河﨑晃一

没年月日:2019/02/11
分野:, (学)
読み:かわさきこういち

 兵庫県立美術館で館長補佐などを歴任し、前衛美術集団「具体」の魅力を発信、その世界的評価を高めた河﨑晃一は2月11日、すい頭部がんで死去した。享年67。
 1952(昭和27)年1月9日、兵庫県芦屋市に生まれる。祖父は実業家で白隠ら江戸時代の高僧と三輪田米山の墨蹟及び佐伯祐三の油彩画の蒐集家と知られる山本發次郎。74年に甲南大学経済学部を卒業、染織家中野光雄に師事、染めた布を使った造形作品を制作。77年に出版された『画・論=長谷川三郎』の編纂に刊行委員として参加、各地で作品調査、資料収集、長谷川の知友への取材を行う。造形作家としても活動し、80年から大阪・番画廊、京都・ギャラリー・すずきを中心に個展を開催。87年、第4回吉原治良賞美術コンクールで優秀賞を、また同年第18回現代日本美術展で大原美術館賞を受賞。アート・ナウ’88、兵庫の美術家’93(いずれも兵庫県立近代美術館)に選出。1993(平成5)年には兵庫県芸術奨励賞を受賞。89年、芦屋市立美術博物館準備室に着任。90年、同館学芸課長に就任。同館では「小出楢重と芦屋」展(1991年)や阪神間モダニズム展(1997年)、「震災と表現:震災から5年」展(1999年)といった地域の美術を検証する展覧会の企画展も担当、とりわけ吉原治良展(1992年)、具体展(1992-93年、3期)では兵庫県立近代美術館の尾崎信一郎、平井章一と協力、芦屋市立美術博物館編にて資料集『ドキュメント具体』(芦屋市文化振興財団、1993年)を刊行。1980年代以降に活発化した「具体」調査研究のなかにあり、のちの国内外での評価の高まりの基盤のひとつを築いた。93年、第45回ヴェネツィア・ビエンナーレの企画「東洋への道」での初期具体野外展の再現展示へ協力。2003年には芦屋市の財政難で同館存続の危機に見舞われた際は、地方の特色ある公立美術館の意義を訴えた。06年に兵庫県立美術館へ移り、常設展・コレクション収集管理グループリーダーとなる。同館で12年まで館長補佐、学芸部門マネージャーを歴任。12年からはインディペンデントキュレーターとして活動。13年に甲南女子大学文学部メディア表現学科教授(第三種特任)、翌年同学科教授となる。15年秋にがんが判明、病室に資料を持ち込み仕事を続け、科学研究費補助金基盤研究C「写真・映像による具体美術協会の研究-戦後美術史研究の基盤構築と活性化の試みとして」(2016~2018年度、研究代表者逝去のため、中途終了)に取り組み、19年「イサム・ノグチと長谷川三郎」展(横浜美術館)にも協力した。同展で講演を予定していたが、実現しなかった。
 著書や監修した書籍に『中山岩太』(淡交社、2003年)、『山本發次郎コレクション:遺稿と蒐集品にみる全容』(淡交社、2006年、日本書芸院創立60周年記念事業、第1部として『山本發次郎遺稿』改訂版を収録)などがあり、作品は大原美術館、華道未生流会館(大阪)、資生堂アートハウス(静岡)、中京大学(名古屋)に収蔵されている。

出 典:『日本美術年鑑』令和2年版(482頁)
登録日:2023年09月13日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「河﨑晃一」『日本美術年鑑』令和2年版(482頁)
例)「河﨑晃一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2040936.html(閲覧日 2024-04-28)

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