関根美夫

没年月日:1989/06/27
分野:, (洋)

1950年代、60年代の前衛美術運動で活躍した洋画家関根美夫は、6月27日午前11時、急性心不全のため東京都品川の自宅で死去した。享年66。大正11(1922)年、和歌山市に生まれ、昭和20年広島で被爆。同23年自由美術研究会で中村真に師事し、前衛美術を知る。また、同研究会を介して吉原治良を知り、同59年まで指導を受ける。同23年第2回汎美術協会展に初出品。翌年より全関西総合美術展などに出品し、29年の具体美術協会の結成に参加する。同31年第20回新制作協会展に「顔の影のピエロ」を出品。同33年ミッシェル・タピエの発案による「新しい絵画世界展-アンフォルメルと具体」に出品するが翌年具体美術協会を退会する。38年第15回読売アンデパンダン展にソロバンを描いた絵画を出品し、以後「ソロバン」「門」「貨車」のシリーズを制作し、実在の物をつかって、抽象的画面をつくることを追求。同40年第2回長岡現代美術館賞を受賞、翌41年、45年のジャパン・アート・フェスティバル、現代日本美術展、日本国際美術展などに出品し、抽象絵画の隆盛の中で「具象と抽象の混血児」を提起する独自の作風で注目された。同50年「近代日本の美術」展(東京国立近代美術館)、同56年「1960年代 現代美術の転換期」(同)などに作品が展観されるなど、50・60年代の美術を代表する作家のひとりと目された。作家自身による履歴に「具象と抽象の混血児<測定絵画>」(『美術手帖』402、昭和51年1月)がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成2年版(246頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「関根美夫」『日本美術年鑑』平成2年版(246頁)
例)「関根美夫 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10032.html(閲覧日 2024-04-24)
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