登呂遺跡特別展観

1947年11月

登呂遺跡から発掘採集された夥しい出土品を一般に展観する登呂遺跡特別展観が国立博物館で二〇日から二三年一月二〇日まで行われた。

型々工芸集団創立

1947年10月

在野工芸団体の一つとして新しい生活感覚を生かしてゆかうとする型々工芸集団が辻光典・佐藤正巳らによつて創立され、第一回展を一一月一〇日から一八日迄東京和光ギヤラリーで開催した。

松方コレクシヨンの一部パリで競売

1947年10月

種々の障害によつてパリに残されたまゝになつている松方コレクシヨン洋画の一部が二二日パリで競売になつた。その中にモネの「太陽と柳」「しだれ柳」「牡丹の花束」等があり、四六八万四千フランに上つたと伝えられた。

「子供のための文化史展」開始

1947年10月

国立博物館では美術普及事業の一つとして子供のための文化史展を行うことになり、第一回として住居の歴史展を二九日から一二月二〇日まで開催した。

正倉院展開催

1947年10月

戦後二度目の正倉院特別展観が二六日から一一月一五日まで国立博物館奈良分館に開かれた。

第三回日展開催

1947年10月

一六日から一一月二〇日まで文部省主催第三回日本美術展覧会が東京都美術館で開かれた。第二部油絵に有力な団体が参加せず、第一部日本画にも院展同人を始め芸術院会員の大部分と出品招待者の多くが出品せず淋しい会となつた。会期中の一一月一七日天皇皇后両陛下が御覧になつた。日展への行幸啓は始めてゞある。

西洋美術名作展開催

1947年10月

国立博物館において一五日から一一月三〇日まで国内にある多数の西洋絵画、彫刻の作品を集めて西洋美術名作展が開かれた。一一月一七日には天皇皇后両陛下が行幸啓になつた。

法隆寺五重塔壁画取外し作業開始

1947年10月

解体中の法隆寺五重塔の壁画を取外して保存するための工事が一二日から行われた。樹脂注射によつて剥落を止め、木組の枠で包み、柱からの抜きとりに成功した。

新重要美術品の認定

1947年10月

一〇日重要美術品等調査委員会が開かれ、一休墨跡・京都島原の角屋などを含む絵画四三件、彫刻三二件、文書典籍九九件、刀剣三四件、同附属七件、工芸及考古学資料二八件、建造物二〇件の二六三件が認定され、一五日文部省から発表された。重要美術品の認定は戦後始めてゞある。

美術著作権確立運動起る

1947年10月

美術における著作権は従来から非常にあいまいであつたが、四日開かれた日本著作家組合第二回総会でこのことが問題となり、美術団体に呼びかけて二一日美術著作権確立懇談会が開かれた。フランスの「美術追及権」制度をとり入れて著作権法に挿入立法化する決定を行い実現に努めることゝなつた。

両陛下民芸館へ行幸啓

1947年10月

三日天皇皇后両陛下は目黒駒場の民芸館へ行幸啓になり民芸のコレクシヨンを御覧になつた。

日本アヴアンギヤルド美術家クラブ結成

1947年09月

抽象派・超現実派など前衛画派の作家達によつて各自所属団体とは別に共同の研究団体として日本アヴアンギヤルド美術家クラブが結成された。二三年二月には第一回モダン・アート展を開催した。

「国立博物館ニユース」発刊

1947年09月

国立博物館では美術普及を計る事業の一つとして新聞形式で月刊の「国立博物館ニユース」を発行した。

二科会日展不参加決定

1947年08月

二科会では二三日の総会で日展不参加の態度を決定し、二七日声明書を発表した。

唐招提寺秘宝調査

1947年08月

奈良唐招提寺の秘宝調査が一八日から国立博物館の石田茂作田中一松らによつて行われた。なお二四日から九月七日まで奈良博物館に於て唐招提寺宝物展が開かれた。

第三回日展審査員決定

1947年08月

選挙による日展審査員は七日発表されたが、団体の多い第二部油絵では選挙運動が烈しく団体間で協定が行われたところもあり、これに対する非難が強く起つた。

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