吉原治良

没年月日:1972/02/10
分野:, (洋)

 具体美術協会の主宰者であり、国際的にも活躍していた、もと二科会会員の吉原治良は、2月10日午後7時15分、クモ膜下出血のため兵庫県芦屋市立市民病院で死去した。享年67才であった。吉原治良は明治38年(1905)1月1日、大阪市に三代つづいた油問屋の老舗の家に生まれ、愛珠幼稚園から愛日小学校、北野中学校へと進み、9才のとき兄をなくし、11才のとき母を喪なった。中学時代から絵画に対する関心はたかまり、油彩画を独習し、大原コレクションのルノアールの作品や松方コレクションのセザンヌの「廃屋」、ゴッホの「ひまわり」につよい影響をうけた。中学卒業後、関西学院高等商業部へ入学、胸部疾患のため転地、その後芦屋へ転居した。関西学院時代には辻愛造伊藤慶之助、赤松進らの艸園会に入り、また弦月会にも入り神戸学生美術展などに出品した。昭和3年(1928)、関西学院高等商業部を卒業し、そのまま専攻科に進学在籍したが、この卒業の年、3月に大阪朝日会館の大ホールで魚を題材とした静物58点による最初の個展を開催した。同年には学院を退学し、父の経営する製油会社に入って勤務のかたわら絵画に熱中した。この頃、フランスから帰国していた洋画家上山二郎を知り、その影響をつよく受けた。上山二郎の紹介で東郷青児藤田嗣治を知るようになった。やがて藤田のすすめで二科展に出品するようになり、長谷川三郎海老原喜之助島崎鶏二山口長男岡田謙三らと交友し、昭和13年(1938)に設立された二科会内の前衛的な集団九室会にも参加した。第二次大戦後の二科会再建には会員として参加したが、昭和34年(1959)以降には二科展への出品はみられず、同45年(1970)には退会した。一方、昭和27年(1952)から国際展、海外展で活躍をはじめ、また、彼の周辺に参集した関西の若い画家たちと具体美術協会(The Gutai Art Association)を創設して、現代美術の運動を活溌に展開してきた。作風は、初期にデ・キリコ、ついでモンドリアンの影響をうけ、戦前から幾何学的な抽象絵画を制作していたが、戦後の早い時期には、鳥と少女像(吉原人形と呼ばれた)の連作から、しだいに再び抽象的な作風に移行し、晩年には円型を主題とした連作で注目を集めた。
略年譜
昭和3年(1928) 関西学院高等商業部を卒業、専攻科に進むが退学。芦屋在住の画家上山二郎に兄事する。東郷青児をしる。
昭和4年(1929) 10月、大阪朝日会館で第1回個展、藤田嗣治をしる。結婚する。
昭和9年(1634) 再帰国した藤田と会い、すすめられて(21回)二科展に出品、「帆柱」「麦稈帽と仕事着」「錨と具の花」「風景」「朝顔の女」の5点入選。東京銀座紀伊国屋画廊にて個展
昭和12年(1637) 二科展に「夜・卵・雨」「図説」「隔世」「気象」「窓」を出品、特待となる。
昭和13年(1938)「作品イ」「作品ロ」二科展に出品、会友に推薦される。藤田嗣治を顧問とし、斎藤義重山口長男山本敬輔らと九室会を結成する。
昭和14年(1939) 二科展:「作品1」「作品2」「作品3」
昭和15年(1940) 二科展:「雪イ」「雪ロ」
昭和16年(1641) 二科展:「夕立に翔ぶ飛行艇」「くちなしの花と貝殻」
昭和17年(1942) 二科展:「菊イ」「菊ロ」
昭和18年(1943) 二科展:「空」「火山」
昭和20年(1945) 兵庫県三田、大沢村へ疎開
昭和21年(1946) デザイン、商品デザイン、ディスプレイ、舞台装置などを手がける。二科会再建に会員として参加し、「邂逅の像」「群像」「像」を出品。
昭和22年(1947) 二科展(32回):「顔A」「顔B」「立話」「子供の顔」「女達」「子供達」
昭和23年(1948) 二科展:「顔」「小さな噴水」。芦屋市美術協会を結成、代表となる。
昭和24年(1949) 二科展:「鳥と人間」「涙を流す顔」「嬉しい日の少女」。日米21人展に出品。
昭和25年(1950) 二科展:「少女と七羽の鳥」。大阪朝日会館の緞帳を作成。
昭和26年(1951) 6月、東郷青児吉原治良二科2人展を神戸元町画廊にて開催。大阪府芸術賞を受賞。二科展:「夜の鳥」「夜」「鳥と人々」。
昭和27年(1952) カーネギー国際美術展(サンフランシスコ)に「暗い日曜日」を出品。サロン・ド・メエ(パリ)に「牧場」「作品」「原始」。第1回日本国際美術展に「絵A」ほか2点を出品。須田剋太津高和一植木茂らと現代美術懇談会を創る。
昭和28年(1953) 第2回日本国際美術展:「作品A」「作品B」「作品C」。岡山葦川会館の緞帳を作成。二科展:「作品」。
昭和29年(1954) 第1回日本現代美術展「作品A」「作品B」。二科展:「作品」。12月、具体美術協会を結成し、現代美術運動を展開。
昭和30年(1955) 機関誌『具体』1号を刊行(14号まで)。第3回日本国際美術展「作品」。二科展:「作品」。芦屋市美術協会主催で芦屋川畔で野外モダン・アート実験展を開催。第1回具体美術展(東京小原会館)を開く。
昭和31年(1956) 神港新聞アンデパンダン展に具体グループ特別室をつくる。7月、野外具体美術展(芦屋川畔)。第2回具体美術展(東京小原会館)
昭和32年(1957) 第4回日本国際美術展:「作品」。第3回具体美術展(京都市美術館)を開催、出品。産経ホール(東京、大阪)で第1回舞台を使用する具体美術展を企画構成し演出する。二科展:「作品A」「作品B」。ミシェル・タピエを知りタピエが組織した世界現代美術展に出品する。第3回具体美術展(東京小原会館)。
昭和33年(1958) 第2回舞台を使用する具体美術展(大阪朝日会館)。タピエと共同主催による“新しい絵画世界”展(大阪、長崎、広島、東京、京都)。第5回具体展(東京小原会館)。具体ニューヨーク展(マーサ・ジャクソン画廊)を開催のため渡米ヨーロッパを巡遊。二科展:「作品」。カーネギー国際美術展に出品。
昭和34年(1959) 第5回日本国際美術展「作品」。アルテ・ノバ展(トリノ)、第11回プレミオリソーネ展、具体トリノ展(フィギェラティブ画廊)に出品。8~9月、第8回具体美術展(京都市立美術館、東京小原会館)。メタモルフィズム国際展(パリ、スタドラー画廊)。
昭和35年(1960) 第4回現代日本美術展「作品1」「作品2」。アドバルーンを利用して外国作家18名、具体グループ12名によるインターナショナル・スカイ・フェスティバルを開催。日本人作家4人展(マーサ・ジャクソン画廊)に出品。
昭和36年(1961) 第6回日本国際美術展「作品」。コンティニュテ・エ・アバンギャルド・オ・ジャポン展(トリノ)に出品。第10回具体美術展(大阪・東京高島屋)。第12回プレミオリソーネ展。この年二科会理事となる。
昭和37年(1962) 第11回具体美術展(大阪高島屋)、ストラクチュアとスタイル展(トリノ近代美術館)に出品。9月、大阪中之島にグタイピナコテカ(具体美術館)を創設する。具体グループと森田モダンダンスとの共同公演による前衛的美術と舞踊「だいじょうぶ月は落ちない」(大阪高島屋)の企画、構成、演出。
昭和38年(1963) 第12回具体美術展(東京高島屋)、第13具体美術展(大阪高島屋)。第7回日本国際美術展「作品」。グランパレ国際展(パリ)に出品。現代美術の動向展(国立近代美術館京都分館)に出品。
昭和39年(1964) グッゲンハイム国際美術展に出品、セントルイス大学美術館に買い上げられる。第5回現代日本美術館「作品」。第14回具体美術展(大阪高島屋)。戦後の現代日本美術展(神奈川県立近代美術館)、現代日本美術展(ワシントン、コーコラン画廊)に出品。兵庫県文化賞を受賞。
昭和40年(1965) 第8回日本国際美術展「作品」。ヌル国際展(アムステルダム市立美術館)にグタイ特別室を設けるため渡欧。第15回具体美術展(大阪グタイピナコテカ)。新しい日本の絵画と彫刻展(ニューヨーク近代美術館)、具体パリ展(スタドラー画廊)に出品。第16回具体美術展(東京京王百貨店)。
昭和41年(1966) 具体オランダ展(ハーグ、オレッツ画廊)、第2回ローザンヌ国際展、第1回国際芸術見本市に出品。
昭和42年(1967) 具体オランダ小品展(ロッテルダム、デザインハウス)に出品。吉原治良展(東京画廊)。第9回日本国際美術展「白い円」、最優秀賞を受賞。具体オーストリア展(クラーゲンフュール)。第2回国際芸術見本市に出品。具体美術協会に対し神戸新聞社平和賞をうける。第19回具体美術展(東京セントラン美術館、大阪グタイピナコテカ)。
昭和43年(1968) 第8回現代日本美術展「白い円」「白と黒の円」。
昭和44年(1969) 第4回国際芸術見本市に出品。日本万国博美術展展示委員となる。
昭和45年(1970) 日本万国博美術展現代の躍動の部に出品。同展屋外展示にグタイグループと共同制作。万博お祭り広場における「音楽・デザイン」、具体美術まつりなどをプロデュースする。万博みどり館の美術展示を構成。第20回具体美術展(大阪グタイピナコテカ)。芦屋市民会館ルナ・ホールの壁画制作。二科会を退会する。
昭和49年(1971) 第2回インド・トリエンナーレ展に出品しゴールドメタルを受賞。第10回現代日本美術展構造としての自然部門に「作品」3点を出品。近代日本美術における1930年展(東京国立近代美術館)、戦後美術のクロニクル展(神奈川県立近代美術館)に出品。
昭和47年(1972) 2月10日没。従五位勲四等旭日小綬章を追贈される。

出 典:『日本美術年鑑』昭和48年版(61-63頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「吉原治良」が含まれます。
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