刻・4) 「みづゑ」7月号セザールの彫刻(戦後の現代彫刻・5) 「みづゑ」8月号リン・チャドウィック-不安の幾何学といわれる彫刻 神奈川県立近代美術館「チャドウィック、アーミテージ彫刻展」カタログ 8月ケネス・アーミテージ-じゃが芋と割箸の彫刻 神奈川県立近代美術館「チャドウィック、アーミテージ彫刻展」カタログ 8月ビザンティン芸術のなぐさめ 「芸術新潮」9月号萬鉄五郎ノート 「三彩」9月号ハンス・エルニーのこと 神奈川県立近代美術館「ハンス・エルニー展」カタログ 9月日本にあるパウル・クレー 神奈川県立近代美術館「日本にあるパウル・クレー展」カタログ 9月レッグ・バトラーの彫刻(戦後の現代彫刻・6) 「みづゑ」9月号ハンス・エッシュバッハー(戦後の現代彫刻・7) 「みづゑ」11月号鳥海青児の芸術 「みづゑ」12月号『クレー』(世界名画全集・14) 平凡社『木内克作品集-木内克の世界』 美術出版社1963年 大正期の洋画 「三彩」1月号複製芸術としての彫刻 毎日新聞(夕)1月14日須田国太郎遺作展 毎日新聞(夕)3月4日ウォトルーバ・四角柱と円筒柱の造型単体・8 「みづゑ」3月号『ブリューゲル』 美術出版社 6月海老原喜之助自選展(展覧会評) 毎日新聞7月19日現代イギリス彫刻(モアからターンブル) 「みづゑ」7月号福田豊四郎展 神奈川県立近代美術館「上村松篁、福田豊四郎展」カタログ 9月ブラックの死に静かな哀悼 毎日新聞9月2日海老原喜之助自選展・海老内喜之助の青(今月の陳列室) 「文芸春秋」10月号『画家と画商と蒐集家』岩波新書 岩波書店 12月『松本竣介画集-松本竣介』 平凡社1964年 浜田知明の芸術 熊本日日新聞6月26日はじめて開かれた高橋由一の回顧展 「芸術新潮」174号鑑賞席・日本古美術展から(3)彫刻-象徴と人間との境 「朝日ジャーナル」6ノ431965年 スペインのアンプリアス遺跡 「みづゑ」4月号三岸好太郎展(展覧会評) 読売新聞5月3日高畠達四郎展(展覧会評) 毎日新聞(夕)6月8日岡田謙三(現代日本の100人) 「文芸春秋」7月号「現代の洋画」と「フューザン」 「本の手帖」1-7号『渡辺崋山』(少年伝記文庫) 国土社『三岸好太郎画集-三岸好太郎』 平凡社1966年 たそがれのミケランジェロ 「芸術新潮」3月号カンピーリの近作展(展覧会評) 「朝日ジャーナル」3月12日号高村さんの彫刻(高村光太郎と智恵子展)(展覧会評) 読売新聞(夕)3月15日現代美術の断層 毎日新聞5月3日ドイツ・ルネサンスの画家たち・1(ルーカス・クラーナハ(1)) 「みづゑ」5月号近代日本洋画の150年展 神奈川県立近代美術館展覧会カタログ 6月ドイツ・ルネサンスの画家たち・2(ルーカス・クラーナハ(2)) 「みづゑ」6月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・3(ルーカス・クラーナハ(3)) 「みづゑ」7月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・4(ラート・ゲープ(1)) 「みづゑ」8月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・5(ラート・ゲープ(2)) 「みづゑ」9月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・6(デューラーとヨハネ黙示録(1)) 「みづゑ」10月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・7(デューラーとヨハネ黙示録(2)) 「みづゑ」11月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・8「デューラーとヨハネ黙示録(3)) 「みづゑ」12月号野口弥太郎 「国際写真情報」189号『日本の近代美術』(岩波新書) 岩波書店『木喰の彫刻』 講談社秀島由己男のこと 「秀島由己男展目録」 南天子画廊1967年 岡田謙三 毎日新聞1月1日ドイツ・ルネサンスの画家たち・9(職人時代のグリューネウァルト) 「みづゑ」1月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・10(グリューネウァルトの自画像) 「みづゑ」2月号現代美術の新世代(上)(下) 毎日新聞(夕)3月21、22日ドイツ・ルネサンスの画家たち・11(デューラーとグリューネウァルト) 「みづゑ」3月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・12(イーゼンハイムの祭壇画) 「みづゑ」4月号石本正 「芸術新潮」4月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・13(アルトドルファーとドナウ派) 「みづゑ」5月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・14(バーゼルのハンス・ホルバイン(子)」 「みづゑ」6月号麻生三郎のこと 「武蔵野美術」6月号ドイツ・ルネサンスの画家たち・15(傭兵隊書記ニクラウス・マヌエル) 「みづゑ」7月号記録画としての戦争美術 毎日新聞(夕)8月23日ドイツ・ルネサンスの画家たち・16(デューラー以後とマニエリスム) 「みづゑ」8月号地下に眠った1900年「ポンペイ古代美術展」(展覧会評) 「国際写真情報」197号『ドイツ・ルネサンスの画家たち』 美術出版社香月泰男の世界 神奈川県立近代美術館「香月・高山二人展」カタログ『画集シベリア-香月泰男』 求龍堂1968年 現代の仮説・世界に通用する12人 「芸術新潮」1月号この人に期待する2・井上武吉 東京新聞2月5日藤田嗣治のこと 「三彩」3月号古典的芸術論は崩壊するか(上)(下) 毎日新聞4月5日、6日レンブラントと現代 朝日新聞4月25日現代の彫刻的状況-野外環境と密室環境 読売新聞(夕)10月21日巨匠とともに・グリューネウァルト・1 「三彩」11月号関根正二 「季刊芸術」2ノ11969年 前田寛治ノート 「前田寛治展カタログ」 1月レンブラント・ファン・レイン(1)~(4) 「季刊芸術」8-11号香月泰男の世界 「芸術新潮」5月号巨匠とともに・グリューネウァルト・2 「三彩」1月号パウル・クレー-人と芸術 「パウル・クレー展カタログ」7月 神奈川県立近代美術館『福沢一郎画集・蟹のよこばい-福沢一郎の世界』 求龍堂1970年 レンブラント・ファン・レイン(5)~(7) 「季刊芸術」12-15号エドヴァルド・ムンク-人と芸術 「エドヴァルド・ムンク展カタログ」9月 神奈川県立近代美術館世界美術の多元性 「仏教芸術」75号高山辰雄の世界 「芸術新潮」4月号『パウル・クレー画集-パウル・クレー』 求龍堂1971年 毎日芸術賞・宇治山哲平 毎日新聞(夕)1月1日鳥海さんの近作のこと 「アート」2月号レンブラント・ファン・レイン(8) 「季刊芸術」5ノ1幻視の画家-関根正二 「世界」4月号高橋由一とその時代展について 「高橋由一とその時代展カタログ」 神奈川県立美術館デッサン・水彩・版画あるいは、いまひとつの海老原芸術 「海老原喜之助デッサン・水彩・版画展カタログ」 神奈川県立近代美術館荻須高徳展に際して 「荻須高徳展カタログ」 神奈川県立近代美術館“ボルドー美術館名作展”の作家と作品 「ボルドー美術館名作展カタログ」 神奈川県立近代美術館『ムンク画集』 筑摩書房海老原喜之助論 「海老原喜之助展カタログ」 毎日新聞社『大正・昭和期の画家たち』 木耳社『岸田劉生』 日動出版『評伝レンブラント・ファン・レイン』 新潮社『神奈川県美術風土記・明治大正篇-鵠沼、鎌倉時代の岸田劉生』 神奈川県立近代美術館『日本絵画館(11) 現代-昭和期の絵画』 講談社1972年 画家と言葉と1~6 「素描」6、7、9、11、16、19青木繁とわが国浪漫主義の晩果 「絵」101号多田美波 「芸術新潮」4月号鳥海芸術を・ひとつの視角から 「三彩」増刊294号ペーテル・ブリューゲルの人と芸術 「ペーテル・ブリューゲル版画展カタログ」 神奈川県立近代美術館回想のジェームズ・アンソール-仮面と骸骨について 「ジェームズ・アンソール展カタログ」 神奈川県立近代美術館ブールデル、マイヨール、ジャコメッティ-ぼくのなかのひとつの連関について 「巨匠ブールデルの全貌展カタログ」 神奈川県立近代美術館『大系世界の美術16・バロック美術-絶対王政下と市民社会下の美術、17世紀のオランダ絵画』 学習研究社『神奈川県美術風土記、高橋由一篇-総論、高橋由一の人と芸術』 神奈川県立近代美術館『Oguiss-荻須高徳、人と芸術』 毎日新聞社1973年 関根正二、遺聞 「絵」107、111号加山又造論 「芸術新潮」7月号若林奮の経験の集約 「三彩」9月号吉原治良さんのこと 「吉原治良展カタログ」 神奈川県立近代美術館黒田清輝と日本的アカデミスム 「黒田清輝展カタログ」 神奈川県立近代美術館村井正誠さんのこと 「村井正誠展カタログ」 神奈川県立近代美術館逃名の人、原勝四郎 「原勝四郎展カタログ」 神奈川県立近代美術館デ・キリコ-この偉大な形而上的美学の表象の司祭 「デ・キリコ展カタログ」 神奈川県立近代美術館形と色のこと 「第5回現代日本彫刻展カタログ」 宇部市パウル・クレー著『造形思考(上)(下)』(共訳) 新潮社『神奈川県美術風土記、近代篇-鳥海青児と平塚、藤沢』 神奈川県立近代美術館『近代日本文学評論史』(日本文学研究基本叢書) 法政大学出版局『高橋由一画集-高橋由一の人と芸術』 講談社『浜口陽三版画作品集-浜口陽三の世界』 南天子画廊1974年 香月泰男を悼む 毎日新聞(夕)3月11日流政之 「芸術新潮」7月号阿部展也回顧展に寄せて 「阿部展也展カタログ」 神奈川県立近代美術館回想のヘンリー・ムア 「ヘンリー・ムアによるヘンリー・ムア展カタログ」 神奈川県立近代美術館原勝郎さんのこと-生活のある絵 「原勝郎展カタログ」 神奈川県立近代美術館木内克さんの彫刻造形 「木内克彫刻展カタログ」 日動サロン柳原義達の最近の仕事、雑感 「柳原義達展カタログ」 現代彫刻センター『大系世界の美術20・現代美術』(共著) 学習研究社『鳥海青児』(日本の名画) 講談社『関根正二』(日本の名画) 講談社『ブリューゲル全版画』 岩波書店『村井正誠作品集』 美術出版社『小熊秀雄、詩と絵と画論-小熊秀雄の素描と油絵』 三彩社1975年 近藤弘明 「芸術新潮」7月号ドーミエ-その人と芸術 「ドーミエ展カタログ」 神奈川県立近代美術館中国の木刻 「中国木版画展カタログ」 神奈川県立近代美術館田中阿喜良君の人間像 「田中阿喜良展カタログ」 神奈川県立近代美術館ポール・デーヴィスという人 「ポール・デーヴィス展カタログ」 神奈川県立近代美術館追憶のなかの林武さん 「林武展カタログ」 日本経済新聞社保田春彦 「個展カタログ」 南天子画廊『清水登之画集-清水登之の人と作品』 日動出版『ヒエロニムス・ボス』(新潮美術文庫) 新潮社『子規写生画-子規、写生画の視覚的、絵画的世界』 講談社『今西中通画集-回想の今西中通』 三彩社1976年 北方的な幻花の画家-三上誠ノート 「三上誠展カタログ」 神奈川県立近代美術館宇治山哲平の沸々たる抽象世界 「宇治山哲平展カタログ」 神奈川県立近代美術館高畠達四郎の絵画世界 「高畠達四郎展カタログ」 日本経済新聞社清水九兵衛 「個展カタログ」 南画廊『土方定一著作集1 呪術師、職人、画家と美術市場』 平凡社『土方定一著作集2 ドイツ・ルネサンスの画家たち』 平凡社『土方定一著作集3 ブリューゲルとその時代』 平凡社『土方定一著作集4 レンブラント』 平凡社『土方定一著作集6 近代日本の画家論1』 平凡社『土方定一著作集7 近代日本の画家論2』 平凡社1977年 第9回「日本芸術大賞」の清水九兵衛 「芸術新潮」7月号近代日本洋画史のひとつの展望-「日本洋画を築いた巨匠展」を機に 「日本洋画を築いた巨匠展カタログ」 神奈川県立近代美術館オスロのムンク美術館とエドヴァルド・ムンク 「ムンク版画展カタログ」 神奈川県立近代美術館関根正二の追跡-幻視の画家 「NHK日曜美術館」2『土方定一著作集8 近代日本の画家論3』 平凡社『土方定一著作集9 美術館、都市と巨匠』 平凡社『土方定一著作集10 造形の心理とその周辺』 平凡社『土方定一著作集11 近代ヨーロッパ美術と現代』 平凡社『土方定一著作集12 近代彫刻と現代彫刻』 平凡社『高畠達四郎画集-高畠達四郎の絵画世界』 講談社1978年 追悼・岡鹿之助、内なる風景感情 「みづゑ」7月号オスカー・ココシュカの「プロメテウス伝説」 「オスカー・ココシュカ展カタログ」 神奈川県立近代美術館近藤浩一路の回顧展に際して 「近藤浩一路展カタログ」 神奈川県立近代美術館マナブ・間部の日本展に際して 「マナブ・間部展カタログ」 神奈川県立近代美術館近代日本画の巨匠展に際して 「近代日本画の巨匠展カタログ」 神奈川県立近代美術館『土方定一著作集5 ヒエロニムス・ボス紀行』 平凡社『岡鹿之助画集-岡鹿之助論』 美術出版社『トコトコが来たといふ 詩・童話』 平凡社1979年 第11回「日本芸術大賞」の前田常作 「芸術新潮」7月号ドガの彫刻のこと 「ドガ・彫刻のすべて展カタログ」 神奈川県立近代美術館片岡球子さんのこと その心理的、幻想的な色彩世界 「片岡球子展カタログ」 神奈川県立近代美術館野口弥太郎-天成の画家の生成について 「野口弥太郎展カタログ」 神奈川県立近代美術館文化ファシズム下の美術と戦後の現代美術 「現代美術・戦後展カタログ」 神奈川県立近代美術館関根正二-近代日本美術史にその比を見ない幻視の画家 「関根正二展カタログ」 白河市歴史民俗資料館『高見順素描集-高見順のスケッチ帖』 文化出版局1980年 藤次郎と森鴎外、原田直次郎 「みづゑ」3月号浜田知明の版画-その孤独なデーモン 「浜田知明・銅版画展カタログ」 神奈川県立近代美術館『岸田劉生画集』 岩波書店『原色現代日本の美術・第10巻・現代の洋画』 小学館『片岡球子画集-片岡球子さんの芸術』 朝日新聞社1981年 『大原美術館-大原美術館へのオマージュ』 大原美術館(本目録は匠秀夫編「著作目録」-『土方定一遺稿』 所収-から作成したものである。)

後藤捷一

没年月日:1980/09/17

染織書誌学研究家後藤捷一は、肝腫瘍のため9月17日大阪市淀川区の東淀川病院で死去した。享年88。1892(明治25)年1月2日徳島市に生まれた。1909年、徳島県立工業学校を卒業、直ちに大阪に出て染料の研究を始める。染織関係の業界誌を編集する一方、染織を主体にした文献を収集し、『日本染織譜』など数多くの文献を残し、晩年には約70年にわたって集めた資料や文献を整理、室町時代から明治中期までの計671点からなる『日本染織文献總覧』をまとめた。また、藍の研究でも著名で、特に阿波藍の研究では第一人者であった。主要著書染料植物譜 高尾書店 昭和12年同上 複刻 はくおう社 昭和47年日本染織譜 東峰出版 昭和39年日本染織文献總覧 染織と生活社 昭和55年

松下隆章

没年月日:1980/09/15

文化財保護審議会委員松下隆章は、9月15日脳出血のため、鎌倉市の自宅で死去、享年71。1909(明治42)年3月31日、長野県飯田市に生まれ、長野県飯田中学校を経て、27年慶応義塾大学文学部に入学、33年同大学美学美術史学科を卒業。34年帝室博物館研究員となり、38年同館鑑査官補に任ぜられたが、44年退職、直ちに新設の根津美術館に入り、同館学芸員として館の発展につとめた。47年国立博物館付属美術研究所に入り、52年文化財保護委員会事務局美術工芸課へ転じ、はじめ絵画部門の担当技官として、59年には美術工芸課長、65年には文化財鑑査官となって、国宝・重要文化財指定や保護等、わが国文化財行政の中心にあって活躍した。その間主な出来事として、永仁の壷事件の処理、韓国文化財返還等を手がけた。69年奈良国立文化財研究所長に就任したが、72年京都国立博物館長に転じ、78年退官するまで、6年間多くの展覧会を手がけ、また同館に文化財保存修理所を設けるなど館の充実と発展に貢献した。70年より、文化庁の文化財専門調査会絵画彫刻部会専門委員となり、さらに76年文化財保護審議会委員に任命され、国の文化財行政の助言・指導に当った。 その専門は日本絵画史で、仏画や水墨画に多くの論文著書がある。その他美術に関する随筆等も少くない。また55年より69年まで母校の慶応大学で美術史を講じた。主要著述目録単行図書1956 宋元名画(共者) 聚楽社1960 室町水墨画1 室町水墨画刊行会1967 水墨画(日本の美術13) 至文堂1967 禅寺と石庭(共著、原色日本の美術10) 小学館1974 如拙・周文・三阿弥(水墨美術大系6) 講談社1974 雪舟(日本の美術100) 至文堂1977 李朝の水墨画(共著、水墨美術大系別巻2) 講談社1979 九十鉄斎 求竜堂1979 如拙・周文(日本美術絵画全集2) 集英社1981 美術随想「野椿」 三月書房定期刊行物1941 前山宏平氏蔵 高士深梅図に就いて 三田文学 16の101943 摩尼宝珠曼荼羅に就いて 美術研究 1311949 法光院不動明王二童子像に就いて 同 153中世に於ける中国絵画摂取の一様相 仏教美術 5普賢十羅刹女像に就いて 仏教美術 61950 嗚呼しづかなる絵-等伯画説の一句- 美術史 1雪舟と四季山水 国華 7001955 金沢称名寺金堂壁画について 仏教芸術 25厳島神社五重塔壁画 仏教芸術 251956 乾山筆十二ケ月倭歌花鳥図について 美術研究 1841963 画人芸愛について 田山方南華甲記念論文集1968 秀盛の数点の作品 仏教芸術 69

丸尾彰三郎

没年月日:1980/07/24

日本彫刻史家、元文化庁文化財保護審議会専門委員丸尾彰三郎は、7月24日午後3時静脈血せん症のため、東京都文京区の自宅で死去した。享年87。1892(明治25)年9月4日岡山県に生まれ、1919(大正8)年東京帝国大学文科大学美学美術史科卒業、21(大正10)年文部省図書館員教習所講師、翌年文部省古社寺保存計画調査嘱託、30(昭和5)年帝国美術院附属美術研究所事務嘱託、その間に東京女子高等師範、東京女子大学、慶応義塾大学の講師をつとめ、32(昭和7)年生涯の事業であった文部省国宝鑑査官となり、46(昭和21)年9月まで任ぜられた。また33(昭和8)年重要美術品等調査委員会委員、36年同幹事、38年より39年にかけてドイツ国へ出張、ドイツ政府より「フェルディンスト・クロイツェル・シュソーファードレル」勲章を受けた。44(昭和19)年には勲六等瑞宝章に叙せられた。 戦後45(昭和20)年、文部省社会教育局に勤務、翌年文部技官、並びに国宝調査嘱託、48年国立博物館調査員、50年文化財保護委員会事務局美術工芸課に属し、56年退官、翌年文化財専門審議会専門委員、66(昭和41)年勲四等、68年文化財保護審議会専門委員となり74年まで任じた。74(昭和49)年11月勲三等瑞宝章を受章。 22(大正11)年、文部省古社寺保存計画調査嘱託として就任以来、なお草創期にあった日本全国の社寺の古彫刻を主とする文化財の調査と基礎的研究を行ない、南都七大寺大鏡その他の編著を遂げた業績は大きい。第二次大戦後は文化財専門審議会専門委員として長く国宝指定及び文化財保護に貢献した。日本彫刻史研究の基礎的な調査の成果は「日本彫刻史基礎資料集成」として66(昭和41)年より刊行され、没後も刊行が続いている。下記の主な編著書のほか、国華、美術研究、画説、国立博物館刊行誌、調査報告書等の論文・随筆等は100余を数えることが出来る。編著書南都七大寺大鏡 77輯 東京美術学校編(法隆寺は中川忠順著) 大正3年7月~昭和4年2月観世音寺大鏡 7冊 同上編 昭和4年7月~昭和5年8月当麻寺大鏡 1冊 同上編 昭和4年5月~昭和5年9月南都十大寺大鏡 27冊 同上編 昭和7年6月~昭和10年1月藤原時代の彫刻(特に定朝様式の成立とその製作について) 岩波書店・講座 昭和9年10月大佛師運慶(日本精神叢書36) 数学局 昭和13年3月日本国宝精華 日本精華社 昭和26年6月蓮華王院本堂千躰千手観音像修理報告書 妙法院 昭和32年3月「鎌倉」の彫刻(鎌倉国宝館論集第1冊) 鎌倉市教育委員会・鎌倉国宝館 昭和32年8月日本彫刻史基礎資料集成 平安時代・造像銘記篇(共著) 中央公論美術出版社 昭和41年6月~昭和46年2月

富永惣一

没年月日:1980/06/14

学習院大学名誉教授、元国立西洋美術館長の美術評論家、美術史家の富永惣一は、6月4日心筋硬ソクのため東京都新宿区の自宅で死去した。享年77。1902(明治35)年9月18日東京市本所区に生まれ、学習院初等科、中等科、高等科を経て、23年東京帝国大学文学部フランス文学科に入学したが、翌年美学美術史学科に転じ、26年に卒業後同大学大学院へ進む。27年学習院講師、29年学習院教授となり、翌30年新設の帝国美術院付属美術研究所嘱託を兼ねる。31年から33年まで、宮内省在外研究員として留学しフランスをはじめ欧米各地で研鑚を重ねる。帰国後、翻訳、西洋美術紹介の著述、並びに美術評論活動を展開、啓蒙的役割をはたす。この間、東京美術学校、大正大学の教壇にも立つ。戦後は、49年、学習院大学設立とともに文学部教授に就任、57年からは同大文学部長をつとめ、この間、多摩美術大学、日本大学文学部、早稲田大学文学部、女子美術大学でも教え、54年には創立された日本美術評論家連盟の初代会長に就任する。以後美術の国際交流につとめ、ヴェネツィア・ビエンナーレ展国際審査員に二回選ばれる。59年、新設の国立西洋美術館の初代館長に就任、旧松方コレクションの管理、西洋美術作品の収集につとめるとともに、ミロのビーナス展、ロダン展など積極的な展覧会活動を行った。68年、同館購入作品の真贋問題が国会で追及された責任をとって辞任したが、同年開催の大阪万国博覧会の美術展示プロデューサー、並びに万博美術館長をつとめる。また、同年から共立女子大学教授となった。69年、仏政府からシュヴァリエ・ド・ラ・レジォン・ドヌール勲章を受章、74年には勲二等瑞宝章を受ける。この他、国立西洋美術館評議員、国立近代美術館評議員、ブリヂストン美術館運営委員、出光美術館評議員、日仏協会理事、日伊協会評議員をはじめ、数多くの要職を兼ねた。主要著述目録著作セザンヌ(西洋美術文庫) 1940 アトリエ社セザンヌ(アルス美術文庫) 1945 アルスセザンヌ(アテネびじゅつ文庫) 1952 弘文堂セザンヌ(アート・ブックス) 1955 講談社セザンヌ・モディリアーニ(現代世界美術全集4) 1965 河出書房セザンヌ(ファブリ世界名画集31) 1969 平凡社セザンヌ・ゴッホ・ゴーガン(世界の名画1) 1970 ほるぷ出版社ギリシア彫刻 1941 アトリエ社ギリシアの彫刻(みづえ文庫) 1951 美術出版社ギリシア彫刻 1954 人文書院ロダン 1945 雄山閣ピカソ-現代絵画論(岩波新書) 1954 岩波書店ドラクロワの素描 1944 創芸社美術随想 1945 創芸社ブラック(アート・ブックス) 1955 講談社ピカソ(アート・ブックス) 1955 講談社マティス(アート・ブックス) 1955 講談社美と感覚 1956 朝日新聞社西洋美術館 1956 修道社19世紀の絵画(美術ライブラリー) 1956 みすず書房ファン・ゴッホ 1959 読売新聞社印象派1・2 1961 みすず書房世界の美術 1963 階成社ルノワール(世界の美術) 1963 河出書房ルノワール(現代世界美術全集19) 1969 集英社ルノワール(現代世界美術全集普及版) 1970 集英社ルノワール(アート・ライブラリー) 1972 鶴書房近代絵画(カラー・ブックス) 1963 保育社近代1(世界美術全集35西洋11) 1963 角川書店現代美術(世界美術大系24) 1960 講談社マネ・モネ(現代世界美術全集1) 1966 河出書房オーギュスト・ロダン 1969 読売新聞社ロダン・ブールデル(現代世界美術全集5) 1971 集英社ルオー(世界美術全集19) 1969 河出書房マネ(ファブリ世界名画集26) 1970 平凡社ボナール(ファブリ世界名画集41) 1970 平凡社ジュリコー(ファブリ世界名画集86) 1971 平凡社ヴラマンク(ファブリ世界名画集96) 1972 平凡社棟方志功(アート・ブックス) 1956 講談社梅原龍三郎(日本近代絵画全集12) 講談社翻訳コリニヨン・パルテノオン 1930 岩波書店ヴァザーリ美術家伝 1943 共訳 隈元謙次郎 新規矩男 山田智三郎 青木書店 改版万里閣スタンダール・イタリア絵画史 1943 共訳 吉川逸治 河出書房ルオーの手紙 1972 共訳 安藤玲子 河出書房新社編者ヨーロッパ・近世(図説世界文化史大系) 1959 共編 柴田三千雄 角川書店ヨーロッパ・近代(図説世界文化史大系) 1959 共編 村瀬興雄 角川書店現代美術(日本美術大系) 1960 講談社近代2(世界美術全集36 西洋12) 1961 角川書店現代の絵画1 1938 小学館ルーブル美術館 1964 講談社イスタンブール美術館 1971 講談社原色世界の美術1(フランス) 1968 小学館エルミタージュ美術館 1970 恒文社

塚本善隆

没年月日:1980/01/30

元京都国立博物館長、日本学士院会員、中国仏教史研究の世界的権威、塚本善隆は、1月30日心不全のため、加療中の京都府立医科大学付属病院で死去した。享年81。1898(明治31)年2月8日愛知県海部郡に生まれ、幼少より学を好み、15歳で仏門に入ったのも好学の志を遂げんがためであったという。1918(大正7)年京都の仏教専門学校を卒業、引続き20年東京の宗教大学研究科を卒業。23年京都帝国大学文学部哲学科インド哲学選科を修了し、さらに26年同史学科東洋史選科を修了。同年4月仏教専門学校講師になる。28(昭和3)年7月には中国北京大学に留学。翌年5月東方文化学院京都研究所(後の京都大学人文科学研究所)の研究員となり、48年2月文学博士、49年4月京都大学教授、55年10月京都大学人文科学研究所所長(59年9月まで)。61年3月京都大学教授を停年退官(13年後の74年6月京都大学名誉教授の称号を受ける)後、その5月京都国立博物館館長に就任、72年4月までの11年間その要職をつとめた。同年11月勲二等瑞宝章を受ける。一方61年5月からは京都仏教大学講師を、博物館退館後の翌年4月からは華頂短期大学学長となる。76年11月、多年にわたる中国仏教史研究の功績により、日本学士院会員に推挙される。京都国立博物館在任中、63年には新事務所とこれに附設する講堂が建設され、引続き66年に新陳列館や造園が完成、翌年にも他の施設が建設されるなど、旧来の館の面目を一新させた。さらに旧陳列館の施設を整備して、その保存と活用に努力し、展示のスケールが拡大され、展覧会が活発に行われるにいたったほか、館の編集にかかわる寄贈品の図録『守屋孝蔵氏蒐集古経図録』(1964年)、『上野有竹齋蒐集中国書畫図録』(1966年)も出版されるなど、国立博物館としての使命達成に尽力した。また63年3月から文化財保護審議会の専門委員をつとめ、文化財の保護と顕彰に貢献した。一方博士は42(昭和17)年10月から74年10月まで、洛西の名刹、五台山清涼寺(嵯峨釈迦堂)の住職をつとめ、その間、54年入宋僧奝然將来にかかる本尊釈迦如来像の修理に当り、胎内から発見された多数の納入物の調査を、各分野の専門家に委嘱し、自らも学術調査に当るなど、学界に寄与するところ大であった。博士には多数の著者論文があり、たいていは中国仏教史に関するものであるが、美術史関係では編著の単行本に『法然上人絵伝』(日本絵巻物全集、角川書店、1961年)、『西の京・唐招提寺』(亀井勝一郎共著・淡交社、1963年)、『京都の仏像』(中野玄三共著、淡交社、1968年)などがあり、また「竜門石窟に現れたる北魏仏教」「竜門石刻録(共編)」(『竜門石窟の研究』所収、座右宝刊行会、1941年)は中国彫刻史資料の研究として注目される。なお博士の主要な著作、論文を集めた『塚本善隆著作集』7巻(1974年1月~75年11月、大東出版社)があり、その第7巻の大部分は美術篇である。

尾崎元春

没年月日:1979/09/02

文化財保護審議会専門委員、工芸史家尾崎元春は、9月2日心不全のため東京杉並区の荻窪病院で死去、享年74。1905(明治38)年4月28日、香川県坂出市に生まれ、30年日本大学法文学部文学科(国文学専攻)卒業、東京帝室博物館に勤務、35年帝室博物館鑑査官補、45年鑑査官に昇任、50年文化財保護委員会事務局保存部美術工芸課に転じ、64年主任文化財調査官となり、67年退職した。その間、48年財団法人日本美術刀剣保存協会評議員に就任、57年以降、日本大学文理学部、跡見学園短期大学、四天王寺学園女子短期大学、東京教育大学教育学部に出講、また長野県文化財専門委員を委嘱され、終生甲冑、刀剣、金工仏具等の調査研究とその保護に尽瘁しした。

水町和三郎

没年月日:1979/06/11

日本工芸会評議員、陶磁器研究家の水町和三郎は、6月11日すい臓ガンのため京都市左京区の自宅で死去した。享年89。1890(明治23)年4月23日佐賀市に生まれ、県立佐賀中学を経て1912年東京美術学校図案科に入学したが、14年東京高等工業学校工業図案科に転入学し17年同校を卒業した。20年国立陶磁器試験所に入所し、46年辞任するまで第三図案部長をつとめる。この間、40年に恩賜京都博物館(京都国立博物館)学芸委員を兼務する。46年吉野信次のすすめで陶磁器試験所を依願退職し、石黒宗磨、小山富士夫、荒川豊蔵、日根野作三と日本陶磁振興会を組織して全国陶磁の指導振興にあたる。52年、文部省文化財保護委員会専門委員に任命され、国宝、重要文化財並びに無形文化財の指定選定にあたる。55年文化財保護委員会の外郭団体として発足した社団法人日本工芸会の理事に就任し、毎年開催される日本伝統工芸展の普及振興に尽力する。66年勲四等旭日小綬賞を受賞。77年日本工芸会理事を辞し、評議員をつとめ、特に有田窯、多治見窯の指導に力を注ぐ。陶磁器の意匠の研究と古陶器の発掘につとめ、著書に『唐津』『伊万里染付大皿の研究』『古唐津』『創作陶芸資料』『肥前古窯めぐり』などがある

田中重久

没年月日:1979/05/24

仏教美術研究に生涯をかけた田中重久は、5月24日心筋こうそくのため京都市右京区の自宅で死去した。享年73。1905(明治38)年7月17日滋賀県に生れ、1925年県立膳所中学校卒業。同年4月東京美術学校に入学、26年3月中退。1931年早稲田大学国文科卒業。33年11月聖徳太子奉賛会研究員となる。36年6月、京都市文教局文化課勤務。これより京都の古美術案内の著書を逐次発表。 聖徳太子関係の研究の成果として、1942年「聖徳太子」を著わし、版を重ねた。その後、京都府立一中、洛北高校教諭の傍ら飛鳥時代より奈良、平安、鎌倉時代に及ぶ仏教美術関係の論文を多数発表した。川勝政太郎主宰「史迹と美術」誌に掲載論文は70篇に及ぶ。 「日本壁画の研究」は第二次大戦中に執筆、1944年に刊行されたものを79年に追補、復刻した。日本壁画の土、板、岩各壁画の総目録を意図、実査研究を行った。「日本に遣る印度系文物の研究」においては仏伝芸術、釈迦像、塔、堂、壁画の源流を追求した。 「別尊京都仏像図説」は、如来像彫刻をまとめ、その後の各地方の文化財調査の先鞭をつけた。1972年停年退職後も、死去の日まで、在野の硯学として健筆をふるった。主要著書京都の古建築 昭13年4月 京都市京都の彫刻 14年5月 同京都の庭園 15年5月 同西の京 薬師寺・他 16年5月 近畿観光会京都の仏画 16年5月 京都市京都史蹟古美術提要 16年9月 同京都仏画図説 16年10月 京都桑名文星堂奈良朝以前寺院史の考古学的研究 上・下 16年12月 東京考古学会京都古美術入門 17年5月 京都市聖徳太子 17年11月 大阪 東光堂別尊京都仏像図説 18年1月 京都臼井書房聖徳太子絵伝と尊像の研究 18年8月 京都山本工芸部日本に遣る印度系文物の研究 18年9月 大阪 東光堂広隆寺大鏡(英文) 25年9月 ユネスコ協会弥勒菩薩の指 35年1月 京都山本工芸部観音像 昭52年11月 京都綜芸舎奈良朝以前寺院址の研究 53年8月 白川書院日本壁画の研究 54年5月 京都綜芸舎

江本義数

没年月日:1979/05/18

微生物学者、学習院大学名誉教授、理学博士江本義数は、胃癌のため5月18日東京杉並区の浴風会病院で死去、享年86。1892年(明治25)年10月28日、東京市本所区に生まれ、学習院を経て、1917年東京帝国大学理科大学植物学科を卒業、34年「硫黄酸化細菌の生理」により理学博士の学位を授与され、同年学習院教授に任官、53年学習院女子短期大学教授(58年まで)、国士館短期大学教授に就任、61年国士館大学教授となり、学習院大学名誉教授の称号を授けられた。同49年天皇陛下に「温泉と硫黄バクテリア」について御進講、同年紺綬褒章を受章した。58年より74年まで東京国立文化財研究所保存科学部の調査研究員となり、法隆寺金堂焼損壁画、高松塚古墳壁画の微生物の調査と防除処理の研究を行った。主著は終生の研究を集大成した『日本変形菌原色図譜』(英文、1977年、産業図書)である。

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